東京竹富郷友会創立90周年記念公演にあたって

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竹富島では昨晩、
6月7日に開催される東京竹富郷友会創立90周年記念公演に提供する芸能の総稽古が行なわれました。
郷友会(きょうゆうかい)組織とは、故郷を離れた島の出身者が集い、
親睦を図りながら故郷を支えて行こうという趣旨のもとに活動する親睦団体です。
竹富島では、東京・沖縄・石垣の3郷友会が組織されており、
その中でも東京竹富郷友会は最も歴史が古く、大正14年に設立しています。
この3つの郷友会は、様々なところで島をバックアップしてきました。

郷友会の中で長男と位置づけられる
石垣郷友会は、親島から近いがゆえに物資・人的面で島を支え、
特に種子取祭の奉納芸能における貢献は枚挙に暇がありません。
二男にあたる沖縄郷友会は、県庁所在地である那覇市を中心とし、
県内でのPRを欠かしませんでした。
特に山城善三先生に代表される、県行政を通じての竹富島への貢献は計り知れないものがあります。
三男の位置である東京郷友会は、様々な情報の発信地である東京という位置を利用して、
内盛唯夫氏を中心として様々な竹富島のPRを行ってきました。
民俗学者の柳田国男や芸術家の岡本太郎、
そして本田安次や岡部伊都子をはじめとする著述家と繋がることにより、
竹富島の工芸品や伝統文化、ひいては風習・習慣を紹介したのです。
昭和51年の「種子取祭の芸能」として東京国立劇場公演の際は、
竹富から上京した芸能団を手厚く迎え、公演を大成功に導く裏方の役割を果たしています。
また、あまり知られていませんが、
東京郷友会の最大の功績は、本土資本の土地買収が進む昭和50年代に、
郷友会で費用を捻出してその企業の実態を調査し、
島に情報を提供し買収を阻止するよう警告しています。
こうした各郷友会の活動の積み重ねが、現在の竹富島を育んだともいえます。

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東京竹富郷友会60周年記念誌『たけとみ』(昭和60年発行)より

現沖縄国際大学副学長の狩俣恵一氏は、
20年前(平成8年)に発刊した東京郷友会創立70周年記念誌「たけとみ」において、
郷友会活動についてこう記しています。

「私たち郷友会員は、竹富島という島社会の複雑な人間関係、
プライバシーのほとんどない生活、寄付の頻度が多くても文句を言わずに応えようとする自分、
自分の意見がはっきり言えない「横並びのうつぐみ」、過疎化による島の衰退、
高齢化による郷友会の衰退など、竹富島出身者の苦悩をすべて抱えている。
しかも私たちの竹富島での生活は、わずか十数年以内に過ぎない。
それにも拘わらず、私たちは竹富島に拘りすぎている。
私たちが竹富島や郷友会に対し、様々な不満や不安があろうとも、
竹富島には私たちを捕えて離さない魅力がある。
その魅力の源泉は、竹富島の精神世界であり、伝統文化であることをお互いに自覚したい。
≪中略≫
私は思う。
経済中心の近代化政策を進め、すっかり疲れ果てた日本社会は、
いまこそ郷友会を母体にしたような地方社会の文化活動を必要としているのだ、と。
私は郷友会に対し、まだまだ希望がある。夢もたくさんある。
私たちが我が竹富島を中心にして、自分たちの出来る文化活動を展開することは、
日本社会の未来に対しても希望を与えるものである。
私たちは郷友会に対し、これからも希望を抱き続けるとともに、郷友会の活動を文化中心へと転換すべきだと思う。」

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東京郷友会をはじめ、各郷友会の活動メンバーが2世・3世へとシフトしてきましたが、狩俣恵一氏の70周年記念誌における提言は、色あせることなく今も生き続けています。

(ta)