豊年祭(プイ)

 西塘ばんはじり(西塘大祭)が終わると、
10日後には豊年祭が行なわれます。
 豊年祭のことを竹富島においては“プイ”と呼びます。
呼称は八重山の各地域によって異なりますが、
一年間でもっとも喜びに満ち溢れた祭りであることは
地域を問わず同じであったことでしょう。
 故 牧野 清 氏は、豊年祭についてこう述べています。
~八重山の豊年祭祀がいつ頃から始められたものか、
旧記の上でも記録がなく、その起源の年代もよくわからない。
 然し、村々に伝わるミシャグパーシィ(御神酒囃子)の歌
から見て、稲作文化よりもさらに古く、粟作の時代からの
非常に古い祭事であることは疑いない。波照間島では遠く
神々の時代に、西表島の神からプーリィ(豊年祭のこと)
の日取りを伝えてきた旨の神話が残されている。
 《中略》
 御嶽における豊年の感謝及び祈願の祭事そのものは、
きわめて古いものと考えられる。~
● 牧野 清 著/『八重山の御嶽』 あーまん企画 512・513頁
 竹富島では、初日に各御嶽の氏子が中心となり、六山(ムーヤマ)
の神々に豊年の感謝と御礼を行い、「オオミシャク」「願いの盃」
を歌います。
(オンプイ)
 翌日には、公民館執行部及び神司が、作物の稔りに関係する
御嶽に豊年の感謝と来年の世願いを行ないます。
(トゥヌイプイ)
詳しくはゆがふ館HP 竹富島ウェブログ(2004/8/1)
をご覧下さい。
http://WWW.taketomijima.jp/blog/archives/2004_08.html
(TA)
 

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