由布島覚書

昨夜、「ミーナライ(見習い)・シキナライ(聞き習い)の会」の参加者は8名。
現在、会では『竹富町史10巻 資料編近代1―竹富島喜宝院蒐集館文書―』所収の「間切島ニ関スル書類」をみんなで読んでいるところです。
ところで、1900(明治33)年3月の記事に
「西竹富村」の村立てに関するものがありましたが、
この件は立ち消えになったようです。
昨日読んだ記事には、1901(明治34)年11月、
由布島での村立てを再協議しているものがありました。
その内容は次のとおりです。
・畑屋を作り直す。
・元野原村の猪垣を牛馬牧とする。
・由布近辺の荒田・荒畑を竹富村の管轄として再開墾し、
作物を栽培する。
・人柄を見て猪垣の担当者4名を選出する。
・田畑の開墾が済むまで竹富島と由布島を往復する。
このようにして、由布島を拠点とする村立てが決まりました。
竹富島の出作耕作はその後も継続されましたが、
由布村の誕生は戦後まで待たねばなりませんでした(以上「解題」参照)。                                 (YI)

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