今日のテードゥンムニ

かりゆし館の情報ボードに、「今日のテー…

お盆のような。

お隣の島から竹富島を眺めると。 まっ平ら…

豊年祭

竹富島の豊年祭が8/4~5、二日間にわたって…

十五夜祭

旧暦の8月15日の9月8日は中秋の名月。 暦の…

世迎い(ユーンカイ)

旧暦の8月8日(新暦9月1日) 竹富島では、ニ…

結願祭

一年の願いを解き、感謝のまつり結願祭。 旧暦8月第一“みずのえ”“みずのと”の日を願日と定めて執り行われるます。 8月29日・30日の二日間にわたって行われました。 8月29日は神司による清明御嶽・幸本御嶽・西塘御嶽の夜籠りから始まります。 翌朝、8月30日 神司・執行部・有志による参拝は、 早朝(6時ごろ)彌勒奉安殿からはじまり、全部で23の供物を用意します。 ~ 8月30日の参拝 ~ 01 彌勒奉安殿 (1供物・與那國屋当主・大山屋当主・執行部・有志 供物をいただく) 02 玻座間御嶽 (1供物・供物は下げ、幸本御嶽でいただく) 03 世持御嶽  (2供物・供物は下げ、幸本御嶽でいただく) 04 仲筋御嶽  (1供物・供物は下げ、幸本御嶽でいただく) 05 幸本御嶽  (2供物・供物をいただく) 06 国仲御嶽  (1供物・供物は下げ、清明御嶽でいただく) 08 久間原御嶽 (1供物・供物は下げ、清明御嶽でいただく) 09 花城御嶽  (1供物・供物は下げ、清明御嶽でいただく) 10 波利若御嶽 (1供物・供物は下げ、清明御嶽でいただく) 11 西塘御嶽  (2供物・供物をいただく) 12 清明御嶽  (2供物・供物をいただく 有志の参拝終了) 13 美崎御嶽  (1供物・玻座間御嶽・波利若御嶽神司) 14 親泊御嶽  (1供物・玻座間御嶽・波利若御嶽神司) 15 ニーラン  (2供物・仲筋御嶽・幸本御嶽神司) 16 東美崎御嶽 (1供物・久間原御嶽・花城御嶽神司) 17 西美崎御嶽 (1供物・生盛屋当主) 18 真知御嶽  (1供物・久間原御嶽・花城御嶽神司) 19 根原屋   (1供物・神司・執行部) …

インヌシュ(竜宮祭)

2月20日は「みづのえいぬ」 年に二回、この日を選んで海の神様へ感謝を捧げるインヌシュが各家庭で行われます。 島でも海にむかい感謝と航海の安全祈願がされました。 海の神様は大きいのでしょう、たくさんの供物が捧げられます。 米、酒、茶、アライハナ(洗ったお米)、生餅、タマゴ、なぜか鉄、ヌヌブダーラなどなど (ヌヌブダーラとはコチラ⇒http://www.taketomijima.jp/blog/archives/000978.html) 海と生活が密着している島の暮らしのひとコマです。 …

十六日祭

旧の1月16日(新暦2月15日)は十六日祭です。…

十五夜祭(ジュングヤ)

旧暦8月15日 今日は中秋の名月 日本列島は台風18号の形跡に悩まされ、19号の接近に恐々としている最中のひと呼吸です。 昨夜、すでに大きな月が顔をだしていました。 外灯の少ない島での月明かりはとても明るく、平安時代を彷彿とさせます。 しかし、月が上がっている時は月明かりで星は見えなくなりますので悪しからず。 そんな中秋の名月、竹富島でも十五夜祭(ジュングヤ)が行われます。 十五夜祭は豊作祈願祭であり、男の祭りです。 昼~夕方(3時過ぎ)より、竹富小中学校校庭で行われますので、お時間のある方は覗いて見てください。 夜は各集落会館にて十五夜の餅やススキを供えて月見をします。 皆様にとって良い一夜となりますように・・・…

6月4日は何の記念日?

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竹富島にとって6月4日は、記念すべき一日でもあります。 1976(昭和51)年6月4日から3日間、東京、国立劇場において 「竹富島の種子取」として公演が行われた日にあたります。 当時、選択無形民俗文化財に指定されていた「種子取祭」は、 祭事を維持していく中で大きな波に揉まれていました。 過疎化が進み、島だけで祭事を維持することができなくなり、 石垣竹富郷友会の協力を仰いでいたのです。 1974(昭和49)年、石垣竹富郷友会から一つの提案がありました。 神事は干支どおりに行い、奉納芸能は休日に行えないか。とのこと でした。 竹富公民館は、神事は人間の都合で変えることはできないと 判断し、この提案を拒否します。 よって、この年の種子取祭は、竹富島住民のみで奉納されています。 (この映像は、ゆがふ館にてご覧いただくことができます。) こうしたなか、国立劇場より国立劇場開館十周年を記念して 「八重山の唄と踊り、竹富島の種子取祭の芸能」として出演の 依頼があります。 島から離れた初めての試み、しかも東京に赴き芸能公演を行う ということ。当然、島では大騒ぎになります。 遠く離れた東京で自らの文化を伝えられるまたとないチャンスです。 島民は是が非でも成功させようと、当時の公民館長であった 狩俣正三郎氏を中心に芸能団を結成し、70数名が東京に向かいます。 東京竹富郷友会のメンバーは「竹富島の種子取祭の芸能公演を成功 させる実行委員会」を発足し、芸能団を歓迎し、チケットの販売、慰労会 のセッティングなど東奔西走します。 そして6月4日から6月6日まで、国立劇場において、初の芸能公演 が開催されます。 この芸能公演を観た本土在住の竹富島の若者は、自らの故郷の 素晴らしさを再認識し島へ帰る者、または東京に残った者は郷友会 の活動に力を入れるようになります。 この芸能公演は様々な点からみても竹富島にとって大きな出来事 になりました・・・。 日本テレビで放映されている「おもいっきりイイ!テレビ」6月4日付 放送において、(12:50から12分程度)この記念日のついての紹介が あります。 “竹富島にとって大きな出来事”の答えは、ぜひ番組でご覧ください。 取材を受ける沖縄国際大学教授 狩俣恵一さん (ta) …