八重山毎日新聞 2006.12.22掲載記事

住民の文化財意識高めよりよい島づくりを
―竹富島の世界文化遺産提案によせて― 上勢頭芳徳


竹富島を「世界遺産」にということを十年前に新聞に書いて笑われましたが、九年前の町並み保存選定十周年記念講演で、石森秀三国立民族博物館教授(観光人類学)は「町並み保存から世界遺産へ」ということを話されました。
この十年の間に多くの識者が応援団として、メリット・デメリットを含めてさまざまな提起があり、そのことは島でも論議したり新聞でも報道されてきました。
国際交流基金によるフォーラムが三回開催され、ことに二〇〇四年のフォーラムには島民も参加しての交流会、翌日は国立劇場おきなわに会場を移して、そのときには沖縄竹富郷友会からも多くの参加がありました。特筆すべきはこのとき、「無形および有形の文化遺産に関する沖縄宣言」が採択され、その中に「竹富島のみなさんの協力で」という一文が入っていることです。世界遺産ということは、昨日今日あわてて言い出したことではありません。
振り返ってみると、復帰前後の島外者による土地買占めへの反対運動から、町並み保存運動へと続きました。もちろんその間にも賛否両論ありました。公民館では論議を重ねて「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」「生かす」という「竹富島憲章」を制定し、町でも「歴史的景観形成保存条例」をつくり、国の「重要伝統的建造物群保存地区」をかち取って来年は二十年です。
人口は現在三百六十一人で、この十五年間連続増加中です。一九七八年が三百六十二人だったので、二十八年かけて回復しました。島が息を吹き返してきています。町並み保存がなかったら赤瓦の家並みは残らなかったでしょう。そうしたら観光客も来なくて人口増加もなかったでしょう。
文化は経済を救い、島を穏やかに活性化しています。島は良い選択をしました。
竹富島の次は波照間島をと呼びかけてきましたが、ようやくナショナルトラストの調査報告書も出て、文化庁も調査に乗り出す意向のようです。遅いということはありません。下田原遺跡が守られてきたことからしても波照間島の人たちの文化財意識は高いはずです。
一方、観光の実態はどうでしょうか。量より質をといいながら、ベルトコンベヤーに乗せられて移動するだけの観光客であふれています。これて新石垣空港が開港したらどうなるでしょう。このまま無制限に受け入れていたら島民の、島へ対する愛着的価値観は変質してしまいます。文化によって救われた島が、観光経済の爆発によって崩壊してはなりません。
沖縄の原風景を残す唯一の島といい、国指定を六つも持っている島なのです。島だから、橋が架かっていないから一日の入域客数も設定できます。一部に懸念されているように、世界遺産になって観光客があふれて地域が崩壊することも予防できます。本当に来たい人を受け入れて、良い環境と良い情報を提供するのです。それが持続可能な地域づくりとなり、祖先から受け継いだ資産を子孫へ引き継ぐことが出来ます。
つまり世界遺産を目指すというのはそれ自体が目的ではなく、住民の文化財意識を高めてより良い島づくりをしようということです。竹富島では新里村跡遺跡、花城・久間原村跡遺跡などを、町指定文化財から国指定史跡へともっていかなければ維持できません。
他の島々でも祭り文化・自然を保全することで各島ごとの魅力が引き出されます。住民の姿勢がしっかりしていれば、観光客に振り回されることはありません。八重山全体に相乗効果が及ぶことでしょう。世界遺産はそのための冠なのです。町並み保存の時もそうだったように、論議を重ねて良い選択をしていきましょう。
(『八重山毎日新聞』2006.12.22)

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