岡部伊都子さんをしのぶ会
/
0 コメント
今晩、4月29日にお亡くなりになった、
岡部伊都子先生を偲ぶ「岡部伊都子さんをしのぶ会」
がこぼし文庫にて行われました。
芳名帳には143名の名前が記されています。
岡部伊都子先生は、1968年4月に初めて竹富島に訪れています。
過疎化が進み、日本復帰が叫ばれ、竹富島が一番大変であった時代です。
とりまく状況が苦しいながらも、大らかに生きる竹富島の
人々の伝統、習慣、人々の生活に魅せられた岡部先生は、
竹富島に土地を購入し、一時は永住を決意されます。
しかし、本土資本による土地買収が横行している最中、
自らも同じことをしているのではないか。と考えるよう
になり、さらに医師から永住は難しいと診断され、移住
を断念されます。
36年前の1972年5月15日、沖縄が日本に復帰する日、
竹富島の子ども達へ土地家屋を寄贈し、「こぼし文庫」
と名づけ、竹富島の子ども達に本を贈り続けます。
岡部先生は竹富島に訪れるたびに、竹富島の島造りの神
である清明御嶽に参拝されます。
ここは、竹富小中学校に隣接する御嶽であるので、
子ども達をお見守りくださるようにとの願いがあったためです。
現在、竹富島は様々な悩みを抱えています。
こうした中、岡部先生がお亡くなりになったのは
竹富島にとってさらに辛いことであるともいえるでしょう。
しかし、私たちは“うつぐみ”の精神をもってその悩みを解決し、
岡部先生から受けた多大な恩恵を返さねばなりません。
(ta)
…
(有)竹富観光センター水牛車営業所移設反対集会
昨晩、(有)竹富観光センター水牛車営業所移設反対集会が、
竹富島まちなみ館で開催されました。
ゴールデンウィーク真っ只中で宿泊客が多いこの時期に
開催されたにもかかわらず、館内には123名の住民が参加したことは、
この問題が竹富島にとって、いかに重大で深刻なのかが分かります。
水牛車営業所移設問題の一番重要な点は、移設地が
集落内において大変重要な土地であることです。
1.玻座間集落の中央部に位置し、古くより神聖な場所である。
2.清明御嶽の北に面し、清明御嶽に捧げる井戸があること。
3.神の道である「ナビンドー」に面していること
4.隣接地に保育所、学校、診療所、まちなみ館が面し、島の
文教地区であり、島のコミュニティの拠点であること。
新聞の報道ではなかなか理解することができないかと
思われますが、竹富島は古い習慣をとても大切にする島です。
だからこそ、竹富島の神々への信仰がいまだに深いのも、
現在のまちなみが保存しえたのも、こうした島民性があったから
といっても良いでしょう。
竹富公民館をはじめ、住民はこの地に水牛車営業所が建設される。
という話が持ち上がると、なんとか移転先を変更してもらえるよう
何度も代替地を斡旋してきましたが、何度も不調に終わっています。
他の島の方からは、住民が一企業をいじめているのではないか・・。
との指摘がありましたが、実際は全く正反対で、住民が、土地の
所有権を持つ一企業にいじめられているのです。
保育所の園児は、大勢の観光客が押し寄せる騒音で昼寝もできず、
お年寄りは、行き交うバスの影響で診療所へ通うこともままならなく
なるでしょう。
竹富島が素晴らしい島と云われ続けているのには、こうした習慣や
住民お互いの心配りがあるからこそです。
(ta)
…
岡部伊都子さんを悼む
随筆家の岡部伊都子さんが、29日、肝臓癌に…
アイヌ文化交流の集い
「アイヌ文化交流の集い」(全国竹富島文化協会主催)が
昨夜、まちなみ館にて開催されました。
アイヌの方々との交流会は2回目になります。
今回の舞台は、第一部を「竹富島の歌と踊り」、
第2部を「アイヌの歌と踊り」の2部構成。
プログラムは以下の通り。
第1部 竹富島の歌と踊り
1 世曳き (玻座間狂言部)
2 布織り乙女 (東支会)
3 観光エンコラ節 (西支会)
4 まみどー (仲筋支会)
第2部 アイヌの歌と踊り
1 ウエカップ (あいさつの踊り)
2 スッチョイチョイ(種子播きから収穫までの踊り)
3 スタレチョイ (大風にゆれる松の様子を表現した踊り)
4 エムリシムセ (剣の舞。勇壮な男踊り)
5 ムックリ演奏 (女性が愛しい男性に対して鳴らす
アイヌの民族楽器の実演)
6 アイヌ語現代音楽(早坂兄弟によるギターの演奏と歌)
7 チカップウポポ (仲睦まじい鶴の様子を表現した踊り)
8 エルム (来場者参加プログラム。
はたしてエルムは
餌をとることができるか?)
9 クーリムセ (弓の舞。優雅な男性踊り)
10 イオマンテウポポ(イオマンテで演じられる踊り)
竹富島の生活のあらゆる場面に芸能があるように、
アイヌの芸能も、
儀式や仕事のさなか、お祝いなど、
生活の場面ごとに
それぞれにふさわしい歌や踊りがあったことが、
舞台を通じて感じることができました。
「リムセ、ウポポ、ホリッパと呼ばれる大きな輪になって踊るもの、神々への祈りを表したもの、遊びの要素を含んだもの、悪い神を追い払う儀礼から生まれたもの、豊漁猟を祈願するもの、労働の様子を表したもの、動物の動きを表したものなど、さまざまな種類がありますが、そのほとんどは女性を主として踊られるもので、男性だけの踊りはごくわずかです。楽器を伴わず、すべて踊り手やその場にいる人たちの歌と手拍子で踊られます。アイヌの人たちにとって踊りとは、自分たちが踊って楽しむものであり、また、神々もまた一緒になって楽しむものでした。」
(『アイヌの人たちとともに―その歴史と文化―』より引用)
フィナーレは会場にいる皆で大きな輪をつくり、
「イオマンテウポポ」を踊り
ひきつづいて竹富島の「クイチャー踊い」から「六調」へ。
北と南の大きな一体感を得ることができました。 (YI)
…
雨に関する言葉
昨日にひきつづき、今日も雨です。
辻弘著『竹富島方言集』より、
雨に関する言葉を拾ってみました。
○「あたぷい」にわか雨
○「あみ」雨
○「かたっぴ」局地的降雨、夏の雨のように片降り
○「しいーり」湿る、雨天続きでしめる
○「てぃだあみ」日が照っている時の雨
○「ひとぅんしゃ」潤が強い、雨が多い
○「まーだうるい とーらり ふうやありた」
時宜を得た慈雨に恵まれてよかった
○「うるいぬみっか しゅーひきぬみっか ひとぅん まくな」
農民は雨をいただいたら三日ほどは畑仕事に精を出し、
漁民は大潮引きの三日は精を出しなさい。
(YI)
…
雨模様
ただ今、午後4時半過ぎ。
竹富島では雨が激しく降っております。
竹富島の童謡「おーせ番」は、
人頭税時代のある雨の日の様子が
うたわれています。
♪おーせぬ番ぬ加那叔父
自分ぬ子やかじみてぃー
他人ぬ子やしかいとうし
雨だりやふあ
しただり吾ふあー
この歌は、人頭税時代の一面を物語っており、
ある意味でわかりやすい内容。
村番所の係の加那叔父は、
激しい雨のなか、自分の子は大切にし、
他人の子をつかって仕事をさせます。
つかわれた子の親は、
「雨だりやふあ/しただりや吾ふぁー」
(ずぶぬれの子よ/雨にぬれてつかわれる私の子よ)と
思わず声をもらしているかのようです。
(上勢頭亨『竹富島誌 歌謡・芸能篇』239頁参照)(YI)
…
新春トリムマラソン
恒例の「新春トリムマラソン」(竹富小中学校PTA主催)。
あらかじめ、1km、3km、5kmの3つから、
自分にあったコースを選び、予想タイムを申告します。
そして、その申告タイムへの近さを競うのが
トリムマラソンです。
八重山毎日駅伝大会を間近に控えた選手も姿をみせ、
本格的なレースの前の小手調べといった
おもむきもみられました。
この1月は最高気温が25度を超える夏日がつづき、
今日も選手にとっては厳しい暑さとなりました。
それでも汗をぬぐいながら、
老若男女がそれぞれのペースで完走しました。 (YI)
…
新学期スタート!新春凧揚げ!
子どもたちは冬休みが終わり、
新学期をスタートさせました。
7日、竹富小中学校体育館にて、
始業式が開かれました。
この様子は今朝の『八重山毎日新聞』紙上において
写真入りで報道されています。
午後からは恒例の「新春凧揚げ大会」が
竹富小中学校PTA主催で行われました。
「新学期」「新春」、
「新」の文字が気持ちいいですね。
1年のはじまり、新たな気持ちでのぞみたいです。
(YI)
冬休み終え、元気に登校
―2学期後半、3学期がスタート―
『八重山毎日新聞』2008.01.08
郡内の小中高校では7日、2学期制となっている石垣市立の小中学校が2学期の後半をスタートさせ、竹富町と与那国町の公立小中学校と市内の県立4校は3学期の始業式を行った。学校には、12日間の冬休みを終えた子どもたちの姿が戻り、活気を取り戻した。
このうち、竹富小中学校(石垣安志校長、児童生徒数33人)の始業式は同校体育館で開かれ、全員で新年のあいさつを交わしたあと、校歌の斉唱に続いて、学年ごとに代表の児童や生徒が3学期の決意表明を行った。
小1の兼城太郎君(7つ)は今年のえとにちなんで「ネズミさんに負けないように仲良く元気に一生懸命頑張ります」と宣言。卒業をひかえた中3の前盛翔さん(15)は「やり残しな、最後の学期を充実した時間にしたい」と抱負を述べた。
石垣校長は「一人ひとり、1年の目標をしっかりと心にむ刻んだと思う。3学期は大変短い。思い残すことがないように、まとめの学期をしっかりと頑張ってほしい」とあいさつした。
…
NPOたきどぅん忘年会
18日、そば処竹乃子にて、
NPOたきどぅんの忘年会が開催されました。
理事の方々をはじめ、ゆがふ館・かりゆし館の
スタッフ25名にご出席いただきました。
1年の活動を振り返りながら、親睦を深めました。
なべ料理に舌鼓を打ち、ゲームをしたり、
自慢の喉を披露したり…。
大いに盛り上がりました。
プレゼントを受取る高那旅館の女将。このあと素晴らしい出来事が!
竹富島交通回数券争奪ジャンケン大会が繰りひろげられました。
また、フィリップモリス・ジャパン助成事業完了報告会や
これから取り組む、トヨタ環境活動助成についての、
報告もなされました。
「竹富島今昔かるた」を用いた
ビンゴゲーム(?)をしたことにより、
再びこのカルタの良さが浮上してきました。
では、その「竹富島今昔かるた」から少し紹介しましょう。
(た)「種子取祭 家族で作るイーヤチに蛸とピン」
(け)「健康茶 お年寄りが造る長命茶」
(と)「隣の島(石垣島)から水を運んだ干ばつの年」
(み)「みんなの心 かしくさやうつぐみどぅまさる」
カルタを詠む上勢頭芳徳…
種子取祭第10日目
大正期の頃まで、第10日目(癸己)には、
タナドゥイムヌン(種子取物忌み)がありましたが、
現在は行われていません。
各畑にはススキで作った魔除けのスバを結び立て、
作物に害虫がつかないようにと祈願しました。
「スバ」は「サン」とも呼びます。
かつて10日目は安息日であり、
「クシユクイ(腰憩い)」と称して「浜下り」の行事などがあり、
神司たちによる浜辺での祈願も行なわれました。
青年たちは余興として相撲大会なども開催したといいます。
一方、長老たちは、物忌の祝盃をあげ、種子取祭の全日程が終了です。 (YI)
…