1月8日付八重山毎日新聞

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 1月8日付八重山毎日新聞第8面には、ほのぼのとした 記事と、今後の八重山観光を俯瞰する上で重要な会合が 開催された記事が同じ紙面に掲載されています。  竹富島の子ども達を守るための大人たちの会合なのか、 また、竹富島の子どもたちの生活の場を損なわせる会合 になってしまうのか・・・。  世界情勢が悪化する現在、八重山の重要な産業である である「観光業」をどのように導くのか。  非常に重要な舵取りをしなければなりません。 (た) ● 竹富小中校 たこ揚げで歓声   新年の決意新たに  竹富小中学校PTA主催の「新春たこ揚げ大会」が 6日行われ、全校児童生徒と父母らが新春の大空に各自で 制作したたこを揚げた。  新年恒例の親子一緒の行事で、三浦良太君(小1)は 「お父さんと一緒にたこを上等に作った。絵は一人で頑張って 描いた。楽しかった」、狩俣未来さん(小1)は「賞を取れた のでうれしい。とても楽しかった」、宇根歩君(中1)は「今日 は3回飛ばして2回失敗した。最後に飛ばして1番高く飛んだ。 とてもうれしかった」と感想を話していた。 各賞は次の通り ▽雄飛賞=小学校の部・狩俣未来(小1)、吉澤紅愛(小3)     =中学校の部・宇根 歩(中1) ▽デザイン賞=三浦良太(小1)、兼城太郎(小2) ● 「観光入域78万人以上を」   旅行4社八重山会が新年会  旅行会社のJTB沖縄、日本旅行沖縄、トップツアー、 近畿日本ツーリスト沖縄の4社八重山会合合同新年会が、6日夜、 市内ホテルで開かれた。  新年会には航空会社を含む約120人が参加、昨年の入域観光客 数78万人以上を目指す、と決意を新たにした。  主催者を代表して、近畿日本ツーリスト八重山会の砂川栄広会長 は「昨年は目標であった80万人を達成できず残念だったが、今年は、 行政や関係機関が三位一体となり、なお一層頑張っていこう」と 呼びかけた。  会には、市観光協会長の大浜長照市長、川満栄長竹富町長、 兼島規八重山支庁長も訪れ、大浜市長が「観光客減少が見受けられる が観光価値が衰えたわけではない。昨年に発足した観光庁も大いに 活用して八重山をアピールしよう」と激励。  川満町長は「自然と景観の2つが大きなキーワード。ツアーの企画 や組み合わせで八重山の魅力は増すものだと考えている。『八重山は 1つ』を合言葉に頑張っていこう」とあいさつした。 …

水牛車問題で意見交換(12/6付八重山毎日新聞)

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 本日の八重山毎日新聞には、新町長となった 川満栄長町長を交えて、竹富島の懸案のひとつである 竹富観光センター水牛車営業所移設問題の意見交換会 の記事が掲載されています。  これからの季節は団体観光客の増加に伴い、水牛車 営業所周辺には大型のバスが頻繁に往来します。 こうしたなか、竹富診療所や保育所に通う子どもたちや お年寄りに対しての事故が懸念されます。  以前の話し合いでは、移転に合意しているこの問題、 早急な解決が竹富島に安心をもたらします。 (ta) 水牛車問題で意見交換 町長も同席、早期解決探る  竹富観光センター(小底朝吉代表)の水牛車営業所移転問題の円滑 な解決に向け去る6月23日に協定書を結んだ竹富町(川満栄長町長) と竹富公民館(宇根勝末館長)、竹富島の聖域と文教地区を守る住民 の会(大山栄一会長)、同観光センターは5日午後、竹富島のまちなみ 館で意見交換会を開き、同協定の実行に向け意見を交換した。  同問題は、同水牛車営業所の移転場所が保育所や小中学校に隣接 していることから同住民の会が反対運動を展開。町や公民館を巻き 込んだ問題に発展していた。  このため、竹富島の良好な地域環境の確保と秩序あるまちなみ 空間を守るため、去る6月23日に4者で協定書を締結。協定書のなか で町が3者と協議の上、水牛車営業所移転敷地の確保に努める代わ りに、同センターは現営業所の移転を約束した。  意見交換会では、同営業所の移転先として町が提示していた島の 東側の集落外にある残土置き場(町有地)について、同センターの 小底代表が「集落の外側は(水牛車観光の)コースが成り立たない」 と難色を示し、新たな場所の提示を求めた。富本傳総務課長は 「具体的にここだという場所があるのか」と質問。小底氏は 「3年間、当るだけ当たってきたが、ダメだった。1人で探す場所 はもうない」と話し、やむなく現在の場所に移転してきたことを強調。  公民館も「05年度にあちこち回ったがOKを出したのは1か所だけで 残りはだめだった」過去の経緯を説明した。  阿佐伊孫良氏は「伝建地区であり、住民は誰もが今の場所は(水牛 車営業所として)ふさわしくないと思っている。」宇根館長が「住民 も移転するまでの間として我慢している。これは小底さんも理解して いると思う」と話し、出来るだけ早く4者で協議し、新たな移転場所の 確保に全力を挙げるべきだとする考えを示した。  これに川満町長は「この問題は放置してはおけない。関係する課長 を連れてきたのはこの問題を早めに解決したいという決意の表れ。 回数を重ねながら前進させたい」と、問題の早期解決に決意を示した。  また意見交換会の席上、同住民の会の大山会長が川満町長に対し 4者が結んだ協定書の順守を要請した。 …

映画「うつぐみの色」 上映会(11月18日付八重山毎日新聞)

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 18日の八重山毎日新聞には、竹富島で撮影された 映画「うつぐみの色」上映会の記事が掲載されています。  田野聖子監督と 橋本総業㈱の映像スタッフ「チームみらい」によって描かれた、 35分に凝縮された竹富島の細やかな映像の世界は、 島の人々に和やかな雰囲気を授けてくれました。  スタッフの皆さま、大変お疲れさまでした。 また、竹富島のディープな世界を覗きに来てください。 (ta) 封切り上映会で熱気 竹富島オールロケ 映画「うつぐみの色」  今年4月にオール竹富島ロケで制作された映画「うつぐみの色」が 完成し、16日夜、竹富島まちなみ館で封切り上映会が行われた。上映 を楽しみにしていた住民や観光客230人が詰めかけ立ち見も出るほど。 制作会社の橋本総業が、アニメと竹富島での実写で制作した環境問題 の啓発DVD「ぼくのえにっき」も紹介した。  「うつぐみの色」は都会生活に疲れた女性カメラマンが、島のおば あや子供たち、両足義足のマラソンランナーなど住民との出会いで 人間本来の温かさを取り戻していくというストーリー。  上映前に田野聖子監督は「場所の設定でいろいろ議論もあったが、 このテーマ、ストーリーではやはり竹富島となった。島の人と何度も 打ち合せ、厳しい意見も取り入れて全面的な協力をいただいた」と 話しながら「天候にも恵まれ、島の美しさだけでなく、制作そのもの もうつぐみの心で完成することができた」と感謝していた。  宇根勝末公民館長は「島が全面協力したのはこれで3作目だが、何回 も書き直してよいものが出来ると思っていた。島では当たり前と思って いることでも、それが実は大変なことだと改めて感じた。うつぐみの心、 環境を考える機会になればと思っている」と感想。  映画には古堅節さんや友利翼くんも出演、名優ぶりを発揮して大きな 拍手を浴びた。  また両足義足のランナー島袋勉さんも来島し上映会終了後、 「新しいことには何にでも挑戦したい。こんな美しい島で映画が出来て うれしい」と話し、記念撮影に引っ張りだこ。なお映画は17日、 ともーるネットセンター石垣でも上映された。 …

全国竹富島文化協会講演会(11/4八重山毎日新聞記事)

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 今日の八重山毎日新聞には、11月1日に開催された 全国竹富島文化協会主催による「八重山の民俗と文化」 の講演会が開催されました。  全国竹富島文化協会のユニークな活動。 ぜひ興味深くお読みください。 (ta) 狩俣沖国大教授らが講演 全国竹富島文化協会 八重山の民族と文化紹介 「八重山の民族と文化」と銘打った星砂の島文化講演会 (全国竹富島文化協会主催、国学院大學折口博士記念古代 研究所、東京八重山郷友会共催)が、1日、東京・渋谷の 国学院大學120周年記念館で行われ、民俗学者や郷友、協会員 など、約150人が詰めかけ、八重山の文化にひたった。  昨年11月、全国竹富島文化協会創立10周年記念文化講演が 好評で「もっと聞きたかった」「来年も開いて欲しい」などの 声が多く、今回は琉球大学名誉教授の小島瓔禮氏が加わり、中身 の濃い講演となった。  まず、沖縄国際大学教授・狩俣恵一氏が「八重山の節歌」を テーマに実演で解説。島での歌い方と他島の歌い方との違いを説明。 東玉盛靖修さんが「安里屋節」と早調子「安里屋節」を弾き比べた。 狩俣氏は「古謡の世界が踊りを作ったのではなく、しきた盆などは 大正、昭和の時代に工夫され組みかえられた。八重山の歌には、踊り を作っていく力がある」とも。  國學院大学教授・小川直之氏が「すでぃ水の思想」。奄美大島の 若水昔話を紹介し、“すでぃ”とは「卵からふ化する」「生まれる」 を意味し、大きな時間の裂け目や正月に若水が用いられた。 「すでぃ水は若返りの水である」と結んだ。  小島名誉教授は「竹富島の歴史を探る」。「1524年、首里から派遣 された記録があり、なぜ蔵元が竹富島にあったのかと考えた時、 八重山諸島の地理的条件や経済性、利便性が高く重要な所であったと 考えられる」と話した。 …

秋の叙勲 (11/3付八重山毎日新聞)

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 本日の八重山毎日新聞には、秋の叙勲受章者の 記事が一面を飾っています。  竹富島からは、内盛スミさんが伝統工芸業務功労にあたる 瑞宝単光章を受章されています。 長年にわたるミンサー織の継承が高く評価されています。    竹富町で僅か3名しかいないミンサー織の伝統工芸士で もあり、竹富町織物事業協同組合の理事長を15年も務め られていました。  いつも朗らかな笑顔で島民や観光客を迎えてくれる  内盛スミさん、誠におめでとうございます。 (ta)  政府は「文化の日」の3日付で、秋の叙勲受章者を発表した。 八重山関係は宮良長定さんが文化財保護功労で旭日双光章、 玉城精記さんが地方自治功労で旭日双光章、内盛スミさんが 伝統工芸業務功労で瑞宝単光章、横目栄三さんが消防功労で 瑞宝単光章をそれぞれ受賞した。4氏に受賞の喜びを聞いた。 《中略》  内盛スミさん  小学校6年の時に母親からミンサー織りの手ほどきを受け、1962年 に講習会を受講したことで技術者となり、95年には八重山ミンサーの 伝統工芸士(総合部門)に認定され、現在までその伝統的な技術・技法 の伝承に努めている。  竹富町織物事業協同組合の理事長を88年10月の設立時から15年間務めた。 また八重山ミンサーの製造と販路開拓に努める一方、後継者育成事業で ミンサー織りの従事者を育成した。  幼少時から70年近く携わったミンサー織を振り返り、「以前は綿の糸 がなく、漁師網をほどいて家族のシャツやタオルを織ったり、隣近所の 電気が消えるまで競って織っていた」と懐かしむ。  受章に「自分の生活のために頑張ってきたことが認められうれしく思う。健康の続く限り、一人でも多くの後輩を育てたい」と話した。82歳   …

次々繰り広げられる奉納芸能(八重山毎日新聞)

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  当ブログをご覧のみなさまへ。  種子取祭奉納芸能を迎えるにあたり、なかなかブログを 更新することができませんでした。お詫びを申し上げるとともに、 NPOたきどぅん理事ならびに職員、スタッフも、種子取祭の シクブン(役割)を無事に全うし、奉納を終えたことをご報告申し 上げます。  さて、10月18日付八重山毎日新聞には、竹富島の種子取祭に 関する記事が掲載されています。  掲載されている写真は馬乗者(ウマヌシャ)。  藤色の頭巾と赤色の襷、そして勇壮な舞に 目が奪われます。 (ta) 次々繰り広げられる奉納芸能 竹富島は種子取祭一色に 観光客ら、女性の腕棒に歓声  五穀豊穣(ほうじょう)や島民の無病息災を祈願する国の重要無形民俗文化財、「種子取祭(たなどぅい)」の奉納芸能が17日から2日間の日程で、 世持御嶽で始まった。多彩な芸能が次々に奉納され、地域住民や郷友、 観光客など大勢の人たちを楽しませた。奉納芸能は、同日の玻座間村に 続いて、18日には仲筋村が奉納することになっており、島は「たなどぅい」 一色に包まれている。  今日は仲筋村が登場  種子取祭は節祭から49日後の甲申(きのえさる)の日に「トゥルッキ」 と呼ばれる神事を行い、この日から10日間行われる。今年は11日に 「トゥルッキ」が行われ、種子取祭がスタートした。  芸能が奉納されるのに先立ち、祈願を済ませた神司や公民館役員らが 巻き踊りを奉納。世持御嶽はおごそかさとにぎやかさが混じり合う独特の 雰囲気となり、庭の芸能が午前9時30分から始まった。  勇壮な棒術に続いて太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、 腕棒(ウディボウ)、馬乗者(うまぬしゃ)の順で行われた。  観光客らは次々と奉納される芸能を食い入るように見詰めたり、カメラ やビデオ、携帯電話のカメラなどで撮影しながら、熱心に見学していた。 なかでも女性が2人1組で力比べをする「腕棒」では、相手を振り回そうと して真剣に勝負する女性たちに拍手と歓声が起こった。  引き続き舞台では「弥勒(ミルク)」や「鍛冶工(カザグ)」の狂言、 「かたみ節」の舞踊など、合せて35点の芸能が奉納された。  夜には、各家々を回りながら豊じょうを祈願する「世乞い(ユークイ)」 も行われた。  長年にわたって種子取祭の踊り手や地域芸能の発展、後継者育成に尽力 した6人に感謝状が贈られた。  感謝状が贈られたのは次の各氏。  ▽大浜信子、小底政子、島仲芳子、崎山好子、嘉手川恒男、東盛貞治 …

種子取祭始まる(八重山毎日新聞記事)

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今日の八重山毎日新聞には、種子取祭が始まった旨の 記事が掲載されています。 10月11日(土)にトゥルッキ、 明日は幕舎張りが行われます。 いよいよ本番です! 身体にも自然と気持ちが入ります。 (ta) 竹富 種子取祭始まる 17,18日に奉納芸能へ  国指定の重要無形民俗文化財・竹富島の種子取祭が、 11日の「トゥルッキ」を初日として10日間の日程で始まった。  同夜は玻座間村と仲筋村の狂言部がそれぞれ長者の家で、 舞踊部は3集落の集会所の神前で、公民館執行部と祭の役割、 奉納芸能を無事に行えるよう祈願した。  今年は阿佐伊拓、藤井幸吉、内盛朋恵、前本とわさんらが 初舞台を踏む。  夏休みに帰省した学生、婦人達も練習に励んでおり、 トゥルッキを済ませ、緊張感が高まっている。  15日は早朝から住民総出の作業。舞台の幕舎張り、神司と 公民館役員は各御嶽を回って種子取の願い、種子まきなどを 行う。  そして17日午前6時から弥勒起こし、バリビルの願いなどの 儀式が続き、同9時半から庭の芸能、続いて玻座間村の舞台芸能 が奉納され、夜通し各家を回って言祝ぐユークイが行われる。  さらに18日も引き続いて早朝からムイムイの儀式、仲筋村の 芸能が奉納される。 …

竹富島に関する記事 2点

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 10月に入り、島内はいよいよ“そわそわ”してきました。 昨晩の各集落の定例会、本日は島内の清掃検査が行われます。  こうしたなか、昨日(10月8日)の八重山毎日新聞には 17、18日に執り行われる種子取祭奉納芸能に関する記事が 掲載されています。 今年も大勢の島出身者ならびに二世、竹富島ファンが 種子取祭にやって来ます。  さらに、十文字恵美さんが東京でリサイタルを開催した 記事が掲載されています。十文字恵美さんは、「竹富育ち」 の作詞作曲で知られる内盛唯夫氏のお孫さんにあたります。  竹富島においても、生年合同祝賀会や、ゆがふ館開館4周年 イベントなどでも竹富島コーラスグループの指導に当たっています。 (ta) 今年も大勢の奉納団を派遣 東京竹富郷友会 17日から種子取祭  東京竹富郷友会(市村高也会長)は今月17、18日の両日に 催される島の一大行事「種子取祭」(国の重要無形民俗文化財) に今年も多数の奉納団を派遣することになった。  種子取祭を間近に控えた4日、品川区の五反田シルバーセンター で役員会を開き、奉納団を参加者数や日程の確認、「世乞唄」の けいこを行った。  それによると、1日現在で郷友の参加申し込みは75人、そのほか、 全国竹富島文化協会会員や郷土史家、所沢市議会議員ら15人が参加 を申し込んでいる。  また、11月1日に全国竹富島文化協会主催の文化講演会で沖縄国際 大学教授・狩俣恵一氏が「しきた盆とうつぐみの心」を演題に講演 することから、種子取祭の全容を見たいという問い合わせもあり、 2日目の奉納芸能までには140人が島を訪れる見込みだ。  奉納団派遣の目的は、過疎化が進み、最も力を要する幕舎張りや 飯初(イイヤチ)作りなどの労働力を補って島の文化を学び、会活動 に役立てようと企画したのが始まりで、今年で32回目を迎えた。  市村団長は17日夜、玻座間村や仲筋村のトゥヌイムト(家元)を 表敬するほか、舞踊部を訪れ、激励する。 長包の歌を熱唱 十文字恵美リサイタル  石垣島が生んだ沖縄近代音楽の祖、宮良長包メロディーが 歌い継がれた―。 「あのうた・この唄~石垣の風に乗せて~」と、銘打った 「十文字恵美ソプラノリサイタル」が5日、東京千代田区の 松尾ホールで催され、多くのソプラノファンが長包メロディー や美声に酔いしれた。  トークでも定評のある十文字さんは、沖縄音楽や長包 メロディーの素晴らしさを紹介。「芭蕉布」から始まり、 数ある「長包節」の中から「母恋し」「あかゆらの花」。 そして「さとうきび畑」「千の風になって」など17曲を 熱唱した。  幕間では「長包音楽を知ったのは石垣島に転居してから。 6月に開かれた宮良長包音楽祭に出演させてもらった。自然 や文化、風習、そして音楽などの多くの出会いがありました。 素敵な島です」と話した。  東京芸術大学卒業。二期会オペラスタジオ修了。第6回 ニッカポッカチオ新人賞で1位獲得。ミュージカルや映画挿入 歌など幅広い活動。日本歌曲、カンツォーネ、ミュージカル ナンバー、ポップスと幅広いレパートリーを持ち、2006年に 石垣島に転居。新たな活動の場を広げている。  祖父母の内盛唯夫・カツさん(故人)は竹富島出身。琉球 人差別の風潮が残る1951(昭和26)年、NHKラジオ「民謡 お国めぐり第19集」に出演。「マミドーマ」「安里屋節」を 紹介した。恵美さんの美声も祖父母譲りかも。  ファンの一人は「長包作品は美しく優しく、情緒にあふれ、 郷愁の念を強くする曲ばかり」と目頭を熱くしていた。 (2点とも有田静人 東京通信員) …

敬老会に関する記事2点

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 今日の八重山毎日新聞には、竹富島で開催された第85回敬老会 に関する記事と、東京竹富郷友会による第29回敬老会の記事が 掲載されています。  竹富島の敬老精神は昔から篤く、1924(大正13)年から敬老会 が開催されています。    竹富島には 「ういひとぅや きないぬ たから」  (老人は家庭の宝である。)  という諺が遺されています。  年配を敬う精神が根付いている地域でもあります。 (ta) 島をあげて長寿を祝う 竹富島で敬老会  全国で最も早くから開催、継続している竹富島の敬老会が21日、 竹富まちなみ館で開催された。  竹富島では15日を国の祝日と制定される40年前の1924(大正13)年 に、当時の上間広起村長により始められたという。宇根勝末公民館長 は「島のために尽くした先輩を敬い、きょうは子孫の舞踊も用意して あるので楽しんでください」とテードゥンムニで式辞、70歳以上の会 員83人の名前を読み上げて紹介した。  祝宴では新田長男町会議員が「旺盛な敬老精神が長寿の島となって いる。お年寄りは一人ひとりが図書館、博物館。これからも健康に留 意し後輩に伝えてください」と乾杯のあいさつ、各集落から舞踊が 披露され、今年新入会した友利民さんの孫、ひ孫が飛び入りであやか り太鼓を打って会場をにぎわした。  高那三郎老人会長は「きょうは老人にとって最高の日となった。 みんなに感謝し、外山久太郎診療所長の話をよく聞いてもっと長生き しましょう」とあいさつ。最後は全員でクイチャー・モーヤーを踊っ て精いっぱいの喜びを表していた。 お年寄りの健康と長寿を祝福 【神奈川】  83年の歴史のなかで100歳の誕生は初―。東京竹富郷友会(市村高也 会長)は21日、川崎市内のホテルで長年にわたり地域や会発展に貢献 したお年寄りの長寿と健康を祝う「第29回敬老会」を催し、ファーマー (子孫)らによる郷土芸能などで楽しいひとときを過ごした。  招待されたのは、国島ヒサさん(100歳)を筆頭に、今年敬老の仲間 入りした辻武子さん(73)ら71人が異郷の地でかくしゃくとしている。  式典は元気な姿をいつまでも残そうと記念撮影から始まり、市村会長 が「後期高齢者医療や年金問題などお年寄りを取り巻く環境は厳しい。 お元気な姿で出席されたことが何より。長い人生の中で培われてきた 貴重な知恵と経験でご指導ください」と労をねぎらった。  お年寄りを代表し富本栄さんが「ギョーザやミルク、事故米と人命に かかわる食品汚染問題が後を絶たない昨今ですが健康管理は自分自身で、 自ら展望を開き、地域社会に役立つ老人になりたい」と謝辞を述べた。  新企画「お年寄りにインタビュー」では、大内玲奈ちゃん、有坂もも ちゃん(小4)=中嘉山春さんの曾孫=が登場。国島ヒサさんに「得意 科目は?趣味は?初恋は?」と大人顔負けの質問に「小学生のころは 算数。今はカラオケと編み物が日課」と即答する頭の回転はまだ60代。 ちなみに来年は、前新トヨさん100歳と90歳以上が11人も。  祝宴は、クヤマー会による「かぎやで風」や島に伝承される民謡など が次々と演じられ精いっぱい祝った。 (有田静人東京通信員) …

住民観光客詰めかけ熱気(八重山毎日新聞9月7日号)

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 9月7日付八重山毎日新聞に 第31回テードゥンムニ(竹富言葉)大会の記事が掲載されています。  八重山には「言葉は竹富に習いなさい」 という諺があるとおり、テードゥンムニには、 単語、発音いずれも美しい言葉が遺されています。 ムニバッキタ シマバッキ シマバッキタ ウヤバッキルン (言葉を忘れると 島を忘れ 島を忘れると 親を忘れる)  竹富島の諺です。  この諺の力強さが、未だに竹富島には遺されています。 (ta) 住民、観光客詰めかけ熱気 テードゥンムニ大会で熱弁  地方文化の原点である方言を大事にしようと始まった テードゥンムニ大会も31回目を迎え、5日夜、まちなみ館 で開催された。  毎年の大会を楽しみにしているお年寄りが早々と集まり、 宿泊の観光客も詰めかけ、すべてテードゥンムニで進行する 退会を楽しんだ。  大会は、かすりの着物姿の保育園児によるわらべうた5点 で幕開け。小中学校全員が単独や兄弟、グループで演壇に立ち、 また学校職員も参加して15演題を発表した。  結願祭も間近とあって、中学生が「始番狂言」を演じ、 内盛家の兄妹が母・祖母の応援で「豊年祭の唄」を歌った。  発表後は、これまで児童・生徒や教師にテードゥンムニを 指導してきた前本隆一さん、古堅節さんに感謝状が贈られた。  4日間にわたって竹富島を多面的に調査していた淑徳大学 谷沢ゼミの20人は、「意味は分らなかったが、30年以上も こんな形で島の文化を守ろうとしているのは素晴らしい」 と話していた。 …