7月24日のミーナライ・シキナライの会の出席者は11名。
そのうち二人は、オブザーバーとして、
「素足で感じる竹富島」ツアーに参加された方です。
関心を持ってくださり、ありがとうございました。
読んだ資料は、テキスト(『竹富町史 第10巻資料編 近代1』)収録の、
「間切島会ニ関スル書類」の通し番号43から48まで。
そのなかの47番の資料は、
明治33(1900)年に「西竹富村」を村立てしようというもの。
つまり、竹富島の人々は、由布島にある「原屋」(畑小屋)16軒を、
西表島の野原村に移して、3カ年かけて西竹富村をつくろうというのです。
さて、その結末はいかに。
今後資料を読み進めるのが楽しみです。
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ミーナライ・シキナライの会 7月24日
『八重山毎日新聞』2007.7.26掲載記事
ちょっとした休憩所
『読売新聞』2001.1.10掲載記事
照屋林次郎新作三線展
坊主墓
『八重山毎日新聞』2007.7.22掲載
『八重山毎日新聞』2007.7.21 掲載記事
夏休み
豊年祭(プイ)