「ねぷた」登場に沸く(八重山毎日新聞記事)

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 今日の八重山毎日新聞には、昨晩行われた 「南北芸能交流の集い―斜里・弘前・竹富、真夏の共演―」 の記事が、弘前扇ねぷたの写真とともに一面に掲載されています。  竹富島の白砂の道に勇壮なねぷたが練り歩き、 大勢のかたがご覧になられています。  主会場となった竹富小中学校の特設ステージでは 各地域の芸能が催され、ねぷたと共に去りゆく8月の 夜を彩りました。  8月も今日が最終日です。  9月に入ると、竹富島では慌ただしい日々が続きます。 (ta)  「南北芸能交流の集い―斜里・弘前・竹富、真夏の共演―」 (主催・同実行委員会)が30日夜、竹富小中学校特設舞台で にぎやかに開催され、県内でも初めて、知床斜里と本場青森県 弘前のねぷたが島内を練り歩いた。  南北芸能交流の集いは、竹富町と北海道斜里町の姉妹町盟約 35周年を記念したもので、互いの芸能を通して理解や交流を 深めるのが目的。  また、斜里町と弘前市は互いに友好都市で、それぞれ過去に も竹富町と芸能交流を行っている。  この日は約1500人が会場に訪れ、主催者あいさつの後、武者 絵が描かれた斜里町の組ねぷたと弘前市の扇ねぷたが 「ヤーヤドー」というかけ声と共に地域を練り歩いた。  特設会場では、八重山の郷土芸能、津軽三味線やねぷたはやし などが披露され、多彩に催される南北の芸能に会場からは 盛んな拍手が送られた。 …

トンチャー(トンチャーマ)

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 「旧与那国家住宅」で開催された今月の古謡の会では、 神事「世迎い」で謡われるトンチャーマをみんなで謡いました。  神事が行われはじめてから一度も中止したことがなく、 ある意味では竹富島でもっとも重要だと考えられる「世迎い」  五穀の種子を満載した船がトモドイの浜に到着し、 ニーラン石に船のとも綱を引いたとの伝承が残されています。  今回のトンチャーマは、仲筋村で伝承されている歌詞で みんなで謡いました。  仲筋村のトンチャー(トンチャーマ) 1 あがとから くるふにや   ばがいぬ とんちゃーら   ウヤキユーバ タボラル 2 うはらから くるふにや   ばがいぬ とんちゃーら   ウヤキユーバ タボラル 3 いちゃしちゃる ふにくぎどぅ   なゆしちゃる ふにくぎ   ウヤキユーバ タボラル 4 みるくゆば ぬしふにゆ   かんぬゆば ぬしふに   ウヤキユーバ タボラル 5 たきどぅんに とぅるすきてぃ   なかだぎに ひきすき   ウヤキユーバ タボラル 6 みるくゆば だぎょろしてぃ   かんぬゆば だぎょろし   ウヤキユーバ タボラル 7 ややぬ やーやぐーとぅーに   きぶる きぶるーぐーとぅ   ウヤキユーバ タボラル 8 たーらゆば たぼらーれ   ますぬゆば たぼらーる   ウヤキユーバ タボラル  (ta) …

ショーロ(お盆)について(8/18付八重山毎日新聞)

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 18日(月)の八重山毎日新聞には、 8月30日に開催される『ねぷたが竹富島にやってくる』 の詳細や、郡民大会での竹富の活躍が掲載されていますが、  竹富通信員による竹富島のショーロ(お盆)の記事が 掲載されています。 (ta) 女性中心、サングラスなし アンガマが各戸を訪問 竹富島の旧盆  竹富島でも16日の総出作業(スードーリ)まで4日間の旧盆 (ショーロ)を終え、行事の多忙さとは違った日常の忙しさが 戻ってきた。13日には祖先の位牌(いはい)を祭っている家庭 では戸口で迎え火をたいたりして祖先を迎え3日間、毎食と間食 まで付けてもてなし供養した。  石垣、沖縄、本土から帰ってきた人たちが島へ焼香しに来る ため、船便は観光客に加えて竹富出身者も多く見られ、桟橋では 懐かしいあいさつが飛び交っていた。  夜は3日間とも集落ごとにアンガマの一行が依頼された家を 回って踊りを披露し、その家の先祖供養をする。竹富島では地謡 は座敷だが、踊りは仏壇のある2番座の前の砂の庭で行う。  はだしで黒い着物に白い帯を締め、クバかさにほお被りするが、 仮面やサングラスなどは着けない。女性がほとんどなのが特徴で、 近年は男性も子どもも大勢が参加している。  竹富島ではエイサーはもともとなかったが、15年ほど前から青年 たちが始めた。途絶えていた「獅子の棒」も復活させた。  嶺井知葉也ちゃん(小1)は一昨年から参加しているが、今年は 仲村渠昌彰君(中3)と莉沙さん(中2)の兄妹がエイサーデビュー、 民宿ヘルパー等の女性たちと3日間で13軒を回り、元気よく太鼓を 打ち続けた。  なお、集落内外の道路清掃などの総出作業も行われた。 …

ショーロを体験して

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8月も半ば、お盆も過ぎ世間では通常業務に戻ろうとしています。 竹富島でも8月13日から15日までショーロ(お盆)です。 竹富島でのショーロは夜がメインです。 ですから、昼間はお盆の雰囲気はあまり感じることがありません。  夕方、日が落ちていくにつれて集落の雰囲気が一気に変わります。 夜8時頃、各集会場からアンガマ(踊り手)が家々を回る3夜連続の ショーロがスタートします。 アンガマを希望する家々を回り、 約1時間ほど踊りを仏様に奉納します。 このとき婦人たちの出で立ちは少々不思議です。 クバ笠の下に布をかぶり眼だけ出し顔を隠します。 ですから、お互いに知っている者同士でもこのときばかりは 誰なのか不明なことも多々あります。 なぜ、このような格好なのか。 それは、踊り手は”あの世の人”の設定なのだそうです。 ですから、顔を隠しこちらの人だとわかったら連れて行かれる という話もあります。 実際、この格好は呼吸がしにくく大変暑いです。 しかも、ショーロの間はこの出で立ちで3時間ほど過ごします。 当然、終わった後は皆さん汗だくです。 しかし、3夜に渡るショーロを終える頃には、踊り手の中には達成感と 満足感が満ちているようです。 3日目のアンガマが終わったからといってショーロが終了 ではありません。家に帰えると即、ご先祖を送ります。 ウチカビを燃やし食事をします。 そして、翌早朝、スードーリを行います。 道を清掃し穴などを舗装するのです。なぜならば、 仏様が無事にあの世へ無事帰ってくれるように 道を掃き清めるのです。 そして、これで一通りのショーロが終了です。   アンガマもショーロ前から練習を重ね、アンガマを迎える家 も清掃や接待の準備を整えます。 また、アンガマを頼まない家でもたくさんの思いを持って ショーロを過ごされます。  今回、竹富島でショーロを迎えた私は自身のお盆を行っていない ことになります。 15日の夜、ショーロの疲れを体で感じたとき、 自分の先祖に手を合わせたいと心底思いました。 (KU) …

ねぷたが竹富島にやって来ます!

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 今月末にあたる8月30日(土)に、ねぷたが 竹富島にやって来ます!  竹富町は、北海道斜里町と姉妹都市にあたります。 その斜里町と姉妹都市の青森県弘前市によるご好意により、 竹富町と斜里町の姉妹都市35周年を記念して、 今回のイベントが行われるとのことです。 このイベントにあたり、斜里町ならびに弘前市から 関係者が45名ご来島されます。  以前、文化交流ととして竹富島を訪れた関係者は、 竹富島の道幅を測り、竹富島の白砂の道を練り歩ける ようにコンパクトにしています。  勿論、竹富島の芸能も披露されます。  南北芸能交流という言葉にふさわしい交流会が 行われることでしょう。 ********************************************  『ねぷたが竹富島にやって来る!』 日 時:平成20年8月30日(土)午後7時~ 場 所:竹富島 竹富小中学校特設舞台 入場料:2,000円(石垣島からの往復チケット代込)     竹富島住民は500円 ********************************************* (ta) …

豊年祭の季節を終えて(8/11 八重山毎日新聞)

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 今日の八重山毎日新聞には、八重山の豊年祭に関する 上勢頭芳徳 喜宝院蒐集館長の記事が掲載されています。  盛大に行われた竹富島の豊年祭や四カ字、宮良の豊年祭 について触れています。  古くより八重山で執り行われてきた豊年祭。 それぞれの地域、それぞれの人が祭祀に携わる「思い」 を上勢頭芳徳氏の文章から読み取ることができます。 (ta) 豊年祭の季節を終えて (プイ・プーリィ・プール)  毎年旧暦の6月に入ると小暑の節の壬・癸あたりに 八重山の豊年祭が行われるようです。  そんなことで他所の島の祭はなかなか拝見することが 出来ないのですが、今年は幸運にも国立民族学博物館の 研究会が3日間、八重山での現地研修が行われましたので、 研究員の一員として竹富島を案内し、四カ字と宮良は一緒に 拝見することができました。  ミシャクパーシも6キロ離れている竹富と石垣の違いは さることながら、数百メートルの距離しかない四カ字でも 微妙に違っているのですから、それぞれに非常に興味深い ものでした。  金子みすずは「みんな違ってみんな良い」と言いましたが、 「みんな違ってみんな変」と言う民俗学者もいます。それぞれ の住民性の違いが現れてくるのでしょうね。  民俗行事や伝統は時代によって変化していくのは当然です。 いかに美しく変化させていくかが地域の住民性と言えるでしょう。  竹富島についていえば、島の総意として美しい町並みをつくり あげて来ました。その中で伝統的な手仕事や祭りを継承してきま した。その美しい町並みが、最近おかしくなっているのではと 指摘されます。写真が撮れなくなったという声も聞こえます。 言われなくても分っています。何年も調整しているのに経済原理 至上主義におぼれて、島の有り様よりも自身のことを優先する人 が出てきたからです。  祭りの感想を述べようとしているのに、世俗の愚痴になって しまって、神様すみません。お守りいただいてお許しください。 (というプイの道歌が竹富島では歌われます。)  竹富島では芸能の奉納はありませんが、旧暦6月の最初の壬・癸 に「西塘ばんはじり」を行い、次の壬・癸で「プイ」を行います。 1日目は早朝から神司と公民館執行部・長老たちが3か所の村御嶽 を拝礼して解りあげし、御嶽のオンビニンジュと神司はそれぞれの 御嶽でミシャクと御酒をいただき、分かりあげを済ませます。  午後からは公民館執行部と長老たちがプイの道歌を歌いながら 六御嶽を参詣に回ります。各御嶽ではオンビニンジュがドラ太鼓を 打って唱和して迎えます。四カ字とはずいぶん違いますね。  ところでよく、農業をやっていない竹富島で豊年祭・種子取祭 とはおかしいのではないか、ということも言われているようです。 しかし、カマクワを使う農業が衰退したのは復帰後のこと。600年の 歴史と言われる種子取祭の中では一瞬のことです。こんなご時世 ですので、いつまた農業を復活せねばならないかもしれません。  そのためにも神行事としての祭りは、継続していかなければなり ません。それは非農業者である中高生・公務員も一生懸命に豊年祭 に参加している石垣島とて同じことでしょう。  ともあれ竹富島では祭の最中に30分ほど、思いがけない世果報雨 を賜うられました。四カ字でもマイツバ御嶽のアヒャー綱が始まると、 ぱらぱらと濡らすほどの雨でした。その光景はまさしく 1903年(明治36)年1月16日に行われた人頭税廃止を喜ぶ 「新税法実施記念祝賀会」の琉球新報新聞記事、野間慶一の名文を ほうふつさせるものでした。当時の人の気持ちと今も変わらない ものがありますのであえて再録します。  「前略・・・あれ見よ六十近き翁媼等が深き額の皺を無にし藁の 鉢巻にて鐘を叩き手舞いを為すを。又見よ二八か二九の娘か喜色 を眉目に湛え今日を晴れと盛装を擬したる其衣髪に粛々と降り掛か る雨を平気に打ち流し太鼓を打ち囃を掛けて踊るありさまを。 ・・・後略」 竹富町史新聞集成Ⅰより  この時の勝敗決せず綱は見事に結び目より断絶したと言うこと ですが、今年は西の雌綱が勝ちましたので来年の豊作は約束された ことでしょう。  …

富山県相倉地区の少年団竹富島へ

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 本日(10日)の八重山毎日新聞には、 富山県五箇山の相倉少年団の竹富島来島の記事が 掲載されています。  五箇山は、合掌造りの家屋が世界遺産に登録さ れている地域でもあります。  今年は竹富島の子どもたちと交流し、まちなみを 通じた交流が行われています。 (ta) 富山県相倉地区の少年団竹富島へ こぼし子ども会と交流 富山県五箇山の相倉世界遺産財団は子供たちに見聞 を広めさせようと毎年、平小学校6年生を交流団を派遣 しているが、今年も11人のメンバーが6日、竹富島に やって来て、「こぼし子ども会」と交流した。  一行は、ビジターセンターゆがふ館で竹富島について レクチャーを受けたあと、子ども会のメンバー20人と一緒 に食事をし、サイクリングで島内を巡った。  子どもたちのお目当てはコンドイ浜での海水浴。 さんご礁の海の美しさに歓声をあげ、たっぷりと泳いだ後 は砂浜でドッジボール、スイカ割りに興じた。  夜はこぼし文庫で芸能交流会。五箇山地方も芸能の宝庫 と言われている所で、平高校は全国高校総合文化祭の常連校 で八重山勢と競っている。こぼし子ども会は「エイサー」 平小学校は「こきりこ節」と「麦屋節」を出し合って、 終わった後はお互いの楽器を使って交流を深めていた。  すっかり親しくなった子どもたちは7日朝の出発には港に 大勢やって来て、ドラや太鼓、「かりゆしの歌」を歌い、 船が桟橋を離れると次々に飛び込むなど最大級の見送りで 別れを惜しんでいた。 …

プツ(わらじ)が完成しました!

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 民具づくり教室も今回で4回を数えました。 ようやく一つの作品が完成し、今日はお披露目 でもあります。  ちなみに“プツ”とは海人用の草鞋。 日常生活で使用する草鞋と若干異なります。  来周は、ショーロ(お盆)のためお休みです。 再来週は、民具づくりの材料であるアザ(アダン)を みんなで採りに行きます。 (ta) …

「都大路」目指す八重高駅伝部

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 本日(8/5)の八重山毎日新聞には、竹富島で合宿を行った 八重山高等学校駅伝部に関する記事が掲載されています。  八重高駅伝部のハイレベルな練習を体験することで、 レベルを上げ、毎年1月に開催される八重山毎日駅伝大会 での優勝を目指します。  八重山高等学校駅伝部のみなさま、駅伝に情熱を注ぐ 竹富島うつぐみチーム。  都大路と八重山一を目指すよう頑張ってください! (ta)  今年も竹富島で合宿 -「都大路」目指す八重高駅伝部-  「都大路」での全国高校駅伝大会出場を目指す八重山高校駅伝部 が、昨年に引き続き竹富島で13人が参加して1日から3日間の合宿を 行った。  昨年の合宿が好評で成果も挙がったことから、今年も陸協役員の 嶋英忠さんが世話人として受け入れた。  練習コースは1周3.3キロメートルの環状線で、折しも観光 週間で沿道の草刈清掃も行われており、気持ちよく走っていた。  部員たちは暑い最中、みっちりと汗をしぼったあと、夕方には 竹富小中学校「うつぐみチーム・ジュニア」のメンバーを指導しな がら練習に励んだ。  3000メートルトライアルに参加した仲村渠昌彰くん(中3) と新城遼次くん(中2)は「昨年からあこがれの八重高駅伝部と 練習し記録も伸びてきた」とうれしそうに話した。  子どもたちの練習には保護者も記録をとったりして応援し、 「記録も右肩上がりで伸びているので応援のしがいがある」と八重高 の合宿効果に喜んでいる。  1000メートルトライアルでは、5年生の友利海人君が3分36秒 を出し、県の小学生では5位に当たるもので、指導している嶋さんは 「少しづつスピード走法に移っているがよく付いてきている。今日は 八重高との練習で一段と刺激になったようだ」と驚いていた。 …

夏の交通安全県民運動によせて(八重山毎日新聞)

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 今朝(8/3付)の八重山毎日新聞記事には、 與那国光子氏寄稿「夏の交通安全県民運動によせて」 の記事が掲載されています。  有限会社竹富島交通(設立時は竹富島車輌組合) の歴史は、竹富島の観光業の歴史でもあります。 與那国光子氏の交通安全に対する姿勢とともに、 竹富島観光の黎明期を伺える文章でもあります。 (ta) 「変わりゆく竹富」~交通安全で平和な島を目指して~  「皆さん、ようこそ竹富島へお越し下さいまして誠にありがとうございます。さて、この竹富島には、お巡りさんが居ません。島の住民が『お巡りさん』の役目をしてまぁす。私もお巡りさんの代わり、この車でこまわりしていまぁす。」とマイクを通して車を運転しながらダジャレを飛ばし、観光客を楽しませ、バスの名前は光ちゃん号として運転しながら案内を続けて36年になります。  昭和47年沖縄復帰後、トラックの荷台に座イスを作ってお客様に向かい合わせに座ってもらい、名所旧跡で身振り手振りでの説明をしたり、歌ったりしました。このような観光から昭和49年には、沖縄総合事務局より離島振興法による有償運送の許可を得て、竹富島に、普通二種免許で案内できる屋根付のマイクロバス(10人乗り)5台が導入されました。  沖縄海洋博を機に観光客も年々増え、いつかこの島にも大型バスで島めぐりができるのでは・・・と、大型二種免許を取得し、15名乗りのマイクロバスでの案内に代わり、個々の有償運送組合を経て運送事業会社が設立しました。  乗合観光バスや郵便、貨物等の運送業として、30名の社員が交通安全をモットーに日々安全運転をしています。先般、社員や会社に、八重山地区交通安全協会や警察署長より表彰状や感謝状をいただきました。これからも安全運転を第一に努めようと気を引き締めた年でもあります。  会社では毎日、安全チェックを出勤時に行っています。①免許証の確認OK②アルコールチェッカーOK③体調のチェックOK④車のチェックオイル、バッテリー、ファンベルト、ラジエーター液等々OK、エンジンかけ、方向指示器、バックランプ、ブレーキランプ等々-次々と点検し、安全点検OKなら異常なしの無線報告で、シートベルトを着用し出発します。  毎日、当り前に運航前運航後の点検、運航管理、整備管理等、交通事故防止の徹底を組織的に行い、お客さまの安全安心を第一に真心からサービスに努め「来て良かった」「楽しかった」「また来たい!」と喜んで見送れる運転手兼ガイドとして頑張っています。島には水牛車、自転車の観光客も多く、人口わずか350名の小さな島に送迎車も走り廻っていますが、いつも思うのは、竹富島は狭い石垣の垣根の道や見通しの悪いところだらけですので、「飛び出してくるかもしれない」という気持ちを常に持っています。ドライバーとして「死ぬ思い」は避けたいのです。「ひやぁーとする思いは死ぬ思い」を忘れず、人が人を大切にする事故のない安全安心な島を目指します。  これから、飲酒運転を四(シ)ない(ナイ)運動の輪を広げ、①運転者は酒を飲まない②飲んだら運転しない③運転者に酒をすすめない④運転させない。を遵守し、うつぐみの心でみんなが幸福な生活を守るルールを実践しようではありませんか? …