NPOたきどぅんについて
竹富島では、自然環境、美しい町並みや耕作地、芸能、古謡、織物、祭事など様々な文化遺産が、人々の生活の中で必要とされ、磨き上げられ、子孫へと継承されてきました。
竹富島の文化遺産とは、島のご先祖たちが長い年月をかけてつくり上げてきたモノやコトであり、島の中の空間やそれを支える技術、生活習慣、知恵、仕組みなどが、すべてつながりあうものであると考えます。
しかし最近では、ことに1972(昭和47)年の祖国復帰以降は沖縄全県的に基盤となる産業が変わり、生活スタイルが多様化し、これまで当たり前にあったものに様々な変化が起こるようになりました。
その結果かけがえのない自然環境、伝統文化、沖縄らしい生活様式などがどんどん失われるような状況になってきました。
幸いにして竹富島民の性格は、進取の気性と伝統を守るという両面性をもっています。
島の生き方を模索せねばならなくなった時、それぞれが情報を広く収集してはみなで夜毎論議を重ねました。
そして伝統を守ることが重要だという結論に達し、島の心として守り続けてきました。
これが「うつぐみ」の精神です。
竹富島は、復帰の時点で島全体が西表国立公園(現西表石垣国立公園)の中に含まれました。
1977(昭和52)年には島最大の祭りである種子取祭が、重要無形民俗文化財に指定されました。
1987(昭和62)年には集落全域38ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その前年には島全体およびサンゴ礁のリーフ部分まで竹富町の保全地区に指定されました。
さらに1989(平成元)年には島の特産品であるミンサーと上布が、伝統的工芸品の指定を受けました。
このように人口約350人(2005年春調べ)の島が国からの評価を4つも持っています。
大事なものとして継承してきたものが評価を受けることにより、自分たちがやってきたことは間違いなかったのだと、誇りと勇気が持てました。
「沖縄の原風景」と評価を受けたものが観光資源となり、来島者が増えてきました。
来島者の増加は雇用を生み若年層のUターン、Iターンを促し、結婚や出産が相次ぎ人口の増加につながりました。
しかし、島に継承されている祭事行事を滞りなく行っていくためには、まだまだ人口が足りません