おめでとう!瑞穂さん(最優秀賞)!昌彰くん(入賞)!
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大活躍の竹富小中学校。
また朗報がまいこんできました。
第57回「社会を明るくする運動沖縄県作文コンテスト」の
中学生の部で、最優秀賞に小林瑞穂さん(中3)、
入賞に仲村渠昌彰くん(中2)が選ばれました。
おめでとうございます。
17日午後、那覇保護観察所石垣駐在官事務所で
行われた表彰式の模様が、
今朝の『八重山毎日新聞』に掲載されています。 (YI)
社明運動作文コン 最優秀に小林瑞穂さん
―3人の児童生徒を表彰―
『八重山毎日新聞』2007.12.18
第57回社会を明るくする運動沖縄県作文コンテストの伝達表彰式が17日午後、那覇保護観察所石垣駐在官事務所で行われ、八重山から3人の児童生徒が表彰された。
同運動は犯罪の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、犯罪や非行のない明るい社会づくりが目的。非行問題について子どもたちが日ごろ考えていることを作文にすることで、同運動への理解を深める。
作文コンテストには県内から小学生の部に約500点、中学生の部に約340点の応募があった。
表彰状を手渡した那覇保護観察所の佐久本英子所長は「表彰された皆さんには、周囲の友達や家族などに社明運動のことを伝え、温かい人の和を大切にしてほしい」と激励した。
中学生の部で最優秀賞に選ばれた小林瑞穂さん(竹富中3年)は「驚いているけど、私の作品が選ばれたことはとてもうれしい。都会にはない小さな島ならではの人と人とのつながりを作文を通していろんな人に伝えたい」と語った。
受賞者は次の通り。
【中学生の部】最優秀賞=小林瑞穂 (竹富中3年)
入 賞=仲村渠昌彰(竹富中2年)
【小学生の部】 優秀賞=小濱瑞稀 (大浜小6年)
…
竹富小中学校学習発表会
14日に開催された、
小中学校の学習発表会の様子が、
今日の『八重山毎日新聞』で報じられています。
○竹富小中学校で学習発表会
-ごみや温暖化問題も-
『八重山毎日新聞』2007.12.17
竹富通信員
竹富小中学校(石垣安志校長)は14日、学習発表会を行った。同校は児童生徒数も増えて活気が出てきており、子どもや孫たちの活動ぶりを見ようと、大勢の島民が集まった。
展示発表の部ではごみ問題の壁新聞や烽火リレーの絵があったが、連絡があったばかりという小林瑞穂さん(中3)の「社会を明るくする運動」の作文が全国大会最優秀賞に輝き、金紙が張られて、ひときわ目を引いていた。
舞台発表の部では「でんさー節」「鶴亀節」の三線演奏で幕開け。小学校低学年は合唱奏「音楽大好きねずみ隊」、中学生は劇「ムササビ子ども組」、高学年は総合的な学習で研究した「サンゴ・星砂誕生物語」を演じて発表した。また少年の主張大会に出場した宇根東杜君、童話大会に出場した大浜熙人君が堂々と表情豊かに発表して拍手を浴びた。
中学生は総合的な学習で調査した「エコアクションプラン」を発表した。女子は「ザ・ゴミin竹富」としてごみ問題を、男子は「竹富島の水没を防ごう」と温暖化問題を取り上げた。
女子班はアンケートやインタビュー、インターネットを駆使して、本当に竹富島は美しいのかと問題提起した。
男子班は温暖化で気温上昇に伴い海面も上昇して、標高24メートルの竹富島が水没するのはあと1万2千年後になる。しかしその時には気温は120度になっており、生物は死滅していると大胆に推論。身近なサンゴ白化問題に関心を持つように訴えた。
これは先に立教大学で行われた環境シンポジウムで発表したもので、実際に白化サンゴを調査し身近な現象から温暖化をとらえ、それを自分の島の水没ということまでフィードバックさせた着眼点はすばらしいものだった。
石垣校長は「小学校27人、中学校6人と少ない人数ながら一人ひとりが主役で輝いている。音読に力を入れてきたので読解力、表現力が身に着いて発表の口調もはっきりと分かりやすく上達してきた。学校、地域、家庭が一体となった成果だ。さらなる協力を」とあいさつしていた。
…
『八重山毎日新聞』2007.12.16
変わりゆく八重山の自然と、文化や暮らしを
見つめ直そうはじまった「八重山の針路と選択」(『八重山毎日新聞』)。
今日はその第65回。
町並み保存発祥の地「妻籠宿」(長野県南木曽町)と
「白川郷」の観光のあり方から、八重山を映し出そうとしています。
両者ともに観光地として成功し、高い評価を得ていますが、
世代交代とともに、町並み保存の原点に立ち返ることを、
共通の課題として抽出しています。
今年もあとわずかになりましたが、
2007年は、竹富島のまちなみが、重要伝統的建造物群保存地区に
選定されて20年の節目でもあり、
原点を振り返る、先載一遇の好機でもありました。 (YI)
八重山の針路と選択65『八重山毎日新聞』2007.12.16
第3部まちづくり24白川郷妻籠宿編
町並み保存の発祥の地として江戸時代の古い宿場町の形態を残す「妻籠宿」(長野県南木曽町)と合掌造り家屋の農村風景が95年12月に世界遺産に登録された「白川郷」(岐阜県白川村荻町)。いずれも、復元した町並みが観光資源となり、観光地として成功している。しかし、観光の弊害で、世代交代とともに町並みの保存に対する意識が変化している、といわれ「原点に立ち返る」ことが共通の課題となっている。
■景観あっての観光
両地域とも、観光が地域の基幹産業で、住民の大多数が直接・間接的に観光業に携わっている。その観光を生かすために両地域ともさまざまな取り組みを行っている。
妻籠宿では、写真に撮られることを意識し、看板類は通りと並行に出すことを基本に最小限に止め、土産物類は軒から外に出すことを禁止。電線、電柱類の移設など、古い町並み景観を維持している。
白川郷では、休耕田を復元する一方、保存地区での新たな家屋建築を禁止。増築も元の家屋の1.5倍までに制限。集落景観の変化を防いでいる。
■公平な富の分配
大量に訪れる観光客は、宿泊料金や土産物購入などで地域経済を潤している。しかし、両地域とも一部の実業家が富を独占するのではなく、地域で観光業を営む者すべてに行き渡っている。
妻籠宿では、店舗を1軒1店舗2業種までと制限。宿泊人数も10人程度となっている。
白川郷でも、宿泊人数に制限はないものの「家族でお客を持てなし、触れあえる人数」として、15-16人程度に押さえている。
また、新たな家屋を建築できないことで営業は、既存家屋に限られ、規模拡大の歯止めになっている。
■初心忘るべからず
両地域とも「売らない、貸さない、壊さない」の保存優先の3原則からなる「住民憲章」を制定し、町並み保存に取り組んで約40年。復元した町並みが観光資源となり、観光地として成功している。
しかし、世代交代とともに町並み保存に対する意識が「観光のための保存」へと変化しつつあるようだ。
過疎化の波に洗われ、貧しく、苦しい時代を味わった両地域のお年寄りからは「昔はどの家もギリギリの生活を送っていた。町並みがなければ今ごろはどうなっていたか…」(妻籠宿)「ご先祖様は立派。これがなかったら村がなくなっていたかもしれない」(白川郷)と、村存続の危機を救った町並み保存に対する感謝の気持ちが聞かれた。
「保存された町並み、景観があってこその観光」。「初心忘るべからず」。保存の原点に立ち返ることが両地域共通の課題であり、町並み保存を目指す全国共通の課題ではないか。
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『産経新聞 夕刊』2007.12.13
昨日(12月13日付)の『産経新聞 夕刊』12面。
「沖縄・竹富島散策」と銘打って、
紙面いっぱいに6葉の写真が用いられて、
竹富島が紹介されています。
筆者は林秀樹氏。
観光客の方が教えてくださいました。
まことにありがとうございました。
ちなみに、写真に添えられたキャプションのみ、
拾ってみましょう。
どのような写真か掲載されているか、
想像してみてください。
「水牛車でゆっくり町をめぐる観光客ら。人が歩くスピードより遅い」
「赤瓦の屋根や白い石垣など、古き良き琉球文化が色濃く残る町並み」
「流木や木の実を使ったアクセサリーを作る酒井潮さん」
「名物の八重山そばを出す“そば処竹之子”」
「名物の八重山そば。島名産の香辛料“ピィヤーシ”を入れると風味が一層引き立つ」
「伝統的な設計方法で建てられた郵便局」 (YI)
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景観美
「八重山の針路と選択64」(『八重山毎日新聞』2007.12.13第1面)でも、
白川郷における観光の現状がレポートされています。
08年4月には、白川郷インターチェンジの開通が予定され、
交通の便がよくなるにともなって、
さらなる観光客の増加が見込まれています。
白川郷は、世界遺産に登録された合掌造りの家屋が立ち並び、
美しい農村風景を形成しています。
三島敏樹氏(白川郷荻町集落の自然環境を守る会会長)は、
観光のために景観を残すのではなく、
保存の原点に返ると同時に、
景観美、集合体としての美の追求といった面からの
保存も大切だといっています。
竹富島の景観美について、
西山徳明氏の「竹富島の集落はなぜ美しいか? その1・2」は、
必読の論文です。
それぞれ『星砂の島』(全国竹富島文化協会)
第8・9号に収録されています。
西山氏の論文には、竹富島の景観美の秘密を
具体的に述べていますが、
そのなかから1つ紹介しましょう。
「竹富島集落では、
すべての屋敷において
分胸形式がとられたことは不思議です。
しかしそのことが(中略)屋根形状と相俟って、
きめ細かなリズム感のある屋根の連続する景観を
創り出しているのです。」
リズム感のある景観!とは面白いですね。 (YI)
「八重山の針路と選択64」
―第3部まちづくり23白川郷編―
『八重山毎日新聞』2007.12.13
世界文化遺産に登録された合掌造り家屋が立ち並ぶ農村風景を目当てに年間150万人の観光客が訪れ、民宿や土産店、飲食店など観光関連産業が活発な白川郷。生活基盤が確立されていることで若者が戻る一方、条例で家屋の新築や増築が制限され、住居確保の問題も浮上している。また、来年に予定されている白川郷インターチェンジ(IC)の開通による集落環境の変化も懸念されている。
■若者のUターンと住宅不足
世界文化遺産に登録された荻町の人口は148戸、約600人。観光産業という生活の基盤も確立されていることで若者のUターンも多く「人口ピラミッドがほぼ真四角で、地区内に各年代が満遍なくいる。他の地区と比べ、過疎化は少ない」(世界遺産白川郷合掌造り保存財団)という。その一方で問題となっているのが、若者の住宅問題。
現状の世界遺産の集落景観を維持するために保存地区内では、基本的に家屋の立て替えを除き、新たな建築は出来ない。増築も現状面積の1.5倍までとするガイドラインが設けられ、無秩序な増築を規制している。
これにより、若者が帰ってくる地盤、働く場所があるものの、住む家の確保が難しくなっているのが現状のようだ。
■開通間近な白川郷IC
白川村は、一番近い高速道路のインターから約50分。交通の便は極めて悪い。それでも年間150万人もの観光客が訪れ、ピーク時には集落内が観光客であふれる。
その不便な交通の便も08年4月には集落近くで高速道路の白川郷ICの開通が予定され、交通の便が改善されることでさらなる観光客の増加が見込まれている。
しかし、その一方で「インターが開通すると観光客の流れがどう変わるか分からない」「これ以上観光客が来ると、白川郷が汚れていくばかり」「高速は無くても良い。不便な所でも来てくれるお客だけで良い」と、観光客増加に伴う集落内の環境悪化を懸念する声もある。
■景観美の保存
観光客が増加するなか「観光のための保存」へと、住民の意識のズレが指摘されるなか、白川郷荻町集落の自然環境を守る会の三島敏樹会長は「(合掌造りの)保存の原点に返ること」を課題として挙げた。
今後の手法としては「景観美、集合体としての美の追求」を挙げ、生活するのに必要だからではなく、風景が美しいから残すという、共有できる美の観点から保存の必要性を強調した。
…
佐野滋「町並みが花に埋もれる竹富島」
昨日(12/9)の『八重山毎日新聞』に、
佐野滋氏の随想「町並みが花に埋もれる竹富島」が
掲載されています。
短歌を交えたエッセイは毎回楽しみです。
今回は、11月に開催された「輝く町並み写真展」の
会場での一コマを交えて、
竹富島のまちなみをアピールしてくださいました。
ありがとうございました。 (YI)
佐野滋(東京・杉並区在住)「町並みが花に埋もれる竹富島」
『八重山毎日新聞』2007.12.09
竹富島の町並みが、文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されて今年20周年になるのを記念して、全国に残る歴史的な町並みの姿を八重山地方の人々にも知ってもらうと同時に、竹富島の町並みのすばらしさをあらためて実感してもらおうと写真展を思い立ちました。
現在、全国にあるいわゆる「伝建地区」の町並みのうちこれまでに自分の足で訪れたのは、20カ所をこえたところです。その中から14カ所の町並みの写真およそ100枚を選んで、11月6日から18日まで石垣市立図書館で「輝く町並み」写真展を行いました。
展示の初日、桜の花が春のそよ風にゆれる秋田県角館(かくのだて・仙北市)の黒い板塀に囲まれた武家屋敷の写真をなつかしそうに見入っている女性に出会いました。「わたし、この町に住んでいたことがあります。」
また、かつて全国的に活躍した近江商人の故郷、近江八幡市の商家の町並み写真の前で「ここは誰々の家…」と説明してくれた男性もいて、八重山に住む人々もさまざまな人生を歩んでいることをつくづく感じさせられました。
早くから西洋とのかかわりが深い長崎市の東山手地区には、オランダ坂の石畳の道にそって洋風の住宅や学校の建物などが並んでいます。
古い白壁の建物が川の水面に美しい影を落とす倉敷の商家町。
長野県の木曽谷にある旧中山道の奈良井宿は、江戸時代の昔に連れ戻されたような雰囲気をいまもとどめています。
竹富島は、いつ訪れても町並みがとりどりの花で埋まっています。私がこれまで訪れた町並みのうち、これほど花々に囲まれたところは他にありません。それから、竹富小中学校の校舎に描かれた種子取祭の壁画も、島の町並みに趣をそえています。
このたびの写真展の会場で多くの人々と話す機会があり、また会場に用意したノートを通して、人々の思いが私の心に伝わってきました。
「一度壊したものは元に戻りません。歴史的に価値のあるものは、みんなで保存しなければなりません。古い良いものを見据えて、前に進むことも必要だと思います。」
「昔の建物には、とても日本らしさを感じます。その中でもやっぱり竹富島は最高です。真っ白な道、サンゴの石垣と赤瓦、カラフルな花は沖縄らしさを感じさせます。ずっとそのままであつてほしいと思います。」
そしてさらに何人もの方々が「感動した」「写真展、どうもありがとう」と書いて下さいました。会場のノートを通して八重山の人々と心の交流が出来、私の胸に何やらこみ上げてくるものがあります。会場にわざわざ足を運んで下さった方々、会場を提供して下さった石垣市立図書館、その他大勢の方々に心からお礼を申し上げます。「にぃふぁいゆ」。
○島人が心ひとつに竹富島の
町並み護りて二十周年
○この町にかつて住みしと語りたる
女性の瞳かがやきてあり
○竹富島の花に埋もれる町並みは
生命力あふれる八重山の宝
○「ありがとう」とノートに記す人ありて
吾は応えん「にぃふぁいゆ」と
○劣等に冬来たりても八重山の
人の心はなお温かき
○町並みの写真の展示終えて今
帰京する吾島去り難し
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観光を考える
「八重山の針路と選択63」(『八重山毎日新聞』2007.12.09)の
冒頭は、人口約600人の小さな農村集落である、
白川郷荻町に年間約150万人もの観光客が訪れる
話題からはじまります。
荻町を中心とした白川郷では、
合掌家屋を生活のなかで守りながら、
それを観光資源として生かしています。
1982年から94年にかけて、ジワジワと増加した観光客が、
世界遺産に登録された、95年から急激な伸びを見せたといいます。
それに伴って、例えば交通渋滞や、景観の混乱など、
地域のさまざまな社会問題を
引き起こすこともあるようです。
竹富島においても、新石垣空港の開港を契機に、
観光の急激な変化が考えられます。
白川郷と竹富島を比べてみたとき、
基層となる文化は、山と海というように対照的ですが、
同じような志と、同じような悩みを抱えながら、
まちづくりに取り組む姿勢に、親しみを覚えるのです。
住民にとっても、観光客にとっても、よりよい環境をめざした、
質の高い観光を計画的に実行していかなければなりません。
(YI)
「八重山の針路と選択63」『八重山毎日新聞』2007.12.09
第3部まちづくり22 白川郷編
荻町を中心とした白川郷には、合掌造りの農村集落を目当てに年間約150万人の観光客が訪れる。合掌家屋を持つ住民の大半が民宿や土産物店を営む。合掌造りを生活のなかで守りながら、観光資源として生かしている。しかし、交通手段が車両に限定されることから時期により駐車場不足が発生するほか、連日、集落内を散策する観光客に住民のプライバシー保護の問題も浮上している。
■人口の2000倍の観光客
昔ながらの合掌家屋がまとまって残り、世界遺産に登録されている荻町は148世帯、人口約600人の小さな農村集落。そこに人口の2000倍以上にのぼる約150万人の観光客が訪れる。
観光客は82年から94年にかけ50-70万人に向けジワジワと増加していたが、世界遺産に登録された95年から急激な伸びを見せ、10年余で倍増した。
■観光施設として活用される合掌家屋
荻町にある民間の合掌家屋は59棟。このうち21棟が民宿、8棟が土産物店、7棟が飲食店として活用されている。
このうち民宿は、合掌家屋の古い間取りをそのまま利用しているケースが大半。1棟の宿泊人数は最大で15-16人。特に人数制限はないが、家族でお客に対応できる人数がこのくらい、だという。
合掌民宿「十右エ門」を経営する坂井奎子さん(75)は「ホテルみたいに(お客を)満杯にとることはない。たえずお客と触れ合うことが大事。そうしないとせっかく来てもらったお客に悪い」と言う。
また、坂井さんは、観光客が増え、民宿も営業化していることに「営業みたいになると心が伝わらない。町で心が伝わらないのに田舎に来ても心が伝わらないと寂しい」と話した。
■不足する駐車場
荻町には、集落から庄川を挟んだ対岸に荻町地区の総合駐車場(村営)がある。収容台数は大型バス38台、普通自動車188台。利用料の約半分が合掌基金に積み立てられ、集落整備事業の財源に充てられている。
しかし、ゴールデンウイークなど繁盛期は駐車場に入り切らず、集落内での路上駐車が発生。集落内の安全対策や景観上からも問題となっている。
これを受け、荻町では、交通対策委員会を立ち上げ、集落までのシャトルバスを付けた臨時駐車場の開設や毎月週末の2日-4日間、午前9時-午後4時まで観光車両の集落内への乗り入れ規制や、一方通行の社会実験を始めている。
…
結い
『八重山毎日新聞』連載中の「八重山の針路と選択」。
本日は第62回。
4日にお知らせしましたように、ただ今「白川郷編」が展開中です。
今回のテーマは、合掌造りの屋根の修復について。
それには、昔ながらの「結い」の精神が受け継がれ、
地域住民が互いに労力を提供して、
合掌造りの伝統家屋を維持しているのです。
さて、その「結い」ですが、
沖縄でもたいへん親しみのある言葉です。
最近は、単に「一致協力」ということが強調されますが、
本来は賃金のともなわない労働交換といった、
経済活動と大きく関係しています。
『沖縄大百科事典』によると次のようにあります。
「生産力の水準が低く、労働力が賃金で評価されない段階では、
他所からの労働力の受入れにたいして労働力でをもって
返す方法がとられた。
この労働力のやりとりは、血縁・地縁で結ばれた
数戸の農家同士でおこなわれる。
一般的には共同的、相互扶助的なものとしてとらえられているが、
経営の分化が進んだ段階では経営規模の大きい農家に
有利に作用したという側面も見逃してはならない。
農村に資本主義経済が浸透し、
労働力が賃金で評価されるようになるとユイは崩壊していく。
沖縄ではサトウキビの刈取り、製糖、田植え、
刈取り作業を中心に耕起作業、家、墓の普請などのユイもあった。
現在各地ににみられるユイは、現金の生産をともなっている
場合が多い。
なかでも竹富町波照間島、国頭村奥のユイはよく知られている。」
白川郷荻町集落の自然環境を守る会
会長・三島敏樹氏によると、
現在「結い」には3つのレベルが認められ、
合掌の大きさなどの条件により、
その3つの「結い」を組み合わせながら、
バランスをとって合掌屋根の修復が行なわれるそうです。(YI)
「八重山の針路と選択62」『八重山毎日新聞』2007.12.06
第3部まちづくり21 白川郷編
世界文化遺産に登録された白川郷には、114棟の合掌家屋が残り、このうち荻町では59棟の合掌家屋と周辺の水田で昔ながらの農村風景を色濃く残している。その保存には、住民組織の白川郷荻町集落の自然環境を守る会(以後守る会)と、合掌造りの修理などを受け持つ(財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団(同財団)が連携して当たっている。合掌屋根の修復には昔ながらの「結い」の精神が受け継がれ、地域住民が互いに労力を提供することで、合掌造りの伝統家屋を維持している。
■合掌造りの特徴
白川郷の合掌造りは、小屋内を有効利用するために切り妻造り屋根としたかやぶき家屋。幕末から昭和初期ににかけ養蚕が住民の生活を支える基盤産業だったことから、屋根裏を2-4層に分け、夏場は養蚕場、冬場は食料や牛の飼料などを保存する倉庫として活用されてきた。
このため、大きな家では、現在の4、5階建ての家屋と同じぐらいの大きさがある。
■受け継がれる結い
合掌家屋を維持するためには定期的な屋根のメンテナンスが必要。年に1回は、屋根の頂上の「棟がや」のふき替えと、古くなったかやを替える「差しがや」が必要。この作業に昔ながらの「結い」で、地域住民が互いに労力を出し合っている。
以前は、材料のかやを各家で確保し、材料の持ち寄りも含めた結いが行われていたが、近年は、かやの確保が難しくなったことから、労力のみの結いとなっている。
守る会の三島敏樹会長によると、結いには地域全体に募る結いと、合掌家屋を持つ合掌保存組合だけに手伝ってもらう「現代結い」、かやふき技術者が伝統技法を継承するために請け負う結いの3つの結いがあり、合掌の大きさにより、3つの結いを組み合わせ、うまくバランスを取りながら合掌屋根の修復が行われる、という。
■保存は心意気
合掌造りの補修には、その規模により国や財団から補助があり、住民の負担は、非営業者で10%、民宿や土産店などの営業者で40%となっている。
しかし、大きな家だとふき替えに1200万円かかり、補助を受けても住民負担は大きい。
築300年近い合掌造りで民宿を営む女性(75)は「合掌造りは暗く、屋根ふきが経済的にも大変。ただ住むだけなら新しい便利な家に住みたい。民宿など何かメリットがないといけない」と話す。
三島会長は「皆、心意気でやっている。自分の家でありながら地域の財産。皆に助けてもらい屋根打ちした家だという気持ちで大事にしている。多少リスクを背負っても誇りを持って維持している」と話した。
…
白川郷と竹富島
昨日、白川郷の「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」
会長の三島敏樹氏にお電話差し上げました。
というのは、『八重山毎日新聞』に連載中の
「八重山の針路と選択」欄で、まちづくりのお手本として、
白川郷が採り上げられていたからです。
白川郷は、先日(9月4-6日)
交通システム導入の先進地として
視察させていただいたこともあり、
親しみを覚えます。
(フィリップモリス・ジャパン助成事業)
白川郷はすでに世界遺産に登録されています。
合掌造りの保存に対する取り組みや
それを活用して観光を推進することなど、
竹富島のまちづくりにも
大いに参考としたいところです。
『八重山毎日新聞』の「八重山の針路と選択」欄では
しばらく「白川郷編」がつづきます。
見逃せませんね。
これを契機にして
白川郷と八重山の交流が
深まることを思います。 (YI)
「八重山の針路と選択61」『八重山毎日新聞』2007.12.02
第3部まちづくり20 白川郷編
山すそに合掌造りの家屋と水田が広がる「白川郷」(岐阜県大野郡白川村荻町)。日本の原風景のような農村風景が1995年12月に世界遺産に登録され、そこに住む人々が普段の暮らしのなかでそれを守り、観光資源として生かしている。合掌造りの保存には、昔ながらの「結い」が生かされ、集落を挙げて合掌造りを守る連帯感が根付いている。
■村の過疎・解体化の危機
白川村は、45年から55年にかけた庄川流域の電源開発による複数のダム建設で多くの集落が水没。集団離村もあり、合掌家屋は、村外に転売・移築されたり、焼却されるなど、24年に村内に300棟あった合掌家屋が61年には191棟にまで減少。23区あった村内の集落も14区にまで激減し、集落の過疎化・解体化が急速に進んだ。
■村の存続をかけ
「村が消滅してしまう」との危機感から、荻町の若者たちが集落の存続に立ち上がり、71年12月に荻町区の住民総意で「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」(以後守る会)を発足。妻籠宿の住民憲章に習い地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則を掲げた住民憲章を策定。合掌家屋の保存運動とともに、合掌造りを活用した民宿等の観光立村を推進した。
当時、保存運動を展開した人々は、合掌家屋に住む人々を一軒一軒説得に当たる一方、民宿の人々や若者らが民謡などで全国を巡り、白川郷をPRしたという。
これらの活動が実り、76年9月4日に国の伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に選定、95年12月9日に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が、国内6番目の世界遺産に登録された。
現在は、97年3月に立ち上げた(財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団と愛する会が、連携し、保存に取り組んでいる。
■150万人の観光客と駐車場問題
白川郷には、年間150万人近い観光客が訪れ、思い思いに集落内を巡り、合掌造りの家屋を見たり、写真に収めたりしている。
しかし、電車がない関係で訪れる観光客のすべてが大型バスや自家用車を利用。ピーク期には駐車場から車があふれ、集落内での駐車が発生するなど、十分な駐車場の確保と、集落内の車両規制が課題となっている。
集落内にあふれる観光客が、一般世帯の敷地内に立ち入るケースもあり、住民のプライバシー保護も課題の1つとなっている。
また、観光を意識するあまり「2世、3世で保存の意識にズレがある」との指摘もあり、世界遺産を維持する上で、若い世代の保存に対する意識改革が最大の課題となっている。
…