八重山の針路と選択

本日の『八重山毎日新聞』「社説」欄に、
これまで連載されてきた「八重山の針路と選択」を
総括しています。
景観と観光について、
妻籠宿(長野県)、白川郷(岐阜県)の
町並み保存の契機、住民憲章の制定の経緯などに
触れながら、八重山の現状が論じられています。 (YI)


○妻籠宿・白川郷・軽井沢町に見るまちづくり
 ―そこまでしなければ―
 『八重山毎日新聞』「社説」欄、2007.12.26
 今年は八重山らしさを守るためにと風景づくり条例でゆれた1年だったともいえよう。条例制定や計画づくりをめぐる論議、制定後の実効性から来る高層マンション建設をめぐる告訴問題等々。そんな中で本紙記者の妻籠宿(長野県南木曽町)と白川郷(岐阜県白川村荻町)のレポートは、そこまでするのか、そこまでしなければ町は守れないのかというように、八重山のまちづくりにも大きなヒントになったのではないか。というより大いに役立てるべきだろう。年の瀬を迎えてこの2つの町・村と、避暑地で有名な長野県軽井沢町の例も含めて、あらためてまちづくりについて考えてみたい。
■「村を守れ」
 妻籠町は江戸時代の古い宿場町の形態を残す宿場宿が全国初の重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)、つまり町並み保存地区に指定され、一方白川郷は山すそに広がる合掌造りの家屋群と水田地帯が日本の原風景をかもし出しているとして世界遺産に登録され、ともに現在は観光で大変なにぎわいを見せている。
 しかしそこにいたるまでには、若者たちを中心にした地域住民の「村を守れ」という並々ならぬ苦労の連続の住民運動がある。妻籠宿は明治に入っての国道開通に加え山村ということで過疎が激しく進み、一方白川郷も電源開発によるダム建設に伴う集落の水没や集団離村などで村の解体と過疎が急速に進行し、ともに崩壊・消滅の危機に直面した。
 そこで若者たちが「江戸時代の宿場町を復元し、あるいは合掌造りの家屋を保存し、地域振興に結びつけよう」とそれぞれ住民運動を展開。その運動が実を結んで妻籠は76年に全国初の伝建地区に指定され、竹富島は87年に町並み保存の伝建地区に指定された。
■厳しい規制とルール
 この結果、妻籠は現在70万人、白川郷150万人、竹富島40万人の観光客が訪れ、過疎地域が一転、全国で最も注目される町・村となった。
 いずれも「売らない・貸さない・壊さない」を基本にした住民憲章を制定。外部資本の浸入防止や風致の保全などでそれぞれ厳しいルールを課している。
 特に妻籠は観光客に写真撮影されることを意識し、通りの建物は壁、公衆トイレ、防火水槽、各家のポストにいたるまですべて目に見えるものは色を統一。さらに電柱類は裏通りに移し派手な看板を控え、郵便配達員は飛脚のいでたち。そして現状変更行為は、家屋の改修はもとより山の木を切るのも届出が必要という、すべてが景観優先の厳しさだ。
 そこには「古い町並み、景観あってこその今の活性化であり観光だ」という意識と「苦しかった過去を忘れず」という思いが地域の人々にある。
■無防備な八重山
 言い換えれば、そこまでしなければ自然環境も、生活環境も、町並みも守れないということだろう。それに比べて八重山はどうだろう。開発は進み、本土資本や外資の進出も激しいが、そこには竹富島など一部を除いて「売らない・貸さない・壊さない」と、妻籠などが懸命になって守っている地域の理念もルールもなく、まさに無防備状態。そこで八重山の行政当局と地域公民館に求めたい。「そこまでしなければ」という妻籠などのようなルールづくりと提示を。
 6月から施行された風景づくり条例も実効性が問われる状態に直面している。これに対し年間800万人の観光客にぎわう軽井沢町は、条例は制定せず「自然保護対策要綱」と「まちなみ宣言」で建物の大きさ、高さ、色、屋根の形などを制限しているが、佐藤雅義町長によると「これが軽井沢町の方針です。よろしく」と開発事業者に頼んで断られたことがない(高嶺善伸県議)という。
 確かに行政と対立してまで開発する業者はそれほどいない。それだけに大浜市長も、吉原のマンション問題をはじめ開発行為に対し、直接事業者に要請するなど硬軟織り交ぜた対応をすべきだろう。
 こうした中で現在、竹富島でもリゾート計画が静かにうごめいているという。憲章が守らなければこれまでの小さな島の長年の努力が無になりかねない。

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