西塘ばんはじり(西塘大祭)

旧暦6月最初の「みずのえ」に竹富島では「西塘大祭」が行な
われます。
豊年祭の10日前、2日間にわたり取り行なわれるこの祭事には、
神司が西塘御嶽、清明御嶽、幸本御嶽に夜篭りし、お香の火を
絶やさぬようにします。
竹富島の偉人である西塘(にしとう)は、西暦1500年の
“オヤケアカハチ戦争”の際、首里に上ります。
その後、首里王朝内で石工として頭角を現し、
園比屋武御嶽石門(※1)の建立、首里城壁拡張工事に携わる(※2)
など、数々の業績を残し、1524年(※3)に八重山人では初の
竹富大首里大屋子
(現代では“行政長官”の役職でしょうか…。)
として竹富島のカイジ浜に蔵元(役所)を開きます。
その後、蔵元を石垣島に移し1550年(※3)頃に、
石垣島で逝去されます。
西塘の亡骸は竹富島へと戻り、西塘の墓地として
西塘御嶽は建立されました。
島を象徴する言葉である
「かいしくさや うつぐみどぅ まさりょうる」
は西塘が残した言葉と伝えられています。
その後、1846年に大浜屋(現在の大浜荘の祖先)の津良は、
不作の原因は西塘を祀らないからであると島民に呼びかけ、
「西塘ばんはじり」が始まったとされています。
●與那國善三・上勢頭亨共著/『西塘傳』 全国竹富島文化協会編
●西塘さまの詳細についてはゆがふ館HPのこちらをごらんください。
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夜篭りの晩、ミーナライシキナライの会は西塘御嶽を訪れ、
久間原御嶽と波利若御嶽の神司と西塘の偉業を語らい、未だも
って解明されない西塘とその時代を偲びました。
(注)
※1 そのひやんうたきいしもん 1519年建立
国の重要文化財並びに琉球王国のグスク及び関連遺産群世界遺産と
して指定・登録されている。沖縄戦で大破し、広島の原爆ドームと
同様“負の遺産”として残すべきではとの意見もあったが、1957年
に復元され、1972年日本復帰後、重要文化財に指定、2000年には首
里城などと共に世界遺産に登録される。
※2 文献に記述は見られないが、築城の技術を見ると西塘が携わった
のではないかと云われている。
※3 年代については諸説がある。西塘が帰郷した年も1524年説と1546年説
があり、正確な記録が残っていない。
(TA)

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