私の撮った竹富島 Vol.2~まちなみ編~

第2弾となる「私の撮った竹富島」を募集します。今回はまちなみ編。春、別れそして出会いの季節。桟橋通りにはデイゴの花が咲き始めました。島の人達が大切にしている風景の一つに「まちなみ」があげられます。沖縄の原風景ともいわれるこの景色は竹富島の人達が一日一日大切に築いてきたものです。島を訪れた皆さんの目に、このまちなみがどう映っているのか。また、卒業して島を離れる子供達にどんな風景を覚えていてほしいのか。皆さんの写真を楽しみにお待ちしています。…

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平成27年度竹富公民館祭事・行事表

平成27年度竹富公民館祭事・行事表 【 ↑ をクリックしてください 】 昨晩行われた3集落の月例会にて発表された 平成27年度竹富公民館祭事・行事表をUpいたします。 毎年9月は祭事行事が集中する忙しい月ですが、 今年は結願祭が13・14日、世迎いと節祭が20日、 第92回敬老会が23日、十五夜祭が27日とほぼ毎週祭事行事が行われます。 (ta)…

『星砂の島』第11号 巻頭言

全国竹富島文化協会発行の『星砂の島』 2008年に当ブログでご紹介した、 第11号(2008年3月31日発行。特集:竹富島の歴史と文化)の巻頭言は、 現在、沖縄国際大学副学長を務める狩俣恵一氏による寄稿です。 改めて狩俣氏の巻頭言を読み直すとともに、 5年前と現在の竹富島の問題について考えてみたいと思います。 少々長くなりますが、 ブログをご覧のみなさま、是非ともご一読をよろしくお願いいたします。 (ta) 竹富島観光の行方 ―星野リゾートに向き合うことの重要性― 全国竹富島文化協会編集委員長 狩俣恵一 竹富島では、復帰前の昭和45(1970)年頃から土地が買い占められるようになり、島を守ろうという意識が高まってきた。そして、種子取祭が昭和52(1977)年に国から重要無形民俗文化財に指定され、昭和61(1986)年の竹富島憲章の制定、翌年、いわゆる町並み保存地区の選定。そして、それらが竹富島の進路を決定したといっても過言ではない。というのは、それ以降の竹富島は、土地を守り、歌・芸能・祭りなどの伝統文化および集落の景観を資源として、観光業に取り組んできたからである。 要するに、竹富島は、協同一致の「うつぐみの心」で竹富公民館の自治組織を強固にし、外部資本によるリゾートを拒否することで、島の伝統文化と景観を資源として自力の観光業を営んできたが、重要無形民俗文化財指定30周年、町並み選定20周年を迎えた今日、竹富島には大きな変化の波が押し寄せている。 一つは、「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」ことである。おそらく、このような個人業者は、観光業で利益が得られなくなったとき、竹富島から去るであろう。言い換えるならば、竹富島の観光業は、従来、「島で生活するため」に営んできたが、利益第一の個人業者は、経済行為を遂行する権利意識が強く、島の「うつぐみの心」を軽視し、「伝統文化の継承」と「景観の保全」には鈍感である。竹富島の観光が脚光を浴びるようになったことで、心ある島民の意見を聞かない「利益第一主義の個人業者」が、わずかではあっても竹富島に出現したことは島の将来を危うくしており、不安の種である。 二つには、株式会社星野リゾートが、竹富島のアイヤルに40棟~50棟ほどの赤瓦の家を建てる「竹富島東部宿泊計画」を進めていることである。星野リゾートが竹富島にやってくるという話を聞いただけで、竹富島憲章は破綻したと考える人も多く、島の将来はどうなるだろうと心配する声も聞かれる。星野リゾートも利益第一主義の個人業者と同じく「島で生活するため」だけでなく、利益優先を目的としていることを島の人は知っているからである。しかし、竹富島憲章制定以前に売られた土地が、どのようにして買い戻されたのかという経緯を知っている多くの島の人は、単純にリゾート反対とは言えない現実に直面していることも知っている。お金の面から見るならば、竹富島の土地は、借金で買い戻したが、その返済ができないため再び売られてしまったからである。そのようなことがあって、星野リゾートは、竹富島の上勢頭保さんを共同代表取締役とする「南星観光株式会社」を新たに設立して竹富島の観光事業に参入することになったのである。 これまであまり表面だって語られることはなかったが、昭和30年代、ある会社が竹富島に牧場を作るため、一坪3セント~5セントで土地を買った。それが、竹富島の土地の「まとめ買い」の始まりだったと思われる。今回の出来事で初めて知る人もあったように、反対運動の先頭に文字通り体を張って立たれていたのは、保さんの父である昇さんである。そのお父さんの思いを引き継いだとは言え、竹富島の約三分の一の面積(約60ヘクタール)の買い戻しに至るまでの保さんの苦労は想像に絶するに余りある。それが今回、外国のファンド会社などに売られてしまった。その評価額は、莫大な金額になるという。このようなお金は、竹富島にはない。竹富町にもない。また県や国も出してくれない。したがって、竹富島はリゾートを受け入れざるをえない状況に直面しているのである。このような状況の中、上勢頭保さんは水面下で現状打開を模索し、かつ土地を売らないで観光業を続けることはできないかと考え、白羽の矢を立てたのが星野リゾートである。そして、去る3月18日の「竹富町伝統的建造物群保存地区保存審議会」は、新会社の南星観光株式会社による「竹富島東部宿泊施設計画」を承認したのである。その現実を踏まえた上で、竹富島の今後は、どうあるべきだろうか、考えてみた。 思い起こされることは、先述した「観光業で利益を得ることを第一の目的とした個人業者が、島の内外から出現してきた」という問題である。スケールの大きさは異なるが、竹富島の「利益第一の個人業者」も、星野リゾートも「観光業で利益を得ることを第一の目的」としていることに変わりはない。しかし、利益優先であったとしても、将来もなるべく永く竹富島でリゾートを続けようと考えるならば、利益第一の個人業者も、星野リゾートも、共に「うつぐみの心」「伝統文化」「景観保全」の重要性を理解する必要がある。  幸いにも、星野リゾートは、永続的な竹富島での観光業を希望しており、軽井沢で先祖の土地を百年に亘って守ってきた実績を持つと同時に、次のような経営観念を持った会社である。 ~自然環境が豊かなリゾート地においては、それを資源として活かしながら保全に努めるとともに、施設運営による周辺環境への負荷を限りなくゼロに近づけることが求められています。リゾートの運営を専門分野とする星野リゾートにとって、低環境負荷の運営をする能力は、重要な企業競争力の一つであるのです。~ 星野リゾートは、その経営理念のもと第一回エコツーリズム大賞をはじめ、水・エネルギーなど、数々の環境に関する成果をあげた評価の高いリゾート会社である。また、星野リゾートが竹富島憲章の精神を重視し、「土地を売らない」「活かす」を組み合わせた「竹富島土地保有機構」という会社を設立したことは、傾聴に値する。そればかりではない。星野リゾートの集客力は大きく、旅行代理店の影響力は小さい。そのことは、老舗の星野リゾートの経営力を示すと同時に、他のリゾート会社とは一線を劃していると考えているとよい。 リゾート会社のほとんどが、乱開発と時流に乗って儲けようとしてきたが、失敗すると転売することを繰り返してきた。その結果、地域には廃墟と環境破壊だけが残される。そのようなリゾート会社が多い現状において、「リゾートは悪」というイメージがつきまとう。 特に、近年、石垣島では、リゾート会社による乱開発で環境破壊が進み、さまざまな問題が生じている。その要因の一つとして、受け入れ側の自然破壊や景観に対する意識が低く、無条件に近い形でリゾート会社を受け入れてきた対応の拙さをあげることができる。その意味において、竹富島は石垣島の失敗から学ぶべきことが多い。つまり、リゾート会社の経営力・環境への配慮・集客力・地域との共生、等々を検討し、きちんと話し合うことが肝要である。 幸運にも星野リゾートは、私たちの対応次第では、我が竹富島にふさわしいリゾート会社になれる可能性が高い。しかも、これまで竹富島を守ってきた上勢頭保さんを高く評価し、正式な共同経営者としての位置においていることである。しかし、これまでの説明会は、「竹富島東部宿泊施設計画」の理念や骨格の部分であり、細部における話し合いは充分には行われていない。よって、竹富公民館をはじめ、石垣・沖縄・東京の各竹富郷友会は、我が竹富島がこれまで築いてきた「うつぐみの心」「伝統文化」「素晴らしい景観」を背負って、星野リゾートと率直に意見を交換し、星野リゾートと竹富島が、共生できる理想的な道を探る必要があると考える。私は二度、星野リゾート社長の星野佳路さんと、専務の星野究道さんにお会いしたが、幸いにも両氏とも竹富島の住民及び竹富島関係者との話し合いを望んでいる。 また、南西観光社長の上勢頭保さんと私は、竹富中学校時代からの付き合いであり、共に全国竹富島文化協会の設立、遺産管理型NPO法人たきどぅんを設立した仲である。保さんは経済人として、「竹富島を宝の島」にしたいという理想を持ち続けていると同時に、父・昇さんから受け継いだ土地買い戻しに奔走され、竹富島の「うつぐみの心」「伝統文化」の継承にも尽力してきた人物である。よって、竹富公民館は、星野佳路さん・上勢頭保さんと、ぜひともきめ細やかな話し合いをして欲しいものである。そして、その話し合いは、宿泊施設建設の前だけでなく、開業後も継続し共通理解を得ることが重要であり、新会社の「南星観光」及び「竹富島東部宿泊施設」を通して、我が竹富島が誇る「うつぐみの心」を全国へ、そして世界へと発信することを期待する。 蛇足ではあるが、記しておきたい。2008年3月11日、竹富島のアイノタ会館で、「狩俣・家中うつぐみ研究室」は星野さんを招いて私的な勉強会を開いた。テーマは、竹富島東部宿泊施設計画と竹富島の将来についてであった。女性の皆さんと50代以下の男性が中心で40名ほどの皆さんが集まった。一時間ほどの説明の後、一時間半の質疑応答が行われた。  司会をつとめた鳥取大学の家中茂先生は次のような感想を述べていた。竹富島憲章から20年を経た現在、竹富島の町並と観光について大きな岐路に立っている。そのことを竹富島の人々は日々の生活のなかで自らに問いかけている。今回の星野リゾートの登場も、たんにリゾート受け入れの是非といった水準でなく、今後の島の将来を自分たち自身で開いていくひとつの契機として受けとめている。そのことがこの日の勉強会からひしと伝わってきた。いかに島を立てていくのか、そのときいかに竹富らしくあるのか。個々の思惑を超えた、そのような問いかけこそが竹富島をここまで導いてきたのだろう。「うつぐみ」の力とは、時代の転換点において発揮されるこのような島の叡智を指しているのではないかと教わった、と。  先進的な観光論は、旧来のリゾート開発を否定し「着地型観光」へと進んでいる。将来の展望を見据えて、真剣に意見を交換する島の皆さんの姿を見て、私は、竹富島の観光は近い将来「着地型観光」へと進んでいくだろうと確信した。 …

大塚勝久さんが見た「種子取祭」

NPOたきどぅん会員で全国竹富島文化協会理事でもある 写真家の大塚勝久さんのホームページにて、 2013年種子取祭の写真520点が紹介されています! http://www.shokyu-otsuka.com/blog.html 身近な人や、ご宿泊先のオーナーさんなど のキリリとした表情が写しだされています。 ぜひ、皆さん覗いてみてくださいね! (ta)…

2013年、ご声援まことに有難うございました。

今年も NPOたきどぅんの活動にご支援ご賛同いただき、 まことに有難うございました。 来年も引き続き、 竹富島の文化・自然遺産を次世代に継承できるシステムづくりや、 竹富公民館を中心とする竹富島民と一緒になって、 島を盛り上げていく活動を行っていきます。 本年は、長年にわたって検討されていた、 集落内の駐輪場に休憩小屋を設置することが出来ました。 来年は、こちらも長年の提案事項である 「花城村・久間原村遺跡」周辺整備に取り掛かります。 2007年6月に石垣・沖縄・東京の3郷友会と竹富公民館の共催による 「ふるさと探訪」の際、多数の参加者を驚嘆させたこの史跡は、 花城御嶽・久間原御嶽北面に位置する15世紀~16世紀にかけての遺構で、 国史跡に指定されている 石垣島のフルスト原遺跡や波照間島のマシュク村遺跡に匹敵する 大規模な史跡です。 これらの史跡周辺の整備を進めることによって、 多くの来島者に現集落の基礎となる 往古の竹富島の生活習慣に触れていただけたら・・・。と考えています。 ハード面だけではなく、 「素足で感じる竹富島」「竹富島民具づくり教室」「庭の日」 のソフト面についても事業を継続し、 引き続き、竹富島の伝統文化に触れていただける活動も実施していきます。 来年は甲午(きのえうま)の年。 “暴れ馬”を乗りこなせるようにタフな活動を心がけて行きます。 来年も今年と同様に ご支援ご賛同をよろしくお願い申し上げます。 特定非営利活動法人たきどぅん 理事ならびに職員、関係者一同 …

沖国大副学長 狩俣恵一氏が就任 (5/8付八重山毎日新聞)

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本日(5月8日)の八重山毎日新聞には、 NPOたきどぅんの創設にご尽力いただき、 現在も主任研究員としてご活躍いただいている 沖縄国際大学教授の狩俣恵一氏の 沖縄国際大学副学長就任の激励の集いの記事が 掲載されています。 竹富島からもご両親をはじめとする 有志が那覇まで足を運び、 副学長就任を祝い、そして激励しています。 狩俣恵一さん、今後もますますの バイタリティあふれるご活躍を 心より祈念いたします。 (ta) 沖国大副学長 狩俣恵一氏が就任竹富郷友らが激励の集い【那覇】4月1日にから沖縄国際大学副学長に就任した竹富島出身の狩俣恵一氏(60)を激励する集いが3日夜、那覇市のホテルで開かれた。狩俣氏は集いを主催した同級生や郷友会に感謝し、「精いっぱい頑張っていきたい」と抱負を語った。 狩俣氏は竹富小中、八重高、東京都の國學院大學と同大学院を経て、北海道の國學院大學北海道短期大学で国文学を指導し、副学長も歴任。沖国大では、琉球文学・芸能の研究と指導を行い、琉球文学研究会の顧問も務めている。 集いでは、同大学の大城保学長、沖縄竹富郷友会の真栄里泰山会長、竹富町の富本傳副町長、八重高22期生代表の大城辰彦さんらが狩俣氏の人柄を紹介し、さらなる活躍を期待。多くの関係者から花束が贈呈された。 狩俣氏は「節目、節目で応援していただいている。皆さまに支えられてここまでくることができた」と礼を述べ、「大きな力になった。2年間の任期を全うしていきたい」と気持ちを新たにしていた。 …

書評 竹富町史 『竹富島』 (2/28付八重山毎日新聞)

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2月28日付の八重山毎日新聞には、 沖縄観光コンベンションビューロー主催による 「花メッセージコンテスト」に 竹富小中学校が3位入賞の記事が1面に。 さらに、 沖縄大学客員教授で沖縄竹富郷友会長である 真栄里泰山氏による 竹富町が刊行した竹富町史『竹富島』の書評が 9面に掲載されています。 昨年は4位、今年は3位とランクアップした 竹富小中学校のみなさまの努力を称えつつ、 今回は真栄里泰山氏の書評をUPすることにします。 竹富町史『竹富島編』は、竹富島在住の諸先輩方や竹富島出身の諸分野の先生方、さらには研究者が執筆されており、竹富島の歴史・文化・民俗を知るうえで、上勢頭亨著『竹富島誌』に勝るとも劣らない大変ボリュームのある内容となっています。 現在、竹富町史『竹富島』は石垣島の書店、 タウンパルやまだで販売されていますが、 竹富島では4月頃の販売開始を予定しています。ですので、 ブログをご覧のみなさまには、 できれば、 竹富島で購入していただきたいと思っております。お楽しみに! (ta) 竹富町史『竹富島』 真栄里泰山  待望の竹富町史第2巻『竹富島』が刊行された。既刊の16巻の資料編とともに、域内離島を「島じま編」としてそれぞれ一巻の通史として独立させ、それを総合して町全体の通史を浮かび上がらせようという竹富町の編集計画。その注目のトップランナーが、今回の『竹富島』編である。16もの島々からなる島嶼町・竹富町ならではのユニークなこの方式は、島嶼県の地域史編集のあり方として高く評価されるものだ。 竹富島に関してはこれまでも実に数多くの研究書や出版物がある。最近では八重山毎日文化賞、菊池寛賞、沖縄タイムス出版文化賞を受賞した前新透氏外の大著『竹富方言辞典』が話題となったが、この『竹富島』編の刊行で島への関心はまた一段と高まりそうだ。 沖縄竹富郷友会歌にもあるように、「神島」「要島」「うつぐみの島」として、八重山で独特の位置を占める竹富島。多くの御嶽、伝承、遺跡が伝えられ、民俗芸能や祭祀(さいし)行事、景観や土地を守る活動等々、重要伝統的な島社会を保存維持するため島人の懸命な努力が続けられている島である。 国指定重要無形民俗文化財の種子取祭をはじめ伝統的建造物群保存地区、自然景観保全ゾーン、生産景観形成ゾーンなど歴史的景観形成地区の指定など、島全体が「歴史民俗博物館」といえる、美しい人情豊かな島である。 今回の『竹富島』編は、序章の島の概観、集落と自然、歴史と伝承、教育、人と暮らし、信仰と祭祀、人の一生、言語伝承、竹富島の芸能、人物、年表、終章の12章構成。島の歴史を先史時代から現代まで総覧するとともに、竹富島の島社会の各分野を網羅して、要領よく解説紹介した学術性の高い「竹富島総合百科事典」というべきものとなり、装丁もB5判、700ページの大型本である。 歴史と伝承の分野は、これまで比較的フォークロア的な歴史叙述から、歴史科学的に整理され充実した通史となった。発掘遺跡の検証をはじめ竹富島の村創生のムーヤマ(六御嶽)の神々を「文化英雄」とし、オヤケアカハチや群雄割拠といった時代評価、琉球王国の八重山統治機構としての竹富島に蔵元を設置した武富大首里大屋子の西塘を「古琉球から近世琉球を結ぶ人物」として八重山史に位置付けるなど随所に新しい見解が伺える。 また、薩摩侵攻後の検地や人頭税制など、竹富島の寄百姓分析や人口推移などの実態が解明され、「道切り」という強制的な寄百姓政策の効果が、結果的には琉球の財政立て直しではなく、島々の増大する人口対策と耕地確保であったと指摘するなど、島の中近世史像が明確となっている。 また、これまで手薄だった島の近現代史についても、異国船来航、廃琉置県、日清の琉球分割交渉など、琉球沖縄史全体を展望しつつ島の歴史過程が語られる。明治政府による土地整理、町村制の施行はじめ日清・日露戦争、徴兵、忠魂碑や皇民化教育、標準語教育、国家総動員制による太平洋戦争が、平和な島共同体をどう巻き込み、展開されたかなど、辺境で強行された日本国家の統合過程を明快に整理して、歴史の縮図としての島社会を浮かび上がらせ、歴史の教訓をさりげなく伝えるものとなっている。 とりわけ、民俗学の宝庫として内外の関心が高い島の信仰や祭祀、暮らしの分野においては、最新の学術的成果がいかんなく盛り込まれている。ムーヤマ信仰の分析、種子取祭と火の神、ゆるやかな祭祀集団の指摘などは、竹富島の人々や社会の特質に迫る分析でもあろう。衣食住、人生儀礼、生業、労働慣行など多様な項目や詳細な解説といい、島出身の狩俣恵一沖国大教授をはじめ島人の参加で、竹富島の民俗文化誌としてはこれ以上ない決定版にしている。 竹富島では現在、竹富島憲章の制定、地縁団体法人竹富公民館、NPOたきどぅん、全国竹富島文化協会の組織化など、島人の自主的自律的な地域づくりが続いているが、この『竹富島』編は、これら島づくり、地域づくりの報告書ともなるものだ。 1647年から2010年まで363年間の竹富島人口動態表は、この島のすう勢を示す極めて興味深い資料である。現在317人の島人口に対し来島者は年間30万人を超え島はにぎわっているが、少子高齢化、過疎化が解消されているわけではない。グローバル化する政治経済、行財政改革の中で、この本にまとめられた島の豊かな民俗祭祀、暮らしは将来どうなっていくのだろうか。近年は島しょ防衛論が声高になるなか、平和な島社会の内発的発展、地域の持続的発展はどうしたら可能なのか。悩みは尽きない。日本返還40年を迎える沖縄では、自立志向が一段と高まっているが、島々の振興をどうするかは大きな課題である。この国の国民幸福度も見直され始めているが、この竹富町史『竹富島』の刊行を契機に、あらためて沖縄の島じまの過去・現在・未来について考えたいものである。(沖縄大学客員教授、沖縄県地域史協議会会員、沖縄竹富郷友会長)       …

「種子取祭は600年前か」 (2/26付 八重山毎日新聞)

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昨晩、全国竹富島文化協会主催の 「第16回星砂の島文化講演会」が 石垣島の石垣市健康福祉センターにて開催されました。 「種子取祭の歴史と変遷を考える」 と題して行われたシンポジウムは、 パネリストの 石垣久雄氏 (歴史・考古学視点) 阿佐伊孫良氏(祭事・行事視点) 狩俣恵一氏 (古謡・民俗学視点) の3名から述べられる学問的知識や経験が、 竹富島最大の祭、 種子取祭に深い興味をお持ちの方々 総勢105名のみなさまを魅了していました。 大盛況だった昨晩の「星砂の島文化講演会」ですが、 八重山毎日新聞でも大きく取り上げられています。 (ta) ―種子取祭は600年前か―発祥時期で活発な意見星砂の島文化講演会「種子取(タナドゥイ)の歴史と変遷を考える」をテーマにした、全国竹富島文化協会(高嶺方祐理事長)の第16回星砂の島文化講演会が25日午後、石垣市健康福祉センターで開かれ、種子取祭の発祥時期などについて意見を交わした。会場には、郷友会員や大勢の市民が来場し、講演に耳を傾けた。3月4日には那覇市の八汐荘でも同様のシンポジウムを開催する。 シンポジウムでは高嶺理事長がコーディネーターを務め、町史編集委員の石垣久雄氏、元竹富公民館長の阿佐伊孫良氏、沖縄国際大学教授の狩俣恵一氏の3氏が考古・歴史、祭祀・行事、古謡・伝承の視点から講演。このうち、阿佐伊氏は戦時中の1944年、種子取祭が中止となったことや戦後の過疎で継続することが難しくなった事例を挙げ「戦後の過疎の危機を乗り越えるたびに郷友の力を借りてきた。2日間の芸能を1日にまとめようという意見もあったが、変えて良いところと変えてはいけないところがあり、変えて良いところは楽しくできるようにしていくことが必要だ」と述べ、郷友の協力に感謝した。ディスカッションでは、600年以上と言われている種子取祭の発祥時期について講師らが意見を交わした。石垣氏は「何世紀からという物的証拠があれば断定できるが、難しい。500年から600年前ではなかろうかと推定されているが、想像の域を出ていない」と述べた。狩俣氏は「1番新しい時点で15世紀、古いところでは12世紀とされている。歴史的に一番新しい15世紀の600年前からだと言うのが50年以上言われている。いつまでも600年では困るが、20世紀に600年の歴史といったので、700年と伝えていくのが望ましい」と強調した。 …

竹富小中にソニー教育賞 【八重山毎日新聞 2/16付】

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 本日の八重山毎日新聞一面には、 「竹富小中にソニー教育賞」 ―子ども科学で13年連続― の見出しで竹富小中学校のソニー賞受賞を 称えています。 地域の大きな期待など、 相当のプレッシャーもあったと思われますが、 受賞ありきではなく、 あくまでも物事に対し真面目に取り組む姿勢を貫き、 黙々と研究に取り組んだ 竹富小中学校の先生方をはじめ、 児童生徒ならびに御父兄に最大級の賛辞を贈ります。 (ta) 竹富小中にソニー教育賞 ―子ども科学で13年連続― ソニー教育財団の 第53回「子ども科学教育プログラム」の贈呈式が 15日午後、 竹富小中学校(漢那憲吉校長)で行われた。 同校は奨励賞を受賞し、13年連続の受賞。 贈呈式には ソニーマーケティング西日本営業本部長の伊賀野晃氏 と横田誠一氏から賞状と副賞の目録が贈られた。 伊賀野氏は 「今年は全国から202校の応募があったが、13回連続 はもちろん竹富校だけ。審査員の間ではシード校にして もいいのではという声もあるほどで、すばらしい指導者 とよそに負けない探究心がある」と褒めたたえた。 漢那校長は 「プレッシャーはあるが、継続できたことに価値が ある。これからも理科授業の改善を進めたい」と喜び、 内盛正弘PTA会長と内盛正聖教育委員は 「ソニー賞で理系の大学に進む子が増えてきた。 竹富校の教育スタイルができているのかも知れない。 自分たちの子どものことだから地域も一体となって 取り組んでいる。これからも支援を続けていく」 と祝福した。 (竹富通信員)   …

町に行政指導を要請 (7月30日付八重山毎日新聞)

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7月30日付八重山毎日新聞には、 竹富公民館長が竹富町長と面会し、 現在竹富島に起こっている懸念事項に対する、 行政サイドからのバックアップを要請する旨の 記事が掲載されています。 この記事を繰り返し読めば読むほど、 「346名の生活の場」 としての竹富島をないがしろにし、 「観光地、竹富島」を売り物に、 利益を最優先にしようとする力が見え隠れしています。 社会貢献あっての営利集団であることが、 今後の企業に課された使命であり、 現在の一般社会の通念的な考え方です。 かつての国内の名だたる企業が、 「公共の福祉」という概念をおざなりにした結果、 様々な悲劇を生んだ過去の歴史を この問題に当てはめてみると、 名指しで指摘を受けた業者は、 竹富島に対しどのような返答をするのか。 その言葉は、 とてつもなく“重いもの”となるかもしれません。 (ta) 町に行政指導を要請 3トラブルで竹富公民館  竹富公民館の上勢頭芳徳公民館長らが29日午前、 川満栄長町長を訪ね、竹富観光センター水牛車営業所 移転や竹富島観光合同会社の無届建築・46人乗りバス 導入、旧コンドイリゾートの伐採・施設解体工事に ついて、各業者への行政指導を要請した。  上勢頭館長は「住民側も業者側も話し合いを重ねて きたが、自助努力の範囲を超えている部分がある」と 懸念を示した。  これに川満町長は、「水牛車営業所の移転については 粘り強く交渉を続けていきたい。46人乗りバスの導入・ 無届建築は、先人が作ってきた島の個性、地域のルール を知ってもらう状況を作っていくことが大事だ」と答えた。  旧コンドイリゾートの伐採、施設解体工事に上勢頭 館長は「用地内には古墓も点在していたはずだが、 すべて壊されている。観光客が多い時期にがれきの 撤去作業を行なっており、再生したデイゴも 大型トラックの往来で傷つく」と指導を求めた。  川満町長は「うっそうとしているところを整備する ことは評価したいが、やり方について島の皆さんが 懸念していると思う。産廃撤去なので止めることは できないが、排出ルートの変更を申し入れるなど 一定の配慮を求めたい。島の人と業者側で話し合いを 持てるように連携をとって取り組もう」と協力を求めた。 …

4月20日付 八重山毎日新聞 「ひと」欄

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 本日の八重山毎に新聞6面の「ひと」欄には、 竹富公民館長に再任された上勢頭芳徳さんの記事が、 顔写真と共に掲載されています。 昨年度に引き続き、 「竹富島のデイゴを救おう!実行委員会」の委員長も兼任する 上勢頭芳徳さんですが、 昨年度同様、 様々な活動が行われる 竹富島の舵取りをよろしくお願いいたします。 (ta) 昨年、島外出身者で初めて地縁団体法人・竹富公民館長に就任、 本年度の総会で再任が決まった。 竹富島は昨年の4月下旬、他島に先駆けて160本のデイゴの木に 薬剤の注入防除作業を実施、今年に入り6年ぶりに花が咲いた。 公民館は210万円の基金を立て替えたが、「薬剤を注入するタイミング が良く、劇的に効果があった。撲滅しないと意味がないし、ほかの島 にも広げていかないといけない」と喜ぶ一方、継続と広がりを強調する。 この3月には、「デイゴ再生に向けて全国から多くの支援を受けた。 少しでも恩返しがしたい」と、公民館が住民に呼びかけ、集まった 震災義援金13万5300円を町に託した。 同島は日経リサーチによる「2010年地域ブランド力調査」で 観光地の満足度で1位になったが「1位の上を目指したい」と上勢頭さん。 「1より上はゼロ、つまりどの地域とも競争しないということです」。 趣味は「ライフワークであるまちなみ保存」だ。毎年各県で開かれる 町並み保存ゼミ(同連盟主催)には、これまで26回ほど参加。 2009年にはまちづくりをテーマとした東京大学主催のシンポジウムで 基調講演を行なったことも。島最大の種子取祭をはじめ島には祭事が多いが、 「祭りをきちんとこなしていくことが館長の大事な仕事」と明快だった。 長崎県出身。68歳。 喜宝院蒐集館館長。 NPOたきどぅん理事。 …