ミーナライ・シキナライの会 7月24日

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7月24日のミーナライ・シキナライの会の出席者は11名。 そのうち二人は、オブザーバーとして、 「素足で感じる竹富島」ツアーに参加された方です。 関心を持ってくださり、ありがとうございました。 読んだ資料は、テキスト(『竹富町史 第10巻資料編 近代1』)収録の、 「間切島会ニ関スル書類」の通し番号43から48まで。 そのなかの47番の資料は、 明治33(1900)年に「西竹富村」を村立てしようというもの。 つまり、竹富島の人々は、由布島にある「原屋」(畑小屋)16軒を、 西表島の野原村に移して、3カ年かけて西竹富村をつくろうというのです。 さて、その結末はいかに。 今後資料を読み進めるのが楽しみです。 …

照屋林次郎新作三線展

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現在の沖縄音楽の華やぎは、「三線」という楽器を抜きにして語ることはできません。 照屋林次郎氏は、沖縄タイムスの現代の名工シリーズでも絶賛されたほど三線製作者として、高い評価を得ています。 その林次郎氏が、新作の三線を携えて初めての「新作三線展」ツアーを展開。 「やまと―おきなわ―やいま」と銘打ったツアーは、東京、岐阜、沖縄県北中城村、石垣市を経て、竹富島で千秋楽を迎えました。 竹富島は7月23日から25日の3日間、会場は高那旅館です。 林次郎氏は、祖父が琉球古典音楽の重鎮・照屋林山、父が戦後沖縄ポップの草分け的な存在である照屋林助、兄が現在の沖縄音楽ブームを牽引する「りんけんバンド」の照屋林賢、といったすごい音楽環境のなかで育ちました。 会場となる高那旅館には、林次郎氏作の名器に並んで、若かりしころの林助氏の写真が飾られていました。 そこへくつろいだ林次郎氏の姿がみえました。 三線つくりにまつわるお話をうかがいながら、先述したご家族のことなどうかがったところ、いろんなエピソードに話の絶えることがありません。 なかでも、林助氏が八重山の島々をめぐり、歌謡をはじめとする、芸能の数々を求めて旅したことにも話が及びました。もちろん竹富島にも滞在し、取材したとのこと。 この展覧会を通じて、林助氏の竹富島での足跡が少しでもわかればいいなーとふと思いました。 会場には、三線に関心のある方が訪ねてきては、実際に名器にふれてその響きを確かめていました。 …

夏休み

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子ども達にとって、待ちに待った夏休みがやってきました! こぼし子ども育成会主催の、 コンドイビーチで行なわれた「子ども夏祭り」は、 そんな島の子供たちへのステキなプレゼントです。 神司が、海の神に子ども達の安全を祈願します。 普段はやんちゃな子ども達も、この時ばかりは本当におとなしい! 父兄の方々は、バーベキュー作りに余念がありません。 今回は竹富中学校バトミントン部が県大会に出場するので、 壮行会も兼ねて行なわれました。 上勢頭芳徳…

西塘ばんはじり(西塘大祭)

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旧暦6月最初の「みずのえ」に竹富島では「西塘大祭」が行な われます。 豊年祭の10日前、2日間にわたり取り行なわれるこの祭事には、 神司が西塘御嶽、清明御嶽、幸本御嶽に夜篭りし、お香の火を 絶やさぬようにします。 竹富島の偉人である西塘(にしとう)は、西暦1500年の “オヤケアカハチ戦争”の際、首里に上ります。 その後、首里王朝内で石工として頭角を現し、 園比屋武御嶽石門(※1)の建立、首里城壁拡張工事に携わる(※2) など、数々の業績を残し、1524年(※3)に八重山人では初の 竹富大首里大屋子 (現代では“行政長官”の役職でしょうか…。) として竹富島のカイジ浜に蔵元(役所)を開きます。 その後、蔵元を石垣島に移し1550年(※3)頃に、 石垣島で逝去されます。 西塘の亡骸は竹富島へと戻り、西塘の墓地として 西塘御嶽は建立されました。 島を象徴する言葉である 「かいしくさや うつぐみどぅ まさりょうる」 は西塘が残した言葉と伝えられています。 その後、1846年に大浜屋(現在の大浜荘の祖先)の津良は、 不作の原因は西塘を祀らないからであると島民に呼びかけ、 「西塘ばんはじり」が始まったとされています。 ●與那國善三・上勢頭亨共著/『西塘傳』 全国竹富島文化協会編 ●西塘さまの詳細についてはゆがふ館HPのこちらをごらんください。 夜篭りの晩、ミーナライシキナライの会は西塘御嶽を訪れ、 久間原御嶽と波利若御嶽の神司と西塘の偉業を語らい、未だも って解明されない西塘とその時代を偲びました。 (注) ※1 そのひやんうたきいしもん…

夏の竹富東港にて

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年間40万人の観光客が訪れる竹富島。   しかし、夕方になると、島はゆっくりとした時間 を取り戻します。 暑さも落ち着く18時から日没(20時頃)までは、 島の人とっては憩いの時間です。 ジョギング・サイクリング・犬の散歩・港での釣りなど。 それぞれがのんびりした時間を過ごします。 …

台風一過

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本日は台風4号の通過中につき定期船全便が欠航です。 そのため、かりゆし館は閉館、 ゆがふ館は午前9時より様子を見ながら開館することになりました。 今後、大型で非常に強い、台風は速い速度で北上する見込み。 十分な警戒を要します。 ところで、以前から「台風」を方言で何というのだろうと 気になっていました。 竹富村事務所の明治37年の記録(「村日記」)には、 月日につづいて、干支、天気、風向き、曜日が記されています。 そのなかでも、天気と風向きについての詳細な記述が際立っていますが、 台風に相当する言葉を見つけることができませんでした。 時期的に台風に相当する記事にも、「天候風波激烈ナリ」とあるばかり。 唯一、明治39年7月25日に「晩方ヨリ益風波烈ナリテ、 殆ト大風吹起ノ模様ナリキ」とあり、 解説者は「大風」を「台風」と意訳しています。 そこで、辻弘氏の『竹富島方言集』(1991年・八島印刷)をめくって、 台風に関する方言を拾ってみました。 すると、台風を「かじふき」といい、 また台風及び低気圧のことを「かじくん」、 台風対策のことを「かじんがい」、 台風時の海鳴りを「いんない」ということがわかりました。 面白いことに、台風のときに飛ぶツバメのことを 「かじくんぬすばたらー」というそうです。 ほかにも台風に関する方言があればご教示くださいませ。 …

ほうきの目を入れる習慣

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現在、竹富島の代名詞と云われるほどになった 毎朝行なわれる“白砂の道”の清掃 歴史を紐解くと、明治末期から大正時代にかけて 疫病の流行を防ぐため、清掃活動を徹底するために に始まったと伝えられています。 現在ではその習慣が残り、島の人たちの手で残されています。 …

村田先生ありがとうございました

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7月3日、第16回島立て学校でご講演いただいた、村田信夫先生より 竹富公民館とNPOたきどぅんに御寄付をいただきました。 誠にありがとうございました。 竹富島のために有意義に活用させていただきます。 …

『ふるさと探訪』ツアー(その2)

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石垣・沖縄・東京各竹富郷友会有志が参加した ~『ふるさと探訪』ツアー~ は心地よい余韻を残し終了いたしました。 この企画は沖縄竹富郷友会が企画し、3年前に第1回が開催され、2回目となります。 今回は東京竹富郷友会からも参加者が加わり、さらに石垣竹富郷友会有 志がコンドイビーチでの大交流会に合流し、さらに前回よりも規模が大きく なりました。 今回参加された方々は  石垣竹富郷友会 70余名(大交流会参加者)  沖縄竹富郷友会  83名   東京竹富郷友会  …

ふるさと探訪ツアー

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 6月30日から7月1日まで、東京、沖縄、石垣竹富郷友会及び竹富公民館 主催による『ふるさと探訪』ツアーご参加の方々が島を訪れます。 この企画は、沖縄竹富郷友会が企画し、竹富出身者2世・3世に古里の歴史、文化を伝えるためのみならず、各郷友会同士も親睦を深め、郷友意識を高 めていこうというものです。 ご来島される各郷友会の方々は 東京 …