移転約束の協定書締結(八重山日報6月29日)

/
 本日の八重山日報には、(有)竹富観光センターの 水牛車営業所移設問題で大きな進展があったとの報道が なされています。  竹富島を揺るがす大問題に解決の道筋ができたことを、 心から嬉しく思います。 (ta) …

竹富町戦没者追悼式(八重山毎日新聞記事)

/
 本日の八重山毎日新聞には、 昨日竹富島で行われた竹富町戦没者追悼式についての記事が 掲載されています。  毎年6月23日を迎えるたびに、日々の穏やかな生活が いかに貴重であるのかを思い知らされます。 (ta)   戦争の事実と教訓後世に 竹富町戦没者追悼式  第47回竹富町戦没者追悼式が23日午前10時から、 「竹富町出身戦没者慰霊之塔」の前で行われた。  大盛武町長は「家族や友人などの多くの人が亡くなり、大きな悲しみ を与えた沖縄戦から63年たった今でもその傷が癒えることはない。八重 山では戦争マラリアにより、幼い子どもも含め尊い命が失われた。二度 とこのような悲惨な戦争が起きないよう、事実と教訓を後世に正しく伝 えていきたい」と追悼の言葉を述べた。  続いて竹富町中学校(石垣安志校長、児童生徒数35人)が平和への 願いを込めて「月桃の花」を合唱し、生徒を代表して仲村渠昌彰君 (中3)が「この沖縄で恐ろしい戦争あったことを忘れず、平和の時代 に生きる人間として、責任を持って戦争の恐ろしさや悲惨さなどを 伝えていきたい」とあいさつした。  このあと、通事隆一町議会議長や宇根勝末竹富公民館長、 戦没者遺族、一般参列者らが焼香し、戦没者の冥福を祈った。  父親を戦争で亡くした佐加伊ハツさん(94)は「父は戦争にかり出さ れサイパンで戦死した。大切な人が死んでしまう戦争はとてもつらい思 い出。今はかわいい孫たちの笑顔を見ることができて幸せだが、この子 たちが戦争に巻き込まれてしまったらと考えたら、胸が締め付けられる。 二度と戦争は起こしてはならない。」と話した。 …

星砂の島第11号発刊!

/
 全国の竹富島ファンが加入する全国竹富島文化協会の 「星砂の島」第11号が発刊されました。  もうすでにお手元に届いている会員の方もおられると思います が、狩俣恵一全国竹富島文化協会編集委員長の巻頭言には、 現在の竹富島に浮上している出来事、また、今後の竹富島の 展望が明快に論ぜられています。  狩俣恵一編集委員長の了解をいただき当ブログに転載します。 竹富島の将来を俯瞰する上で、欠かすことができない意見が 述べられています。  是非ともご一読いただきたいと思います。 (ta) 竹富島観光の行方 ―星野リゾートに向き合うことの重要性― 全国竹富島文化協会編集委員長 狩俣恵一  竹富島では、復帰前の昭和45(1970)年頃から土地が買い占められるようになり、島を守ろうという意識が高まってきた。そして、種子取祭が昭和52(1977)年に国から重要無形民俗文化財に指定され、昭和61(1986)年の竹富島憲章の制定、翌年、いわゆる町並み保存地区の選定。そして、それらが竹富島の進路を決定したといっても過言ではない。というのは、それ以降の竹富島は、土地を守り、歌・芸能・祭りなどの伝統文化および集落の景観を資源として、観光業に取り組んできたからである。  要するに、竹富島は、協同一致の「うつぐみの心」で竹富公民館の自治組織を強固にし、外部資本によるリゾートを拒否することで、島の伝統文化と景観を資源として自力の観光業を営んできたが、重要無形民俗文化財指定30周年、町並み選定20周年を迎えた今日、竹富島には大きな変化の波が押し寄せている。  一つは、「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」ことである。おそらく、このような個人業者は、観光業で利益が得られなくなったとき、竹富島から去るであろう。言い換えるならば、竹富島の観光業は、従来、「島で生活するため」に営んできたが、利益第一の個人業者は、経済行為を遂行する権利意識が強く、島の「うつぐみの心」を軽視し、「伝統文化の継承」と「景観の保全」には鈍感である。竹富島の観光が脚光を浴びるようになったことで、心ある島民の意見を聞かない「利益第一主義の個人業者」が、わずかではあっても竹富島に出現したことは島の将来を危うくしており、不安の種である。  二つには、株式会社星野リゾートが、竹富島のアイヤルに40棟~50棟ほどの赤瓦の家を建てる「竹富島東部宿泊計画」を進めていることである。星野リゾートが竹富島にやってくるという話を聞いただけで、竹富島憲章は破綻したと考える人も多く、島の将来はどうなるだろうと心配する声も聞かれる。星野リゾートも利益第一主義の個人業者と同じく「島で生活するため」だけでなく、利益優先を目的としていることを島の人は知っているからである。しかし、竹富島憲章制定以前に売られた土地が、どのようにして買い戻されたのかという経緯を知っている多くの島の人は、単純にリゾート反対とは言えない現実に直面していることも知っている。お金の面から見るならば、竹富島の土地は、借金で買い戻したが、その返済ができないため再び売られてしまったからである。そのようなことがあって、星野リゾートは、竹富島の上勢頭保さんを共同代表取締役とする「南星観光株式会社」を新たに設立して竹富島の観光事業に参入することになったのである。  これまであまり表面だって語られることはなかったが、昭和30年代、ある会社が竹富島に牧場を作るため、一坪3セント~5セントで土地を買った。それが、竹富島の土地の「まとめ買い」の始まりだったと思われる。今回の出来事で初めて知る人もあったように、反対運動の先頭に文字通り体を張って立たれていたのは、保さんの父である昇さんである。そのお父さんの思いを引き継いだとは言え、竹富島の約三分の一の面積(約60ヘクタール)の買い戻しに至るまでの保さんの苦労は想像に絶するに余りある。それが今回、外国のファンド会社などに売られてしまった。その評価額は、莫大な金額になるという。このようなお金は、竹富島にはない。竹富町にもない。また県や国も出してくれない。したがって、竹富島はリゾートを受け入れざるをえない状況に直面しているのである。このような状況の中、上勢頭保さんは水面下で現状打開を模索し、かつ土地を売らないで観光業を続けることはできないかと考え、白羽の矢を立てたのが星野リゾートである。そして、去る3月18日の「竹富町伝統的建造物群保存地区保存審議会」は、新会社の南星観光株式会社による「竹富島東部宿泊施設計画」を承認したのである。その現実を踏まえた上で、竹富島の今後は、どうあるべきだろうか、考えてみた。  思い起こされることは、先述した「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」という問題である。スケールの大きさは異なるが、竹富島の「利益第一の個人業者」も、星野リゾートも「観光業で利益を得ることを第一の目的」としていることに変わりはない。しかし、利益優先であったとしても、将来もなるべく永く竹富島でリゾートを続けようと考えるならば、利益第一の個人業者も、星野リゾートも、共に「うつぐみの心」「伝統文化」「景観保全」の重要性を理解する必要がある。  幸いにも、星野リゾートは、永続的な竹富島での観光業を希望しており、軽井沢で先祖の土地を百年に亘って守ってきた実績を持つと同時に、次のような経営観念を持った会社である。  ~自然環境が豊かなリゾート地においては、それを資源として活かしながら保全に努めるとともに、施設運営による周辺環境への負荷を限りなくゼロに近づけることが求められています。リゾートの運営を専門分野とする星野リゾートにとって、低環境負荷の運営をする能力は、重要な企業競争力の一つであるのです。~  星野リゾートは、その経営理念のもと第一回エコツーリズム大賞をはじめ、水・エネルギーなど、数々の環境に関する成果をあげた評価の高いリゾート会社である。また、星野リゾートが竹富島憲章の精神を重視し、「土地を売らない」「活かす」を組み合わせた「竹富島土地保有機構」という会社を設立したことは、傾聴に値する。そればかりではない。星野リゾートの集客力は大きく、旅行代理店の影響力は小さい。そのことは、老舗の星野リゾートの経営力を示すと同時に、他のリゾート会社とは一線を劃していると考えているとよい。  リゾート会社のほとんどが、乱開発と時流に乗って儲けようとしてきたが、失敗すると転売することを繰り返してきた。その結果、地域には廃墟と環境破壊だけが残される。そのようなリゾート会社が多い現状において、「リゾートは悪」というイメージがつきまとう。 特に、近年、石垣島では、リゾート会社による乱開発で環境破壊が進み、さまざまな問題が生じている。その要因の一つとして、受け入れ側の自然破壊や景観に対する意識が低く、無条件に近い形でリゾート会社を受け入れてきた対応の拙さをあげることができる。その意味において、竹富島は石垣島の失敗から学ぶべきことが多い。つまり、リゾート会社の経営力・環境への配慮・集客力・地域との共生、等々を検討し、きちんと話し合うことが肝要である。  幸運にも星野リゾートは、私たちの対応次第では、我が竹富島にふさわしいリゾート会社になれる可能性が高い。しかも、これまで竹富島を守ってきた上勢頭保さんを高く評価し、正式な共同経営者としての位置においていることである。しかし、これまでの説明会は、「竹富島東部宿泊施設計画」の理念や骨格の部分であり、細部における話し合いは充分には行われていない。よって、竹富公民館をはじめ、石垣・沖縄・東京の各竹富郷友会は、我が竹富島がこれまで築いてきた「うつぐみの心」「伝統文化」「素晴らしい景観」を背負って、星野リゾートと率直に意見を交換し、星野リゾートと竹富島が、共生できる理想的な道を探る必要があると考える。私は二度、星野リゾート社長の星野佳路さんと、専務の星野究道さんにお会いしたが、幸いにも両氏とも竹富島の住民及び竹富島関係者との話し合いを望んでいる。  また、南西観光社長の上勢頭保さんと私は、竹富中学校時代からの付き合いであり、共に全国竹富島文化協会の設立、遺産管理型NPO法人たきどぅんを設立した仲である。保さんは経済人として、「竹富島を宝の島」にしたいという理想を持ち続けていると同時に、父・昇さんから受け継いだ土地買い戻しに奔走され、竹富島の「うつぐみの心」「伝統文化」の継承にも尽力してきた人物である。よって、竹富公民館は、星野佳路さん・上勢頭保さんと、ぜひともきめ細やかな話し合いをして欲しいものである。そして、その話し合いは、宿泊施設建設の前だけでなく、開業後も継続し共通理解を得ることが重要であり、新会社の「南星観光」及び「竹富島東部宿泊施設」を通して、我が竹富島が誇る「うつぐみの心」を全国へ、そして世界へと発信することを期待する。  蛇足ではあるが、記しておきたい。3月11日、竹富島のアイノタ会館で、「狩俣・家中うつぐみ研究室」は星野さんを招いて私的な勉強会を開いた。テーマは、竹富島東部宿泊施設計画と竹富島の将来についてであった。女性の皆さんと50代以下の男性が中心で40名ほどの皆さんが集まった。一時間ほどの説明の後、一時間半の質疑応答が行われた。  司会をつとめた鳥取大学の家中茂先生は次のような感想を述べていた。竹富島憲章から20年を経た現在、竹富島の町並と観光について大きな岐路に立っている。そのことを竹富島の人々は日々の生活のなかで自らに問いかけている。今回の星野リゾートの登場も、たんにリゾート受け入れの是非といった水準でなく、今後の島の将来を自分たち自身で開いていくひとつの契機として受けとめている。そのことがこの日の勉強会からひしと伝わってきた。いかに島を立てていくのか、そのときいかに竹富らしくあるのか。個々の思惑を超えた、そのような問いかけこそが竹富島をここまで導いてきたのだろう。「うつぐみ」の力とは、時代の転換点において発揮されるこのような島の叡智を指しているのではないかと教わった、と。  先進的な観光論は、旧来のリゾート開発を否定し「着地型観光」へと進んでいる。将来の展望を見据えて、真剣に意見を交換する島の皆さんの姿を見て、私は、竹富島の観光は近い将来「着地型観光」へと進んでいくだろうと確信した。 …

古謡を謡おう!竹富島の生活を学ぼう!(その2)

/
 昨晩は、竹富島まちなみ館において、 第2回古謡を謡おうの会が開催されました。 (竹富島民俗芸能保存会、NPOたきどぅん共催 「トヨタ環境活動プログラム助成」)  連日連夜の集まりの影響や、竹富島コーラスグループ メンバーが練習で参加できなかったため、今回の メンバーは僅か11名。少々さみしい参加者となりましたが、 みんなで『霧下りアヨー』を謡います。  八重山民俗学の先駆者である喜舎場永珣翁をして 「八重山古謡の白眉」とも称せざる『霧下りアヨー』は、 八重山に降りる霧を題材とし、アヨー特有の対語対句を重ね、 さらにきれいな韻を踏んだ歌詞の構成となっています。 霧下りアヨーの1番と2番を例にとりましょう。 1…

八重山毎日新聞論壇(6月20日付)

/
 本日の八重山毎日新聞論壇には、蔵下芳久氏による 竹富観光センター水牛車営業所移転問題についての私見が 掲載されています。  竹富島における水牛車営業所移転問題を独自の視点で捉え、 論理を展開する蔵下芳久氏は、現在石垣島にお住まいの有識者です。  竹富公民館協力費やリゾート問題の取り上げ方について、 島内に住む者としては多少の異論はありますが、 総じて蔵下氏が述べている、「現代における病」が少しづつ 竹富島を蝕んでいることや、竹富島の理念である 「うつぐみの精神」に対してエールを送られている点については、 私たちは真摯に受け止め、答えていかなければなりません。 (ta) 竹富島の水牛車ステーション問題を考える。 蔵下芳久  竹富島にある(有)竹富観光センター(以下竹富観光)が、島のほぼ中央にある竹富小中学校、保育所、まちなみ館、診療所、郵便局と竹富島創建の神を祀った清明御嶽(マイヌオン・始番狂言では「島ぬ元」)の聖域近くに、観光水牛車ステーションを強行移設したことが、うつぐみ(慈しみ)の精神で知られる竹富島の共同体に、不気味な不協和音をもたらしているので、私見を述べたいと思います。 資本の魂  水牛車の移設問題は、うつぐみの精神を大切にしている竹富島に商品・貨幣の論理と資本の魂が入り込んで、伝統的な共同体的人間関係に、複雑怪奇な対応を余儀なくさせています。  『聖書』の「ヨハネ黙示録」が、「彼ら(諸商品のこと)は心を一つにして、おのが能力(ちから)と権威とを獣(貨幣のこと)にあたう」と述べているのは、特殊の商品である資本の利益追求が、あたかも人間に生まれながらにもっている自然的な権利に傾倒して見えることによって、資本の神秘的な性格を隠しています。  つまり、商品・貨幣や資本は、人間がつくり出したものでありながら、人と人の関係をモノとモノの関係に変えるという神秘的な性格を持つがゆえに、人間の目をくらますことができるのです。  それゆえ、個人的には好人物であっても、自らが没落したくなければ、資本家としては「全精神が直接眼前の金もうけに向けられ」(マルクス『資本論』)ざるを得ないのです。  本件の場合は、住民の水牛車ステーション移設に反対する意思表示に対して、竹富観光の経営者が、どうして自分の楽しみ(利潤追求)に、他人が反対するのかがわからなくなっているのは、資本の魂にひざまずいたがゆえに、うつぐみの精神が衰弱した徒花(あだばな)といえなくもありません。 持続的開発の論理  狭い竹富島に水牛車がひしめくことは、生態系をかく乱する要因となり、住民の声を無視した水牛車ステーションの強行移設は、うつぐみの精神の息づく共同体に、回復のできない亀裂をもたらすことが危ぐされます。  竹富観光の所業は、行政手続きを踏んだように見えますが、ありていにいうと、「将来の世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日の世代の欲求を満たし人類相互の、そして人間と自然との調和を促進する」持続的開発の理念(環境と開発に関する世界委員会報告「地球の未来を守るために」)が欠落しています。  竹富観光が当面の経済収益を守り、ライバル社との生き残りをかけた競争意識で水牛車ステーションを強行移設することは、文科省が認定した重要伝統建造物群保存地区や「竹富島景観形成マニュアル」からの逸脱であり、「営業の自由」とは「似て非なるもの」、「後は野となれ山となれ」式のカラスの勝手主義に過ぎないといえるでしょう。 うつぐみの精神の再建を  チンパンジーの社会では、長老の支持がなければボスになれないが、竹富島の種子取祭の奉納芸能の始番狂言、大長者(ほんじゃ)では長老が重要な役割を果たし、幾歌でもお年寄りには畏敬の念がはらわれ、シマほめ唄の「しきた盆」では「賢くさや うつぐみどぅ勝さりようる」と誇らしげに唄われています。  本土復帰前後の土地買い占め騒動を乗り越えた竹富島では、1986年3月、長野県妻籠宿憲章に学んで「竹富島を生かす島づくりは、優れた文化と美しさの保存がすべてに優先される」という竹富島憲章を採択しました。  ところが、最近あふれるような観光客の入域で、公民館側によるテレビ局への協力金の付加やリゾート問題の急浮上にみられる商品・貨幣の論理の浸透で、人間関係や自然環境の変質は、長老の役割の希薄化にも現われています。  島内外の人々を魅了してやまないうつぐみの精神は、お互いの夢や希望や願いを分かち合い、響きあう関係であり、竹富人には、困難はあっても、この高邁(こうまい)な理想を再建する勇気と知恵が今ほど求められている時はないのです。  くぬ(この)願いどぅ(を)願ゆる  くぬ作法どぅ 手摺(てぃじ)りようる(祈願する)                     『命果報ゆんた』 …

竹富町議会一般質問(八重山毎日新聞記事)

/
 今朝の八重山毎日新聞には、昨日行われた 竹富町議会の一般質問に関する記事が掲載されています。  一般質問において、NPOたきどぅんが助成した 「観光ルネサンス」事業における「旧与那国家住宅周辺整備」 に竹富町が支出した500万円の使途についての議題が上がっています。  記事を読んで思うことは、町議会議員、新聞記者も含めて、 観光ルネサンス事業における成果が正当に評価されていないと いう点です。まだまだ私たちがこの事業の意義、成果、問題点を 世間にしっかりと伝えきれていないことがよく判りました。  この場をお借りしてお詫びをするとともに、 今後、さらに「観光ルネサンス事業」における真実を明らかに すべきであると感じています。 (ta) 「国などに軽減策を訴え」 航路運賃値上げで町長  6月定例竹富町議会(通事隆一議長)は、17日、黒島彪、竹富博彬、 西表貫之、西大舛高旬の4氏が一般質問を行い、一般質問はすべて終了 した。大盛町長は、離島航路の運賃値上げについて、「船会社も苦渋 の選択だったと思う。町民生活に大きな影響が出ないよう、国や関係 機関に軽減策を訴えていく」と述べた。西表氏のへの答弁。  黒島氏は竹富島のリゾート計画を審議した5月16日の町リゾート開発 審議会(会長・山田耕治副町長 15人)が非公開だった理由を尋ね、 大盛武町長は「意図するものは何もない」と釈明。黒島氏は「それな らなぜ非公開なのか」と納得しなかった。  また、黒島氏は同リゾートの計画地を所有する竹富土地保有機構 (本社・竹富町竹富)の代表取締役に長野県のリゾート経営者が就任 している点を「竹富島憲章に違反している」と指摘したが、大盛町長 は「竹富島憲章は島の住民が自ら決定したもの。同憲章に合致するか (町が)干渉すべきではない」とかわした。  特定非営利活動法人(NPO)「たきどぅん」(上勢頭保理事長) の補助金不正受給問題では、大盛町長は「旧与那国家修復の事業主 体である町が母屋の整備と一括して周辺整備を組み入れるのが正しい ということ」と答弁し、問題の補助金で行った周辺整備を町が実施し ていれば、不正受給問題を防ぎえたとの見解を示した。 …

竹富島のエコバック

/
 竹富島に訪れる方々に大変ご好評頂いている 『素足で感じる竹富島』ツアーの素足グッズの一員 となった「竹富島エコバック」ですが、竹富東港 「てぇどぅんかりゆし館」内総合案内所でも販売しています。  竹富島をあしらったエコバック。 竹富島カラーであるグリーンを用いています。  かさばらず、実用的でもあるため、お土産用として お買い求めいただくお客さまが大勢いらっしゃいます。 予想以上の売行きに、スタッフ一同嬉しい悲鳴を上げています。  ゴミを生まないよう、ちょっとした心がけ。  竹富島からの提案です。  (ta)   …

宮良透さんがマンダラー(6/15 八重山毎日新聞記事)

/
 本日の八重山毎日新聞には、仲筋村ご出身の 宮良透さんが、97歳の祝いであるマンダラー (カジマヤー)祝が石垣島で行われた記事が掲載 されています。 戦後、仲筋村の男性では初といわれるマンダラーヨイ。 竹富島内では勿論のこと、特に仲筋村の方々の喜びは ひとしおであったと思われます。 (ta) 子や孫集い、長寿祝う 宮良透さんがマンダラー  石垣市登野城の宮良透さんの97歳を祝うマンダラー (カジマヤー)が14日午後、市内のホテルで開かれた。  会場では、子や孫による「あやかり節」や「赤馬節」など が披露され、花束や記念品が贈呈された。  宮良さんは1912年に竹富島仲筋村で生まれ、かやぶきや 石積みの職人として竹富島のまちなみづくりに貢献、また NHKの営業部や先島地区の選挙管理委員会委員長なども 務めた。現在は子や孫、ひ孫総勢56人に囲まれ、日課の新聞 を1日3回読むことや趣味の折り紙やはり絵などを楽しんでいる。  長生きの秘訣(ひけつ)について宮良さんは「何事も前向き に考えること。孫やひ孫と遊ぶことで元気をもらっている。 これからも100歳、120歳まで長生きできるよう、健康に気をつけて いきたい」と笑顔をみせた。 …

6月14日付 八重山毎日新聞

/
 本日の八重山毎日新聞には、竹富町議会議員による 竹富島視察の報道と、喜宝院蒐集館に有形民俗文化財 の登録証が手渡されたとのニュースがありました。  仮設の建設物も条例によって規制し、容易に建設できないと する法案を否決した町議会ですが、大問題となっている仮設の 水牛車営業所施設を視察し、住民の声を聞いてどのように思案 されたでしょうか。  喜宝院蒐集館収集物4,000点のうちの842点が沖縄県初の 有形民俗文化財に登録されたことについては、竹富島、 ひいては沖縄の庶民が用いた道具が文化財として認められた とも言えます。 (ta) 水牛車、リゾート問題で視察 住民側は要請書提出 竹富町議会  竹富町議会(通事隆一議長)の議員11名が13日午前、竹富島の (有)竹富観光センター(小底朝吉代表取締役社長)仮設営業所 とリゾート計画地を視察した。  仮説営業所の視察では、竹富公民館の宇根勝末館長と竹富島の 宇根勝末館長と竹富島の聖域・文教地区を守る住民の会の 大山栄一会長がこれまでの経過を説明し、大山会長は、「竹富島 の将来・町の観光政策にとってどうすることが有益なのか検証 してほしい」と訴え、通事議長に要請書を手渡した。  要請では、仮説営業所の移設場所が保育所や小中学校のある 文教地区で、また水牛の排せつ物など衛生面での影響、プレハブ が町並みの景観を損ねていることなどが問題化しており、町教委 では歴史的景観地区保存条例に違反しているとして撤去命令を出し、 また中学生以上の住民の82%の反対署名を得ていることを強調し ている。  説明を受け、総務財政委員長の新田長男議員は「住民側の意見も わかるが、営業所側も生活がかかっているのですぐの撤去は難しい。 互いに話し合い納得のいく形で解決するのが望ましい。行政が間に 入り、対処していく必要がある」と話した。  リゾート計画地の視察では、島の北東部の予定地で計画図面など を見比べながら確認した。 喜宝院蒐集館に登録証 生活用具842点 国の有形民俗文化財に  収集した「竹富島の生活用具」が国の有形民俗文化財に登録された 喜宝院蒐集館に13日、登録証が届いた。伝達式が町役場であり、 大盛武町長が上勢頭芳徳館長に手渡した。  上勢頭館長は「普通の人が普通に使った道具が価値あるものとして 認めてもらったことはありがたい。先代が収集した文化財を次の世代 に継承してきたい」と決意を新たにした。  大盛町長は「昔のたたずまいが登録されたことは意義深い。この機会 に多くの文化財を広めてもらいたい」と激励した。  喜宝院にある約4000点の資料のうち、842点が3月7日付で 文化財に登録された。 …

朝日新聞2008年5月27日付朝刊記事

/
 5月27日付朝日新聞朝刊『わが家のミカタ』の記事に、 昨年12月4日に重要文化財に指定された「旧与那国家住宅」 修復にかける文化財建造物修理主任技術者の村田信夫氏の 記事が掲載されています。  修復のプロの情熱、そして後継者育成にかける想い。 竹富島でのユイマールの精神が詳しく述べられています。  この記事を掲載するにあたり、新聞記事をお送りいただいた 村田信夫さん、埼玉県のT.Oさん、そして快く掲載を許可して いただいた朝日新聞社に心より御礼申し上げます。 (ta) 沖縄・竹富島。修復のプロ招き、集落総出の「ゆいまーる」 保存の技 地元で復活  いつまでも、あると思うな技と腕。台風被害の深刻な沖縄の離島では、コンクリートの家が増え、伝統的な民家はいまやわずか。そこで招かれたのは、文化財建築の修復のプロ。厳しい仕事ぶりに最初は戸惑った島民も徐々に作業に参加、やがて集落総出の手伝いに。修復にかける情熱が島にもたしたのは、最西かつ最南の国の重要文化財指定という名誉と友情でした。 (神田 剛)  周囲9キロ、人口320の竹富島。白砂を敷いた道路沿いに、 サンゴを積んだ石垣(グック)が続く街並みは、観光客にも人気の スポットだ。  だが、島は猛烈な台風の通り道。大半の家は1970年代以降、 コンクリートで補強された。景観上、杉板で覆って隠しているが、 木造の家はわずか。そんな中、旧与那国家住宅は例外的に、 13(大正2)年の建築時の姿をとどめてきた。  母屋(フーヤ)の屋根は当時、茅葺の代わりに普及し始めた赤い瓦。 シーサーを飾る習慣もなかった。建物の四方は縁側で、玄関はない。  柱は西表島産のイヌマキで、それを地面で受ける束石は吸湿性の 高いサンゴ。柱を湿気から守る工夫だ。  長年空き家で傷みが進み、解体寸前だったのを 竹富町が購入。(※1)03年から保存修復が始まった。  「ヒトがいない。モノもない。これは大変や」  修復の指揮に招かれた村田信夫さん(62)は滋賀県教委で 文化財建造物を担当してきた修復のプロ。  退職後も各地の現場を飛びまわるが、今回はさすがの村田さんも 驚いた。伝統的な建材も技術も、とうにすたれていたからだ。  当然、現地の建設会社も職人も、文化財として建物を修復する のは未経験。  床板のクギを抜くのにバールを直接あてて傷をつける。 火気厳禁の現場で、「ま、いいさぁ」とたばこをふかす。 早々に村田さんはマジ切れ。怒鳴られた職人は現場に来なくなった。  「いや、もう大変でした」。建設会社の根原史光さん(31) は言う。職人との板挟み以上に参ったのは、村田さんから弟子と 見込まれ、徹底的にしごかれたことだ。  保存修理は、建物を丁寧に解体して構造を記録。最小限の修理を 施して、再び元通り組み立てる。  村田さんは根原さんを横に立たせ、作業の手順や修復の技術を たたき込んだ。  「気安い職人を連れてきたら話は早い。でも、それやと島に建物 を直せる人間が育たへん」と村田さん。「技術を持つ者は、誰かに 伝えなあかんのです」  一方、村田さんは、島の人たちに頭を下げ、修復への協力を 頼んでまわった。  入手が難しくなっていたイヌマキは、古材を集めていた人が 譲ってくれた。  さらに救いとなったのは、民宿を営む松竹昇助さん(79) との出会いだ。  島には昔、家の新築や修繕を互いに手伝う習慣「ゆいまーる」 があった。中でも松竹さんは床の下地を結ぶ縄作りの名人だった。  村田さんは、松竹さんを先生役に、島の小中学生にも作業に 参加してもらった。子どもたちは、土踏みや竹編みを初めて経験。 数十年ぶりにゆいまーるの光景がよみがえった。(※2)  3年越しの修復保存を終えた旧与那国家住宅は昨年12月、 国の重文に指定された。しかも日本最西端の、そして最南端の。  今月、久々に島に渡った村田さんは、旧与那国家の縁側で 根原さんと向き合った。いまや島で4軒目の民家修復に取り組む 根原さんは言う。「随分しごかれたんで、もう余裕ですよ」  苦笑しつつも、その成長に目を細める村田さんは、さらに南の 波照間島で民家調査の依頼を受けている。  同行するのはもちろん、右腕となった根原さんだ。  記事訂正: (※1) 竹富町は家屋を購入したのではなく、所有者から寄贈されている。 (※2) 数十年ぶりとあるが、家屋修復作業でのゆいまーるを指している。 ゆいまーるは現在でも行われている。 当記事は朝日新聞社に承諾を得て転載しています。(2-0642) その他の無断転載は固くお断りいたします。 …