『八重山毎日新聞』2007.6.29掲載

飯田泰彦「書評 増田昭子著『雑穀を旅する ―スローフードの原点―』」


 昨年末、県内離島の特産品を一堂に会して紹介する「離島フェア」で、竹富島産商品の展示・即売を、「NPOたきどぅん」の活動の一環として行なった。会場を見渡したとき、穀物の人気が一際目立っていた。
 波照間島の「もちきび」や「崎原さん家の原始米」(西表島)の「黒紫米」「もち米」も大人気であった。特に、渡嘉敷島のモチキビは、開場とともに行列ができるほどの、にぎわいをみせた。このように穀物が注目される背景には、ここ数年の健康食ブームが考えられる。特に沖縄の食材は健康食として高評を得ている。
 6月1日、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」のシリーズとして刊行された、増田昭子著『雑穀を旅する』も、サブタイトルに「スローフードの原点」と掲げてあるので、そのブームの一端を担った出版ともいえるだろう。
 ここで、本のタイトルに用いられている、「雑穀」という言葉にも触れておかなければならない。本土でいう「雑穀」は、稲に対して粟や黍、稗などをまとめていうときの言葉である。そこには歴史的に差別の意味合いも読み取ることができる。しかし、八重山の歌謡で「稲粟の稔り」とうたわれたとき、そこに稲と粟との優劣関係はみられない。このように、本書では稲以外の穀物やマメ類、イモ類まで含めたものを、「五穀」・「スクルムヌ」(作物)と呼んで総称し、「雑穀」という言葉を広くとらえていることを前提としている。
 そして増田氏は、雑穀または畑作物を「植物学的な把握ではなく、人の暮らしも含めた文化、いわば、文化複合を解明する絶好の具体物」として、その意味を問い続けている。本書が最近の健康食ブームの潮流にありながら、一味ちがった趣を呈しているのは、著者のご専門である民俗学の立場から、雑穀について考察し、その多様な価値観を開示したことによる。
 増田氏は2001年に『雑穀の社会史』という学術書を著しているが、本書はその続編といってよい。その内容は「広く米食習慣が普及するなかで、雑穀をどのように栽培し、食し、大切にしてきたか」をわかりやすく物語る。
 『雑穀を旅する』には古今東西の雑穀に関する話が披瀝されるが、冒頭では黒島のあちこちの家庭に貼られてある、「まごわやさしい」の標語を話題にして、わたしたちを「雑穀の旅」に誘う。
「まごわやさしい」とは、食材の頭文字をとったもので、「ま」はマメ類、「ご」はゴマ、「わ」はワカメで海藻類、「や」は野菜、「さ」は魚、し」はシイタケでキノコ類、「い」はイモ類を意味している。このようにこの標語は沖縄の伝統的な食材を示していて楽しい。
 この標語に、粟や黍・麦・モロコシなどが入っていないことについて、増田氏はこれらが一般に市販されてなく、入手するのが困難であることを、理由のひとつとしている。そのうえ穀物の種子の継承はかんたんでない。
 このことについては第四章「雑穀の種子を守る」の章に詳しい。字宮良にお住まいの小濱勝義氏は黍の在来品種を保存しているが、平成十八年に竹富島の内盛正玄氏から粟の種子を譲り受けている。同じく竹富島の内盛勇氏からも、黍の一種である、ウズラシンという八重山在来品種を譲り受け、種子採り用に種蒔きをするという。これらは八重山地域における種子の継承についての一事例であるが、全国には小浜氏のように雑穀の種子を地道に継承している方が各地にいることも本書によって知ることができた。
 本書で増田氏は竹富島を「ムヌダニの島」と称して、旧暦八月八日に執り行われる、祭祀「ユーンカイ」(世迎え)を紹介している。ユーンカイは、五穀ムヌダニを携えたハヤマワリ・ハイタチの神が、それらを八重山の島々に分配するという、伝説と強く結びついている。内盛正玄氏、内盛勇氏といった竹富島の方々が、現代においても、種子配りの役割を果たしているのは、神話の再現のようで心がひかれる。
 種子を守ってこられた人の努力や、現代医学・栄養学の着実な成果が、最近の雑穀食ブームを生みだしてきたことが、本書からうかがえる。それは増田氏の研究の道程とも重なりあうことだろう。「あとがき」に「昭和五十年ごろから東京都檜原村で始めた私の雑穀の旅」というフレーズを見つけた。「雑穀を旅する」とは、豊かな食文化を育んだ、雑穀に注目しながら全国各地を訪ね歩いた、増田氏の長年の調査研究を重ねて読み取ることもできる。

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