『星砂の島』第11号 巻頭言
全国竹富島文化協会発行の『星砂の島』
2008年に当ブログでご紹介した、
第11号(2008年3月31日発行。特集:竹富島の歴史と文化)の巻頭言は、
現在、沖縄国際大学副学長を務める狩俣恵一氏による寄稿です。
改めて狩俣氏の巻頭言を読み直すとともに、
5年前と現在の竹富島の問題について考えてみたいと思います。
少々長くなりますが、
ブログをご覧のみなさま、是非ともご一読をよろしくお願いいたします。
(ta)
竹富島観光の行方
―星野リゾートに向き合うことの重要性―
全国竹富島文化協会編集委員長 狩俣恵一
竹富島では、復帰前の昭和45(1970)年頃から土地が買い占められるようになり、島を守ろうという意識が高まってきた。そして、種子取祭が昭和52(1977)年に国から重要無形民俗文化財に指定され、昭和61(1986)年の竹富島憲章の制定、翌年、いわゆる町並み保存地区の選定。そして、それらが竹富島の進路を決定したといっても過言ではない。というのは、それ以降の竹富島は、土地を守り、歌・芸能・祭りなどの伝統文化および集落の景観を資源として、観光業に取り組んできたからである。
要するに、竹富島は、協同一致の「うつぐみの心」で竹富公民館の自治組織を強固にし、外部資本によるリゾートを拒否することで、島の伝統文化と景観を資源として自力の観光業を営んできたが、重要無形民俗文化財指定30周年、町並み選定20周年を迎えた今日、竹富島には大きな変化の波が押し寄せている。
一つは、「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」ことである。おそらく、このような個人業者は、観光業で利益が得られなくなったとき、竹富島から去るであろう。言い換えるならば、竹富島の観光業は、従来、「島で生活するため」に営んできたが、利益第一の個人業者は、経済行為を遂行する権利意識が強く、島の「うつぐみの心」を軽視し、「伝統文化の継承」と「景観の保全」には鈍感である。竹富島の観光が脚光を浴びるようになったことで、心ある島民の意見を聞かない「利益第一主義の個人業者」が、わずかではあっても竹富島に出現したことは島の将来を危うくしており、不安の種である。
二つには、株式会社星野リゾートが、竹富島のアイヤルに40棟~50棟ほどの赤瓦の家を建てる「竹富島東部宿泊計画」を進めていることである。星野リゾートが竹富島にやってくるという話を聞いただけで、竹富島憲章は破綻したと考える人も多く、島の将来はどうなるだろうと心配する声も聞かれる。星野リゾートも利益第一主義の個人業者と同じく「島で生活するため」だけでなく、利益優先を目的としていることを島の人は知っているからである。しかし、竹富島憲章制定以前に売られた土地が、どのようにして買い戻されたのかという経緯を知っている多くの島の人は、単純にリゾート反対とは言えない現実に直面していることも知っている。お金の面から見るならば、竹富島の土地は、借金で買い戻したが、その返済ができないため再び売られてしまったからである。そのようなことがあって、星野リゾートは、竹富島の上勢頭保さんを共同代表取締役とする「南星観光株式会社」を新たに設立して竹富島の観光事業に参入することになったのである。
これまであまり表面だって語られることはなかったが、昭和30年代、ある会社が竹富島に牧場を作るため、一坪3セント~5セントで土地を買った。それが、竹富島の土地の「まとめ買い」の始まりだったと思われる。今回の出来事で初めて知る人もあったように、反対運動の先頭に文字通り体を張って立たれていたのは、保さんの父である昇さんである。そのお父さんの思いを引き継いだとは言え、竹富島の約三分の一の面積(約60ヘクタール)の買い戻しに至るまでの保さんの苦労は想像に絶するに余りある。それが今回、外国のファンド会社などに売られてしまった。その評価額は、莫大な金額になるという。このようなお金は、竹富島にはない。竹富町にもない。また県や国も出してくれない。したがって、竹富島はリゾートを受け入れざるをえない状況に直面しているのである。このような状況の中、上勢頭保さんは水面下で現状打開を模索し、かつ土地を売らないで観光業を続けることはできないかと考え、白羽の矢を立てたのが星野リゾートである。そして、去る3月18日の「竹富町伝統的建造物群保存地区保存審議会」は、新会社の南星観光株式会社による「竹富島東部宿泊施設計画」を承認したのである。その現実を踏まえた上で、竹富島の今後は、どうあるべきだろうか、考えてみた。
思い起こされることは、先述した「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」という問題である。スケールの大きさは異なるが、竹富島の「利益第一の個人業者」も、星野リゾートも「観光業で利益を得ることを第一の目的」としていることに変わりはない。しかし、利益優先であったとしても、将来もなるべく永く竹富島でリゾートを続けようと考えるならば、利益第一の個人業者も、星野リゾートも、共に「うつぐみの心」「伝統文化」「景観保全」の重要性を理解する必要がある。
幸いにも、星野リゾートは、永続的な竹富島での観光業を希望しており、軽井沢で先祖の土地を百年に亘って守ってきた実績を持つと同時に、次のような経営観念を持った会社である。
~自然環境が豊かなリゾート地においては、それを資源として活かしながら保全に努めるとともに、施設運営による周辺環境への負荷を限りなくゼロに近づけることが求められています。リゾートの運営を専門分野とする星野リゾートにとって、低環境負荷の運営をする能力は、重要な企業競争力の一つであるのです。~
星野リゾートは、その経営理念のもと第一回エコツーリズム大賞をはじめ、水・エネルギーなど、数々の環境に関する成果をあげた評価の高いリゾート会社である。また、星野リゾートが竹富島憲章の精神を重視し、「土地を売らない」「活かす」を組み合わせた「竹富島土地保有機構」という会社を設立したことは、傾聴に値する。そればかりではない。星野リゾートの集客力は大きく、旅行代理店の影響力は小さい。そのことは、老舗の星野リゾートの経営力を示すと同時に、他のリゾート会社とは一線を劃していると考えているとよい。
リゾート会社のほとんどが、乱開発と時流に乗って儲けようとしてきたが、失敗すると転売することを繰り返してきた。その結果、地域には廃墟と環境破壊だけが残される。そのようなリゾート会社が多い現状において、「リゾートは悪」というイメージがつきまとう。
特に、近年、石垣島では、リゾート会社による乱開発で環境破壊が進み、さまざまな問題が生じている。その要因の一つとして、受け入れ側の自然破壊や景観に対する意識が低く、無条件に近い形でリゾート会社を受け入れてきた対応の拙さをあげることができる。その意味において、竹富島は石垣島の失敗から学ぶべきことが多い。つまり、リゾート会社の経営力・環境への配慮・集客力・地域との共生、等々を検討し、きちんと話し合うことが肝要である。
幸運にも星野リゾートは、私たちの対応次第では、我が竹富島にふさわしいリゾート会社になれる可能性が高い。しかも、これまで竹富島を守ってきた上勢頭保さんを高く評価し、正式な共同経営者としての位置においていることである。しかし、これまでの説明会は、「竹富島東部宿泊施設計画」の理念や骨格の部分であり、細部における話し合いは充分には行われていない。よって、竹富公民館をはじめ、石垣・沖縄・東京の各竹富郷友会は、我が竹富島がこれまで築いてきた「うつぐみの心」「伝統文化」「素晴らしい景観」を背負って、星野リゾートと率直に意見を交換し、星野リゾートと竹富島が、共生できる理想的な道を探る必要があると考える。私は二度、星野リゾート社長の星野佳路さんと、専務の星野究道さんにお会いしたが、幸いにも両氏とも竹富島の住民及び竹富島関係者との話し合いを望んでいる。
また、南西観光社長の上勢頭保さんと私は、竹富中学校時代からの付き合いであり、共に全国竹富島文化協会の設立、遺産管理型NPO法人たきどぅんを設立した仲である。保さんは経済人として、「竹富島を宝の島」にしたいという理想を持ち続けていると同時に、父・昇さんから受け継いだ土地買い戻しに奔走され、竹富島の「うつぐみの心」「伝統文化」の継承にも尽力してきた人物である。よって、竹富公民館は、星野佳路さん・上勢頭保さんと、ぜひともきめ細やかな話し合いをして欲しいものである。そして、その話し合いは、宿泊施設建設の前だけでなく、開業後も継続し共通理解を得ることが重要であり、新会社の「南星観光」及び「竹富島東部宿泊施設」を通して、我が竹富島が誇る「うつぐみの心」を全国へ、そして世界へと発信することを期待する。
蛇足ではあるが、記しておきたい。2008年3月11日、竹富島のアイノタ会館で、「狩俣・家中うつぐみ研究室」は星野さんを招いて私的な勉強会を開いた。テーマは、竹富島東部宿泊施設計画と竹富島の将来についてであった。女性の皆さんと50代以下の男性が中心で40名ほどの皆さんが集まった。一時間ほどの説明の後、一時間半の質疑応答が行われた。
司会をつとめた鳥取大学の家中茂先生は次のような感想を述べていた。竹富島憲章から20年を経た現在、竹富島の町並と観光について大きな岐路に立っている。そのことを竹富島の人々は日々の生活のなかで自らに問いかけている。今回の星野リゾートの登場も、たんにリゾート受け入れの是非といった水準でなく、今後の島の将来を自分たち自身で開いていくひとつの契機として受けとめている。そのことがこの日の勉強会からひしと伝わってきた。いかに島を立てていくのか、そのときいかに竹富らしくあるのか。個々の思惑を超えた、そのような問いかけこそが竹富島をここまで導いてきたのだろう。「うつぐみ」の力とは、時代の転換点において発揮されるこのような島の叡智を指しているのではないかと教わった、と。
先進的な観光論は、旧来のリゾート開発を否定し「着地型観光」へと進んでいる。将来の展望を見据えて、真剣に意見を交換する島の皆さんの姿を見て、私は、竹富島の観光は近い将来「着地型観光」へと進んでいくだろうと確信した。