八重山から。八重山へ。

先月、『八重山から。八重山へ。-八重山文化論序説-』が、
南山舎から出版されました。
著者は、詩人でもある、砂川哲雄氏。
本書には評論・書評、随筆などを中心に、
101編がまとまっています。
そのなかに竹富島に触れられているのも、
いくつかあります。
「ンダローマゆんた」「八重山歌謡におけるエロティシズム」
「遊女たちのうた」の評論3題では、
竹富島の古謡「ンダローマゆんた」に注目し、
共同体に流布された歌謡の性格や
猥歌とは一線を画する、
八重山歌謡のおおらかなエロティシズムを論じています。
論文「文芸同人誌“セブン”の誕生と八重山近代文学の出発」では、
竹富島出身の金城亀千代の足跡が気になるところです。
沖縄の近代文学史をふりかえるとき、
文芸同人誌『セブン』(1926年創刊)を
避けて通ることはできません。
ここでは、それに参加した同人たちにスポットをあて、
八重山の文学活動史を浮き彫りにしています。
そのなかで、次のような『反戦資料』を引いています。
「昭和16年8月、八重山郡、竹富町字竹富出身で、現在師範学校在学中の竹盛浩、金城亀千代、医学専門学校の大底定美、水産学校の学生の大浜武治などの12人は、書中休暇中帰村するや、村の小学校で音楽会をひらき、民衆をあつめてつぎのような演説をやった。(後略)」
ここに現われる、金城亀千代は『セブン』で
「“世紀末的島の心臓”“犯罪地帯”などの注目すべき作品を発表した。のちに九州わたり、鹿児島で発行されていた新屋敷幸繁編集の“南方楽園”(昭和2年6月号)に“市街”という詩を発表したり“前月時評”を書いたりしているが、一時期は発行人としても名前が見える。また筆者(砂川氏)宛の西里喜行書簡によれば、福岡あたりで演劇グループにもいたり、桜木康雄というペンネームで月刊雑誌にも投稿」するなど、
バイタリティあふれる活動を展開しています。
しかし、西里喜行氏は、砂川氏宛の書簡のなかで、
『反戦資料』の昭和16年という記述には、
問題があると指摘しています。
そして砂川氏は「金城亀千代の足取りの詳細は
現在のところまだよく分からない」と述べています。
書評「“大塚勝久写真集 うつぐみの竹富島”のこと」では、
砂川氏がつねに側に置き、折に触れて開いてきた、写真集として
大塚勝久氏の『うつぐみの竹富島』をとりあげて、
論じています。
そこには鑑賞が芸術論にまで及び、
大塚氏の人となりも触れています。
一読をおすすめます。                (YI)


参考として、
金城亀千代の詩「世紀末的島の心臓」を
掲載します。
サブタイトルは「佐藤惣之助に送る」です。
海鳴りが
深い暗の底に呻吟ってゐる
琉球の冬は
まるで太陽を失った壁虎のやうな生活だ
せちからい島の生活を吹く
海風は
その不安を負ふて
絶えず村人の純情を追ひつる
颱風につかれた
ワラ小屋が
悲痛な最後の悶へを地肌に投げ出そうとしてゐる
その悲惨な情景は
島人の持つ惨めな生活感情である
スルゝ虫に食ひ付かれた
芋畑は焼け爛れた火事場だ
百合の根
蘇鉄の実が食へなくなったら
今度は誰に食ひ付くのか
×××……
餓鬼も娘も紡績へ賣ってしまった
親爺は
うす暗い洋燈の影に
朽ちた赤松のやうな影を横たえて
ただ黙々と煙草をえぶしている
女の笑ひ一つない
空洞のやうな冷たい部屋に
俺は
この憂鬱な悲劇を目撃して倒れるかも知れない
今宵
海鳴りは不安な暗をうなっている。
(『セブン』1927年第1年1号)

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