秋の叙勲 (11/3付八重山毎日新聞)

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 本日の八重山毎日新聞には、秋の叙勲受章者の 記事が一面を飾っています。  竹富島からは、内盛スミさんが伝統工芸業務功労にあたる 瑞宝単光章を受章されています。 長年にわたるミンサー織の継承が高く評価されています。    竹富町で僅か3名しかいないミンサー織の伝統工芸士で もあり、竹富町織物事業協同組合の理事長を15年も務め られていました。  いつも朗らかな笑顔で島民や観光客を迎えてくれる  内盛スミさん、誠におめでとうございます。 (ta)  政府は「文化の日」の3日付で、秋の叙勲受章者を発表した。 八重山関係は宮良長定さんが文化財保護功労で旭日双光章、 玉城精記さんが地方自治功労で旭日双光章、内盛スミさんが 伝統工芸業務功労で瑞宝単光章、横目栄三さんが消防功労で 瑞宝単光章をそれぞれ受賞した。4氏に受賞の喜びを聞いた。 《中略》  内盛スミさん  小学校6年の時に母親からミンサー織りの手ほどきを受け、1962年 に講習会を受講したことで技術者となり、95年には八重山ミンサーの 伝統工芸士(総合部門)に認定され、現在までその伝統的な技術・技法 の伝承に努めている。  竹富町織物事業協同組合の理事長を88年10月の設立時から15年間務めた。 また八重山ミンサーの製造と販路開拓に努める一方、後継者育成事業で ミンサー織りの従事者を育成した。  幼少時から70年近く携わったミンサー織を振り返り、「以前は綿の糸 がなく、漁師網をほどいて家族のシャツやタオルを織ったり、隣近所の 電気が消えるまで競って織っていた」と懐かしむ。  受章に「自分の生活のために頑張ってきたことが認められうれしく思う。健康の続く限り、一人でも多くの後輩を育てたい」と話した。82歳   …

次々繰り広げられる奉納芸能(八重山毎日新聞)

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  当ブログをご覧のみなさまへ。  種子取祭奉納芸能を迎えるにあたり、なかなかブログを 更新することができませんでした。お詫びを申し上げるとともに、 NPOたきどぅん理事ならびに職員、スタッフも、種子取祭の シクブン(役割)を無事に全うし、奉納を終えたことをご報告申し 上げます。  さて、10月18日付八重山毎日新聞には、竹富島の種子取祭に 関する記事が掲載されています。  掲載されている写真は馬乗者(ウマヌシャ)。  藤色の頭巾と赤色の襷、そして勇壮な舞に 目が奪われます。 (ta) 次々繰り広げられる奉納芸能 竹富島は種子取祭一色に 観光客ら、女性の腕棒に歓声  五穀豊穣(ほうじょう)や島民の無病息災を祈願する国の重要無形民俗文化財、「種子取祭(たなどぅい)」の奉納芸能が17日から2日間の日程で、 世持御嶽で始まった。多彩な芸能が次々に奉納され、地域住民や郷友、 観光客など大勢の人たちを楽しませた。奉納芸能は、同日の玻座間村に 続いて、18日には仲筋村が奉納することになっており、島は「たなどぅい」 一色に包まれている。  今日は仲筋村が登場  種子取祭は節祭から49日後の甲申(きのえさる)の日に「トゥルッキ」 と呼ばれる神事を行い、この日から10日間行われる。今年は11日に 「トゥルッキ」が行われ、種子取祭がスタートした。  芸能が奉納されるのに先立ち、祈願を済ませた神司や公民館役員らが 巻き踊りを奉納。世持御嶽はおごそかさとにぎやかさが混じり合う独特の 雰囲気となり、庭の芸能が午前9時30分から始まった。  勇壮な棒術に続いて太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、 腕棒(ウディボウ)、馬乗者(うまぬしゃ)の順で行われた。  観光客らは次々と奉納される芸能を食い入るように見詰めたり、カメラ やビデオ、携帯電話のカメラなどで撮影しながら、熱心に見学していた。 なかでも女性が2人1組で力比べをする「腕棒」では、相手を振り回そうと して真剣に勝負する女性たちに拍手と歓声が起こった。  引き続き舞台では「弥勒(ミルク)」や「鍛冶工(カザグ)」の狂言、 「かたみ節」の舞踊など、合せて35点の芸能が奉納された。  夜には、各家々を回りながら豊じょうを祈願する「世乞い(ユークイ)」 も行われた。  長年にわたって種子取祭の踊り手や地域芸能の発展、後継者育成に尽力 した6人に感謝状が贈られた。  感謝状が贈られたのは次の各氏。  ▽大浜信子、小底政子、島仲芳子、崎山好子、嘉手川恒男、東盛貞治 …

種子取祭始まる(八重山毎日新聞記事)

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今日の八重山毎日新聞には、種子取祭が始まった旨の 記事が掲載されています。 10月11日(土)にトゥルッキ、 明日は幕舎張りが行われます。 いよいよ本番です! 身体にも自然と気持ちが入ります。 (ta) 竹富 種子取祭始まる 17,18日に奉納芸能へ  国指定の重要無形民俗文化財・竹富島の種子取祭が、 11日の「トゥルッキ」を初日として10日間の日程で始まった。  同夜は玻座間村と仲筋村の狂言部がそれぞれ長者の家で、 舞踊部は3集落の集会所の神前で、公民館執行部と祭の役割、 奉納芸能を無事に行えるよう祈願した。  今年は阿佐伊拓、藤井幸吉、内盛朋恵、前本とわさんらが 初舞台を踏む。  夏休みに帰省した学生、婦人達も練習に励んでおり、 トゥルッキを済ませ、緊張感が高まっている。  15日は早朝から住民総出の作業。舞台の幕舎張り、神司と 公民館役員は各御嶽を回って種子取の願い、種子まきなどを 行う。  そして17日午前6時から弥勒起こし、バリビルの願いなどの 儀式が続き、同9時半から庭の芸能、続いて玻座間村の舞台芸能 が奉納され、夜通し各家を回って言祝ぐユークイが行われる。  さらに18日も引き続いて早朝からムイムイの儀式、仲筋村の 芸能が奉納される。 …

竹富島に関する記事 2点

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 10月に入り、島内はいよいよ“そわそわ”してきました。 昨晩の各集落の定例会、本日は島内の清掃検査が行われます。  こうしたなか、昨日(10月8日)の八重山毎日新聞には 17、18日に執り行われる種子取祭奉納芸能に関する記事が 掲載されています。 今年も大勢の島出身者ならびに二世、竹富島ファンが 種子取祭にやって来ます。  さらに、十文字恵美さんが東京でリサイタルを開催した 記事が掲載されています。十文字恵美さんは、「竹富育ち」 の作詞作曲で知られる内盛唯夫氏のお孫さんにあたります。  竹富島においても、生年合同祝賀会や、ゆがふ館開館4周年 イベントなどでも竹富島コーラスグループの指導に当たっています。 (ta) 今年も大勢の奉納団を派遣 東京竹富郷友会 17日から種子取祭  東京竹富郷友会(市村高也会長)は今月17、18日の両日に 催される島の一大行事「種子取祭」(国の重要無形民俗文化財) に今年も多数の奉納団を派遣することになった。  種子取祭を間近に控えた4日、品川区の五反田シルバーセンター で役員会を開き、奉納団を参加者数や日程の確認、「世乞唄」の けいこを行った。  それによると、1日現在で郷友の参加申し込みは75人、そのほか、 全国竹富島文化協会会員や郷土史家、所沢市議会議員ら15人が参加 を申し込んでいる。  また、11月1日に全国竹富島文化協会主催の文化講演会で沖縄国際 大学教授・狩俣恵一氏が「しきた盆とうつぐみの心」を演題に講演 することから、種子取祭の全容を見たいという問い合わせもあり、 2日目の奉納芸能までには140人が島を訪れる見込みだ。  奉納団派遣の目的は、過疎化が進み、最も力を要する幕舎張りや 飯初(イイヤチ)作りなどの労働力を補って島の文化を学び、会活動 に役立てようと企画したのが始まりで、今年で32回目を迎えた。  市村団長は17日夜、玻座間村や仲筋村のトゥヌイムト(家元)を 表敬するほか、舞踊部を訪れ、激励する。 長包の歌を熱唱 十文字恵美リサイタル  石垣島が生んだ沖縄近代音楽の祖、宮良長包メロディーが 歌い継がれた―。 「あのうた・この唄~石垣の風に乗せて~」と、銘打った 「十文字恵美ソプラノリサイタル」が5日、東京千代田区の 松尾ホールで催され、多くのソプラノファンが長包メロディー や美声に酔いしれた。  トークでも定評のある十文字さんは、沖縄音楽や長包 メロディーの素晴らしさを紹介。「芭蕉布」から始まり、 数ある「長包節」の中から「母恋し」「あかゆらの花」。 そして「さとうきび畑」「千の風になって」など17曲を 熱唱した。  幕間では「長包音楽を知ったのは石垣島に転居してから。 6月に開かれた宮良長包音楽祭に出演させてもらった。自然 や文化、風習、そして音楽などの多くの出会いがありました。 素敵な島です」と話した。  東京芸術大学卒業。二期会オペラスタジオ修了。第6回 ニッカポッカチオ新人賞で1位獲得。ミュージカルや映画挿入 歌など幅広い活動。日本歌曲、カンツォーネ、ミュージカル ナンバー、ポップスと幅広いレパートリーを持ち、2006年に 石垣島に転居。新たな活動の場を広げている。  祖父母の内盛唯夫・カツさん(故人)は竹富島出身。琉球 人差別の風潮が残る1951(昭和26)年、NHKラジオ「民謡 お国めぐり第19集」に出演。「マミドーマ」「安里屋節」を 紹介した。恵美さんの美声も祖父母譲りかも。  ファンの一人は「長包作品は美しく優しく、情緒にあふれ、 郷愁の念を強くする曲ばかり」と目頭を熱くしていた。 (2点とも有田静人 東京通信員) …

種子取祭の日程について

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 今年も種子取祭(10月11日~10月19日)が執り行われる 季節が近づいてまいりました。  毎年、多くの方々がご来島いただく種子取祭ですが、 今年の日程を皆さまにご案内いたします。  17日、18日の奉納芸能は、種子取祭のハイライトとも いえます。是非ともご覧下さるよう、お願い申し上げます。 (ta)  平成20年度(2008年) 竹富島の種子取祭 1. 9月7日(旧暦8月8日)、世迎い(ユーンカイ)。 竹富島にニライカナイの国から神々によって、 種もみがもたらされるという神事が行われる。 2. 8月27日(つちのととり)、節祭(昔の正月) 新しい季節を迎えたことを神々に祈り、 作物を育む大地と命の水(井戸)に感謝する神事。 3. 古来より節祭から49日目のつちのえねの日を祭日とする 種子取祭に入るとされている。 4. 本年は、10月15日がつちのえねの日にあたり、その日に種を蒔く。 昔から、それより4日前のきのえさるの日から種子取祭の日程に 入るとされている。 5. 10月11日(きのえさる)種子取祭初日。 初日はトゥルッキと称し、祭の計画手配を行い、 玻座間、仲筋の両地区の長者(ホンジャー)の前で無事に 奉納芸能が尽くせるようにとの祈願を行なう。 6. 10月12,13,14日 種子取祭の諸準備。踊り、狂言の稽古を行う。 7. 10月15日(つちのえね) 男生産人(16歳~65歳迄)は、早朝から幕舎張りなどの 奉納芸能の舞台つくりを行う。 出欠を取り、理由もなく出役しない者には過怠金を科す。 各家では種まき。主婦はイイヤチ(飯初)作り。 公民館役員や神司は、揃って玻座間御嶽、世持御嶽、清明御嶽、 根原家などを廻り種子取祭の願いを行なう。 神司は、その後それぞれの御嶽で祈願して案内をかける。 8. 10月16日(つちのとうし) ンガソウジといって、前日に蒔かれた種がしっかりと 土につくように、精進を尽くす日とされる。 家の主がブママンガン・ブナルンガン(姉や叔母を神とすること) を招いてイイヤチ戴きの儀式などもある。 芸能の稽古の総仕上げの日。午後8時から公民館役員、三郷友会 会長などがブドゥイドゥン、狂言ドゥンを訪ねて挨拶し激励する。 9. 10月17日(かのえとら) バルヒル願いの日、奉納芸能初日。 午前6時、彌勒奉安殿には公民館役員、有志、三郷友会長などが 弥勒興しの祈願。玻座間御嶽では神司たちの祈願。 その後、両者は世持御嶽で合流し、バルヒルの願い、 イバン取りの儀式がある。場所を奉納芸能の舞台に移して、 干鯛の儀式が行われる。 そして、8時前、仲筋地区の主事宅へ参詣。 9時頃、世持御嶽へもどる。 午前8時頃から全国竹富島文化協会主催の種子取祭に関する講話が まちなみ館で行われる。 9時30分頃から、庭の芸能を奉納。 棒術、太鼓、マミドー、ジッチュ、マサカイ、祝種子取、 腕棒、馬乗者の順で行われる。 10時30分頃から玻座間村の舞台の奉納芸能が行われる。 その順序は、玻座間長者、弥勒、鍛冶工、組頭、世持、世曳狂言など。 別途演目あり。曽我の夜襲で初日の芸能は終了する。 (玻座間村の舞踊は、東と西の両地区が一年ごとに担当し、担当しない 地区は数点を提供することになっており、本年は西地区の担当)。 17時30分頃、イバン戴みの儀式がある。 それから世乞い(ユークイ)が始まる。 世乞い(ユークイ)は、種子取祭を根原カンドゥをまつる 根原家から始まり、その後、三地区に別れてユークイが深夜まで 行なわれる。 西地区は、神司の家、玻座間長者宅、主事宅それから各家々を回り 最後は高嶺家。東地区は宇根家、与那国家、神司家、 その後に各家々を回り最後は宇根家。 仲筋村は、仲筋長者家、神司家、主事宅、その後に各家々を回る。 22時30分頃石垣への船の臨時便あり 10. 10月18日(かのとう) 午前5時、三地区に別れていたユークイの一団は、 根原家で一つになってユークイの留めを行なう。 5時30分頃、世持御嶽へ。イバン返上を行ない、ユークイは総て終了。 二日目のムイムイの願い。幸本フシンガーラの願い日とされ、 それを祝して仲筋村のシドゥリャニが奉納される。 その後、前日同様の干鯛の儀式がありその後、 玻座間村西地区の主事宅へ参詣。9時頃世持御嶽へもどる。 9時30分頃から、庭の奉納芸能(前日と同じ)がある。 10時30分頃から、仲筋村の舞台の奉納芸能が終日行なわれる。 別途奉納芸能演目がある。 仲筋村長者、弥勒、御主前狂言、種蒔い狂言、天人狂言などがあり、 最後は鬼捕りで奉納芸能は終了。 17時30分頃、芸能の奉納はすべて終了し、 18時30分頃、石垣行臨時船便あり。 種子取祭首尾方の御礼(世持御嶽、彌勒奉安殿)を行う。 11. 10月19日(みずのえたつ) 男生産人は、早朝から幕舎片付け、経理係は祭の精算に取り組む。 午前10時頃から竹富公民館で公民館役員・有志と三郷友会 (石垣・沖縄・東京)幹部との懇談会がある。 支払い議会を開催して種子取祭の精算を終える。 夜は全国竹富島文化協会の総会が開催される。 12. 10月20日(みずのとみ) 種子取祭物忌(むぬん)。現在は省略している。 特定非営利活動法人たきどぅん 事務局長 阿佐伊 孫良 …

敬老会に関する記事2点

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 今日の八重山毎日新聞には、竹富島で開催された第85回敬老会 に関する記事と、東京竹富郷友会による第29回敬老会の記事が 掲載されています。  竹富島の敬老精神は昔から篤く、1924(大正13)年から敬老会 が開催されています。    竹富島には 「ういひとぅや きないぬ たから」  (老人は家庭の宝である。)  という諺が遺されています。  年配を敬う精神が根付いている地域でもあります。 (ta) 島をあげて長寿を祝う 竹富島で敬老会  全国で最も早くから開催、継続している竹富島の敬老会が21日、 竹富まちなみ館で開催された。  竹富島では15日を国の祝日と制定される40年前の1924(大正13)年 に、当時の上間広起村長により始められたという。宇根勝末公民館長 は「島のために尽くした先輩を敬い、きょうは子孫の舞踊も用意して あるので楽しんでください」とテードゥンムニで式辞、70歳以上の会 員83人の名前を読み上げて紹介した。  祝宴では新田長男町会議員が「旺盛な敬老精神が長寿の島となって いる。お年寄りは一人ひとりが図書館、博物館。これからも健康に留 意し後輩に伝えてください」と乾杯のあいさつ、各集落から舞踊が 披露され、今年新入会した友利民さんの孫、ひ孫が飛び入りであやか り太鼓を打って会場をにぎわした。  高那三郎老人会長は「きょうは老人にとって最高の日となった。 みんなに感謝し、外山久太郎診療所長の話をよく聞いてもっと長生き しましょう」とあいさつ。最後は全員でクイチャー・モーヤーを踊っ て精いっぱいの喜びを表していた。 お年寄りの健康と長寿を祝福 【神奈川】  83年の歴史のなかで100歳の誕生は初―。東京竹富郷友会(市村高也 会長)は21日、川崎市内のホテルで長年にわたり地域や会発展に貢献 したお年寄りの長寿と健康を祝う「第29回敬老会」を催し、ファーマー (子孫)らによる郷土芸能などで楽しいひとときを過ごした。  招待されたのは、国島ヒサさん(100歳)を筆頭に、今年敬老の仲間 入りした辻武子さん(73)ら71人が異郷の地でかくしゃくとしている。  式典は元気な姿をいつまでも残そうと記念撮影から始まり、市村会長 が「後期高齢者医療や年金問題などお年寄りを取り巻く環境は厳しい。 お元気な姿で出席されたことが何より。長い人生の中で培われてきた 貴重な知恵と経験でご指導ください」と労をねぎらった。  お年寄りを代表し富本栄さんが「ギョーザやミルク、事故米と人命に かかわる食品汚染問題が後を絶たない昨今ですが健康管理は自分自身で、 自ら展望を開き、地域社会に役立つ老人になりたい」と謝辞を述べた。  新企画「お年寄りにインタビュー」では、大内玲奈ちゃん、有坂もも ちゃん(小4)=中嘉山春さんの曾孫=が登場。国島ヒサさんに「得意 科目は?趣味は?初恋は?」と大人顔負けの質問に「小学生のころは 算数。今はカラオケと編み物が日課」と即答する頭の回転はまだ60代。 ちなみに来年は、前新トヨさん100歳と90歳以上が11人も。  祝宴は、クヤマー会による「かぎやで風」や島に伝承される民謡など が次々と演じられ精いっぱい祝った。 (有田静人東京通信員) …

住民観光客詰めかけ熱気(八重山毎日新聞9月7日号)

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 9月7日付八重山毎日新聞に 第31回テードゥンムニ(竹富言葉)大会の記事が掲載されています。  八重山には「言葉は竹富に習いなさい」 という諺があるとおり、テードゥンムニには、 単語、発音いずれも美しい言葉が遺されています。 ムニバッキタ シマバッキ シマバッキタ ウヤバッキルン (言葉を忘れると 島を忘れ 島を忘れると 親を忘れる)  竹富島の諺です。  この諺の力強さが、未だに竹富島には遺されています。 (ta) 住民、観光客詰めかけ熱気 テードゥンムニ大会で熱弁  地方文化の原点である方言を大事にしようと始まった テードゥンムニ大会も31回目を迎え、5日夜、まちなみ館 で開催された。  毎年の大会を楽しみにしているお年寄りが早々と集まり、 宿泊の観光客も詰めかけ、すべてテードゥンムニで進行する 退会を楽しんだ。  大会は、かすりの着物姿の保育園児によるわらべうた5点 で幕開け。小中学校全員が単独や兄弟、グループで演壇に立ち、 また学校職員も参加して15演題を発表した。  結願祭も間近とあって、中学生が「始番狂言」を演じ、 内盛家の兄妹が母・祖母の応援で「豊年祭の唄」を歌った。  発表後は、これまで児童・生徒や教師にテードゥンムニを 指導してきた前本隆一さん、古堅節さんに感謝状が贈られた。  4日間にわたって竹富島を多面的に調査していた淑徳大学 谷沢ゼミの20人は、「意味は分らなかったが、30年以上も こんな形で島の文化を守ろうとしているのは素晴らしい」 と話していた。 …

「ねぷた」登場に沸く(八重山毎日新聞記事)

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 今日の八重山毎日新聞には、昨晩行われた 「南北芸能交流の集い―斜里・弘前・竹富、真夏の共演―」 の記事が、弘前扇ねぷたの写真とともに一面に掲載されています。  竹富島の白砂の道に勇壮なねぷたが練り歩き、 大勢のかたがご覧になられています。  主会場となった竹富小中学校の特設ステージでは 各地域の芸能が催され、ねぷたと共に去りゆく8月の 夜を彩りました。  8月も今日が最終日です。  9月に入ると、竹富島では慌ただしい日々が続きます。 (ta)  「南北芸能交流の集い―斜里・弘前・竹富、真夏の共演―」 (主催・同実行委員会)が30日夜、竹富小中学校特設舞台で にぎやかに開催され、県内でも初めて、知床斜里と本場青森県 弘前のねぷたが島内を練り歩いた。  南北芸能交流の集いは、竹富町と北海道斜里町の姉妹町盟約 35周年を記念したもので、互いの芸能を通して理解や交流を 深めるのが目的。  また、斜里町と弘前市は互いに友好都市で、それぞれ過去に も竹富町と芸能交流を行っている。  この日は約1500人が会場に訪れ、主催者あいさつの後、武者 絵が描かれた斜里町の組ねぷたと弘前市の扇ねぷたが 「ヤーヤドー」というかけ声と共に地域を練り歩いた。  特設会場では、八重山の郷土芸能、津軽三味線やねぷたはやし などが披露され、多彩に催される南北の芸能に会場からは 盛んな拍手が送られた。 …

ショーロ(お盆)について(8/18付八重山毎日新聞)

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 18日(月)の八重山毎日新聞には、 8月30日に開催される『ねぷたが竹富島にやってくる』 の詳細や、郡民大会での竹富の活躍が掲載されていますが、  竹富通信員による竹富島のショーロ(お盆)の記事が 掲載されています。 (ta) 女性中心、サングラスなし アンガマが各戸を訪問 竹富島の旧盆  竹富島でも16日の総出作業(スードーリ)まで4日間の旧盆 (ショーロ)を終え、行事の多忙さとは違った日常の忙しさが 戻ってきた。13日には祖先の位牌(いはい)を祭っている家庭 では戸口で迎え火をたいたりして祖先を迎え3日間、毎食と間食 まで付けてもてなし供養した。  石垣、沖縄、本土から帰ってきた人たちが島へ焼香しに来る ため、船便は観光客に加えて竹富出身者も多く見られ、桟橋では 懐かしいあいさつが飛び交っていた。  夜は3日間とも集落ごとにアンガマの一行が依頼された家を 回って踊りを披露し、その家の先祖供養をする。竹富島では地謡 は座敷だが、踊りは仏壇のある2番座の前の砂の庭で行う。  はだしで黒い着物に白い帯を締め、クバかさにほお被りするが、 仮面やサングラスなどは着けない。女性がほとんどなのが特徴で、 近年は男性も子どもも大勢が参加している。  竹富島ではエイサーはもともとなかったが、15年ほど前から青年 たちが始めた。途絶えていた「獅子の棒」も復活させた。  嶺井知葉也ちゃん(小1)は一昨年から参加しているが、今年は 仲村渠昌彰君(中3)と莉沙さん(中2)の兄妹がエイサーデビュー、 民宿ヘルパー等の女性たちと3日間で13軒を回り、元気よく太鼓を 打ち続けた。  なお、集落内外の道路清掃などの総出作業も行われた。 …

豊年祭の季節を終えて(8/11 八重山毎日新聞)

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 今日の八重山毎日新聞には、八重山の豊年祭に関する 上勢頭芳徳 喜宝院蒐集館長の記事が掲載されています。  盛大に行われた竹富島の豊年祭や四カ字、宮良の豊年祭 について触れています。  古くより八重山で執り行われてきた豊年祭。 それぞれの地域、それぞれの人が祭祀に携わる「思い」 を上勢頭芳徳氏の文章から読み取ることができます。 (ta) 豊年祭の季節を終えて (プイ・プーリィ・プール)  毎年旧暦の6月に入ると小暑の節の壬・癸あたりに 八重山の豊年祭が行われるようです。  そんなことで他所の島の祭はなかなか拝見することが 出来ないのですが、今年は幸運にも国立民族学博物館の 研究会が3日間、八重山での現地研修が行われましたので、 研究員の一員として竹富島を案内し、四カ字と宮良は一緒に 拝見することができました。  ミシャクパーシも6キロ離れている竹富と石垣の違いは さることながら、数百メートルの距離しかない四カ字でも 微妙に違っているのですから、それぞれに非常に興味深い ものでした。  金子みすずは「みんな違ってみんな良い」と言いましたが、 「みんな違ってみんな変」と言う民俗学者もいます。それぞれ の住民性の違いが現れてくるのでしょうね。  民俗行事や伝統は時代によって変化していくのは当然です。 いかに美しく変化させていくかが地域の住民性と言えるでしょう。  竹富島についていえば、島の総意として美しい町並みをつくり あげて来ました。その中で伝統的な手仕事や祭りを継承してきま した。その美しい町並みが、最近おかしくなっているのではと 指摘されます。写真が撮れなくなったという声も聞こえます。 言われなくても分っています。何年も調整しているのに経済原理 至上主義におぼれて、島の有り様よりも自身のことを優先する人 が出てきたからです。  祭りの感想を述べようとしているのに、世俗の愚痴になって しまって、神様すみません。お守りいただいてお許しください。 (というプイの道歌が竹富島では歌われます。)  竹富島では芸能の奉納はありませんが、旧暦6月の最初の壬・癸 に「西塘ばんはじり」を行い、次の壬・癸で「プイ」を行います。 1日目は早朝から神司と公民館執行部・長老たちが3か所の村御嶽 を拝礼して解りあげし、御嶽のオンビニンジュと神司はそれぞれの 御嶽でミシャクと御酒をいただき、分かりあげを済ませます。  午後からは公民館執行部と長老たちがプイの道歌を歌いながら 六御嶽を参詣に回ります。各御嶽ではオンビニンジュがドラ太鼓を 打って唱和して迎えます。四カ字とはずいぶん違いますね。  ところでよく、農業をやっていない竹富島で豊年祭・種子取祭 とはおかしいのではないか、ということも言われているようです。 しかし、カマクワを使う農業が衰退したのは復帰後のこと。600年の 歴史と言われる種子取祭の中では一瞬のことです。こんなご時世 ですので、いつまた農業を復活せねばならないかもしれません。  そのためにも神行事としての祭りは、継続していかなければなり ません。それは非農業者である中高生・公務員も一生懸命に豊年祭 に参加している石垣島とて同じことでしょう。  ともあれ竹富島では祭の最中に30分ほど、思いがけない世果報雨 を賜うられました。四カ字でもマイツバ御嶽のアヒャー綱が始まると、 ぱらぱらと濡らすほどの雨でした。その光景はまさしく 1903年(明治36)年1月16日に行われた人頭税廃止を喜ぶ 「新税法実施記念祝賀会」の琉球新報新聞記事、野間慶一の名文を ほうふつさせるものでした。当時の人の気持ちと今も変わらない ものがありますのであえて再録します。  「前略・・・あれ見よ六十近き翁媼等が深き額の皺を無にし藁の 鉢巻にて鐘を叩き手舞いを為すを。又見よ二八か二九の娘か喜色 を眉目に湛え今日を晴れと盛装を擬したる其衣髪に粛々と降り掛か る雨を平気に打ち流し太鼓を打ち囃を掛けて踊るありさまを。 ・・・後略」 竹富町史新聞集成Ⅰより  この時の勝敗決せず綱は見事に結び目より断絶したと言うこと ですが、今年は西の雌綱が勝ちましたので来年の豊作は約束された ことでしょう。  …