私の撮った竹富島 Vol.2~まちなみ編~

第2弾となる「私の撮った竹富島」を募集します。今回はまちなみ編。春、別れそして出会いの季節。桟橋通りにはデイゴの花が咲き始めました。島の人達が大切にしている風景の一つに「まちなみ」があげられます。沖縄の原風景ともいわれるこの景色は竹富島の人達が一日一日大切に築いてきたものです。島を訪れた皆さんの目に、このまちなみがどう映っているのか。また、卒業して島を離れる子供達にどんな風景を覚えていてほしいのか。皆さんの写真を楽しみにお待ちしています。…

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沖縄タイムス2006.12.1 掲載記事

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竹富島を世界遺産へ --地域経済も活性化-- NPOたきどぅん理事長 上勢頭保 NPOたきどぅんによる各事業は、島建て以来の大きな潮流のなかから生まれてきたものである。その流れの先に、数年前から竹富島を世界遺産へ登録する話が浮上してきた。世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された、世界遺産条約に基づき登録される文化・自然遺産のことである。それは国や民族を超えて、人類が共有すべき普遍的な価値をもつ遺産と位置づけられている。 2004年3月26日、ユネスコ関係者による竹富島の視察が行われ、翌日の27日は「国立劇場おきなわ」で世界遺産に関する国際フォーラムが開かれた。そのなかで「無形および有形の文化遺産に関する沖縄宣言」が発表されたが、この宣言文のなかでも竹富島のことが触れられており、確かな手応えを覚えた。 ところで竹富町は西表島の自然を「自然遺産」、竹富島の伝統的な町並みを「文化遺産」とする「複合遺産」としての登録を目指している。それに向けて竹富町世界自然遺産登録推進協議会が七月に発足し、この話もいよいよ現実味を帯びてきた。その一方で、多様な生態系を有する地域であながら保護が十分でないことも指摘され、まだクリアすべき課題は残っている。だからこそ、複合遺産の一翼を担う竹富島のシクブン(役割)も大きい。 NPOたきどぅんは観光業の活力をテコとして、文化遺産を管理し、島を持続的に発展させていくことを念頭に置いた仕組みづくりを摸索している。伝統的な文化遺産を現在の生活に生かし、整合性を保ちながら観光を展開していくことには意識的にでなければ実現できない。 そこで文化遺産を管理するに当たり、次の枠組みを設定した。?文化遺産の管理、?文化遺産情報の管理、?文化遺産利用システムの管理、?定住環境の管理?の4つである。 ?は文化遺産自体の直接的な管理で、?は情報に基づいた展示、さにははガイドブックやマップを作成し、情報を発信していくことも意図している。?は島全体の観光運営と公共施設の整備を連動させた仕組みの管理、?は島人の定住環境の管理である。これは第一次産業の技術研修や就職の斡旋まで含まれる。 各事業によって比重の置き方は異なるが、厳密にいえば、どれもが4つの枠組みにまたがる内容を有している。これら四つをすべて満たしたとき、はじめて名実が伴うと考えられる。 世界遺産の登録は、竹富島の文化遺産の保存において有効に作用し、その価値は永続的に継承されるにちがいない。また、その情報発信力により今まで以上に注目され、地域経済の活性化も期待できる。 これらの効果に加えて、世界遺産の登録は竹富島に心を寄せる人々のみならず、世界中に明るい希望を提供する契機となることだろう。そこには21世紀を牽引する、新しい潮流を生み出す力が秘められている。 …

沖縄タイムス2006.10.13

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島主体の発信で心つかむ --観光案内人の養成-- NPOたきどぅん理事長 上勢頭保 竹富島の重要な六つの御嶽をムーヤマ(六山)と呼ぶが、ムーヤマの由来は島立て伝説として語られている。それは、竹富島に渡来してきた六人の酋長が、それぞれの村を立てたと伝えている。のちに彼らは神格化され御嶽に祀られたのである。 この伝説は、「琉球国由来記」(一七一三年)にも記録されているが、竹富島では六人の酋長たちの具体的な姿も伝承として語り継がれている。そこには、土地の配分について、お互いのシクブン(役割)を尊重して協力しあい、平和的に解決しようとする姿勢をみることができる。いうなれば、竹富島の「うつぐみ(一致協力)」の心は、すでに島立てのころから始まっていたのである。 このような島立ては、神話のなかだけでなく、現在も行われるべきである。NPOたきどぅん(以下、NPO)では、島が主体となる観光による「島立て」を思うとき、文化遺産を管理現代に生かしていく方向性を、積極的に打ち出していくことを考えている。 それにはまず、島人ひとりひとりが、自分のシクブンを自覚し、島の文化遺産の発するメッセージを正しく伝えるインタープリターになる必要がある。そこで、インタープリターの養成を目的として、五月に「島立て学校」を開校した。これは「平成十八年度文化ボランティア推進モデル事業」として、NPOが文化庁の助成を受けて実施する事業である。 「インタープリター」という言葉は、時と場に応じて、「解説者」「案内人」「通訳者」「指導者」など、さまざまに解釈されている。島立て学校では、竹富島の文化遺産を改めて学び、それを他者へ伝える働きかけまでを、インタープリターの身につけるべき、技術として修得できるプログラムを設定した。 これまで、自然やまちなみがテーマの「有形文化遺産講座」、祭事や芸能、方言がテーマの「無形文化遺産講座」、インタープリターの基礎を学ぶ「インタープリター基礎講座」の三つを柱として、すでに九回の講座を終えている。 講師には西山徳明氏(九州大学教授)、狩俣恵一氏(沖縄国際大学教授)、古瀬浩史氏(自然教育研究センター)、上勢頭芳徳氏(喜宝院蒐集館)の先生方を迎えるほか、第七回「水についての井戸端会議」、第八回「竹富島の織物」では、受講生皆で、島のかつての生活に思いをはせながら、現状と課題を議論した。 とりわけ第七回の講座は、古井戸「アーラカー」の再活用への意識が高まり、さらには島の十七カ所の井戸をめぐる学習会の開催(八月十一日)へと波及したのである。 こようにインタープリターの養成という内発的な動きが、新たな世界を拓き、次世代への継承を確かなものとする。年間四十万人という観光客の増大に伴い、インタープリターの養成は急務であるが、確かな過程を経た、質の高い案内が、来島者の心をつかんで離さないことだろう。また、これが情報発信の源泉なのである。 (『沖縄タイムス』2006年10月13日) …

沖縄タイムス2006.9.12 掲載記事

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景観と人の心に潤い NPOたきどぅん理事長 上勢頭保 竹富島観光の現状を踏まえ、「NPOたきどぅん」設立の経緯とその必要性を、七月五日付本紙で紹介した。今回は、最近の活動状況と今後の在り方を展望してみたい。 竹富島は、自然・歴史・伝統といった、文化遺産を数多く継承してきた。NPOたきどぅんは、これらを観光資源と位置付け管理するとともに、まだ十分に生かされていない資源を活用することを目的としている。 現在、竹富島は年間四十万人を受け入れ、観光業が基幹産業となっている。著しい観光客の増加は観光業界全体から注目されると同時に、島に対する観光需要(ニーズ)の多様化が進んでいることも実感している。 しかし、多くの旅人が真に求めているのは、島固有の自然景観や暮らしなど、文化遺産との触れ合いではないだろうか。 NPOたきどぅんでは観光客がより深く島人の生活に触れることのできる、システムづくりに努めてきた。2005年度は、「観光ルネッサンス事業」として、国土交通省の助成を受け、町指定の文化財である前與那國屋(マイユヌンヤ)周辺を整備した。前與那國屋は東集落の屋敷で、現在のフーヤ(母屋)は1913年に建築されたことが、棟木に記された日付からうかがえる。 この伝統的な屋敷づくりは、ただ復元するのではなく、その周辺の環境も含めて整備する必要がある。それは「沖縄の原風景」を重層的に演出するためである。そのため、フーヤのみならずオーシ(豚小屋)を復元させ、同時にグック(石垣)を積み直し、庭には樹木や草花を植栽して、島の生活が体感できる環境を整えたのである。竹富島の誇る町並みは、現在も個々の文化遺産が複合した、重層的な空間をつくり出しているのである。 さらに、来訪者の便宜を図り、近くの屋敷に公衆トイレを新設した。また、沖縄県が「新万国津梁の時代」と称して、産業経済のグローバル化を進めるように、外国人誘客に配慮して、英語と中国語での案内標識を設置した。今後は前與那國屋を中心に、島の生活が体験できるようなプログラムの開発を行い、質の高い竹富島観光の実現を目指している。 そのほか荒廃の進む空き屋敷を整備して、それらを観光のサポート施設として活用していくことも、視野に入れて取り組んでいる。 近年、自転車による島内観光が盛況である一方、観光スポットの周辺に自転車を放置する傾向があり、観光客のマナーが問われている。その対応策として、本年度より竹富公民館所有の古井戸「アーラカー」とその周辺、および空き屋敷を整備し、駐輪所と休憩所を設置する計画を「フィリップモリス事業」として実施中である。これには古井戸に水くみポンプを設置して再活用する企画も含まれている。先人の掘った井戸はこれまで放置されたままであったが、それが景観や観光客に潤いをもたらすとなれば、有意義であるにちがいない。 『沖縄タイムス』2006.09.12 …

沖縄タイムス2006.07.05「論壇」掲載記事

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竹富観光でNPO活動--文化遺産管理に取り組む-- NPOたきどぅん理事長 上勢頭保  竹富島は、石西礁湖に浮かぶ八重山諸島の一つで、島全体が西表国立公園のなかに含まれている。周囲が約九キロメートルの小島だが、多くの文化遺産が、有形・無形の状態で保存・継承されている。  ここでいう文化遺産とは、国の伝統的建造物群である町並み、重要無形民俗文化財である種子取祭をはじめ、生活のなかから生まれた信仰や習慣、処世術などもこれに属している。これらは竹富島の歴史や民俗文化のメッセージが集約され、まちづくりに大きな影響力を持つ文化的な資源でもある。 現在、竹富島は年間四十万人を受け入れる観光地だが、文化遺産を観光資源として活用していくことを考えていく必要がある。それは観光客の著しい増加に伴い、その多様化するニーズに応じていかなければならないという、状況が生まれてきたからである。今、来島者それぞれが、竹富島の文化遺産を肌で感じ、充分に満足できることが、島に求められている。  このような状況のなか、文化遺産を管理し、島人の生活に生かしていこうという目的で、NPOたきどぅん(以下、NPO)を二〇〇二年十月に設立した。NPOは島が主体となる観光を目指し、文化遺産の管理に取り組んでいる。 NPOでは集落内を徒歩による観光に切り替えていこうと、新しい交通システムを考案したり、個人の希望に応じた島内散策のツアーを企画している。これまでに「竹富島のオン(御嶽)をめぐるツアー」「竹富島の古謡と歴史を訪ねるツアー」などを企画し実施してきた。 なかでも、「素足で感じる竹富島」ツアーは好評である。まちなみの風景のなか、白砂の道を歩き、民家の軒先でお年寄りとのユンタクを楽しむ。最後は喜宝院蒐集館で、館長から民俗資料の説明を受け、竹富島を体感していただくツアーである。 二〇〇五年度は、「地域観光振興事業(観光ルネッサンス事業)」として、国土交通省の助成を受け、町指定文化財である前與那國屋(マイユヌンヤ)の周辺の環境を整えた。二〇〇六年度は、文化遺産管理の一環として、五月二十日には「島立て学校」を開校した。これは「平成十八年度文化ボランティア推進モデル事業」として、NPOが文化庁の助成を受けて実施する事業である。竹富島の文化遺産の発するメッセージを正しく伝えるため、島人が島の歴史や民俗をあらためて学んでいこうという目的である。 このような取り組みを重ねていくことで、島は輝きを増すにちがいない。島人が文化遺産に対する認識を深めることが、質の高いガイドを養成することにつながってくる。NPOたきどぅんは、文化遺産を管理すると同時に、その価値をさらに磨き、竹富島を宝の島にしていく夢を抱いて活動している。 「論壇」『沖縄タイムス』2006.07.05 …