月別アーカイブ: 2008年5月

第7回NPOたきどぅん総会

 昨晩(5月24日)竹富島ゆがふ館において、
第7回NPOたきどぅん通常総会が開催されました。
 委任を含め48名の正会員が出席し、昨年度NPOで
行われた活動内容の報告を行っています。

 事務局長および理事長の挨拶の中で、昨年度(第6期)
はNPOにおいて最も厳しい年であったと述べられています。
 「観光ルネサンス」事業における国土交通省、沖縄総合事務局
との話し合いがスムーズに行われなかったことや、
ビジターセンター運営協議会における運営上での予期せぬ問題点
が浮上したりなど、活動において様々な障害が起こりました。
 しかし、ゆがふ館、かりゆし館を管理する竹富島を代表する、
団体としてこうした一連の問題点をひとつづつしっかりと解決し、
さらに組織として磨きをかける良い機会であるとも考えることが
できます。
 今期は、今後のことをしっかりと見据えたうえでの諸問題の
解決、そして、通年どおり行われている文化遺産、史跡などの保存
継承活動、「素足ツアー」に代表される竹富島の新たな観光の
模索やそれに係るインタープリターの養成を継続的に開催して
いきたいと考えております。
 引き続き、ご支援ご賛同のほど、宜しくお願い申し上げます。
(ta)

6月4日は何の記念日?

竹富島にとって6月4日は、記念すべき一日でもあります。
1976(昭和51)年6月4日から3日間、東京、国立劇場において
「竹富島の種子取」として公演が行われた日にあたります。
当時、選択無形民俗文化財に指定されていた「種子取祭」は、
祭事を維持していく中で大きな波に揉まれていました。
過疎化が進み、島だけで祭事を維持することができなくなり、
石垣竹富郷友会の協力を仰いでいたのです。
1974(昭和49)年、石垣竹富郷友会から一つの提案がありました。
神事は干支どおりに行い、奉納芸能は休日に行えないか。とのこと
でした。
竹富公民館は、神事は人間の都合で変えることはできないと
判断し、この提案を拒否します。
よって、この年の種子取祭は、竹富島住民のみで奉納されています。
(この映像は、ゆがふ館にてご覧いただくことができます。)
こうしたなか、国立劇場より国立劇場開館十周年を記念して
「八重山の唄と踊り、竹富島の種子取祭の芸能」として出演の
依頼があります。
島から離れた初めての試み、しかも東京に赴き芸能公演を行う
ということ。当然、島では大騒ぎになります。
遠く離れた東京で自らの文化を伝えられるまたとないチャンスです。
島民は是が非でも成功させようと、当時の公民館長であった
狩俣正三郎氏を中心に芸能団を結成し、70数名が東京に向かいます。
東京竹富郷友会のメンバーは「竹富島の種子取祭の芸能公演を成功
させる実行委員会」を発足し、芸能団を歓迎し、チケットの販売、慰労会
のセッティングなど東奔西走します。
そして6月4日から6月6日まで、国立劇場において、初の芸能公演
が開催されます。
この芸能公演を観た本土在住の竹富島の若者は、自らの故郷の
素晴らしさを再認識し島へ帰る者、または東京に残った者は郷友会
の活動に力を入れるようになります。
この芸能公演は様々な点からみても竹富島にとって大きな出来事
になりました・・・。
日本テレビで放映されている「おもいっきりイイ!テレビ」6月4日付
放送において、(12:50から12分程度)この記念日のついての紹介が
あります。
“竹富島にとって大きな出来事”の答えは、ぜひ番組でご覧ください。

取材を受ける沖縄国際大学教授 狩俣恵一さん
(ta)

再び反対集会、デモ行進

 5月21日付八重山毎日新聞には、
昨日(20日)に行われた有限会社竹富観光センター水牛車営業所
移設反対集会の記事が掲載されています。
 お年寄りを中心とした参加者67名は、36年ぶりに竹富島で
行われた前回(5月9日)と同様に建設敷地の周りをデモ行進しています。
 竹富観光センターに観光客を送り出す旅行会社に圧力をかけず、
代表者の良心に訴えるデモ行進。
 争いを好まない、いわゆる“竹富島方式”と呼ばれる手法で
呼びかける移設反対運動。
 5月9日に比べ参加者は少なかったものの(前回は75名)
デモの力強さは前回に比べ増しています。
(ta)

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古謡をうたおう! 竹富島の生活を学ぼう!(その1)

 19日の夜、竹富島まちなみ館において、
竹富島民俗芸能保存会とNPOたきどぅんの共催で
“トヨタ環境活動助成プログラム
「古謡から学ぶ竹富島の生活環境史」”
を開催しました。
このプロジェクトは、古謡をうたうことにより、
数多くの伝統文化を生み出したかつての農村の生活を想いおこし、
竹富島の生活環境を学ぶことを目的としています。
第1回は竹富島の代表的な古謡「しきた盆」です。
現在では三線が入り節歌化されている「しきた盆節」として
種子取祭の芸能で奉納されているしきた盆ですが、
伝承によると、1500年代からうたわれ続けている古謡でもあります。
古謡の「しきた盆は」、仲筋集落による種子取祭奉納の
「種子蒔」狂言で聞くことができます。

講師は古謡の伝承者のひとり、前本隆一さんです。

今夜のプロジェクト参加者は23名。
「しきた盆節」の節回しと微妙に異なるうたい回しに最初は
戸惑っていたものの、”最低5回はうたおう!”
という目標のもと、徐々に歌の流れをつかみ、
5回目にはしっかりとうたうことができたのではないでしょうか?
西塘大主がつくったと伝えられる「しきた盆」。
古くから伝承されてきた節回しで、西塘御嶽の向かいに位置する
まちなみ館で皆で合唱した唄を、西塘大主はどのようにお聞きに
なられたでしょうか。
次回は、八重山の数多くの古謡のなかでも白眉といわれる
「霧下りアヨー」を予定しています。
(ta)

岡部伊都子さんをしのぶ会

今晩、4月29日にお亡くなりになった、
岡部伊都子先生を偲ぶ「岡部伊都子さんをしのぶ会」
がこぼし文庫にて行われました。


芳名帳には143名の名前が記されています。
岡部伊都子先生は、1968年4月に初めて竹富島に訪れています。
過疎化が進み、日本復帰が叫ばれ、竹富島が一番大変であった時代です。
 
とりまく状況が苦しいながらも、大らかに生きる竹富島の
人々の伝統、習慣、人々の生活に魅せられた岡部先生は、
竹富島に土地を購入し、一時は永住を決意されます。
しかし、本土資本による土地買収が横行している最中、
自らも同じことをしているのではないか。と考えるよう
になり、さらに医師から永住は難しいと診断され、移住
を断念されます。
36年前の1972年5月15日、沖縄が日本に復帰する日、
竹富島の子ども達へ土地家屋を寄贈し、「こぼし文庫」
と名づけ、竹富島の子ども達に本を贈り続けます。

岡部先生は竹富島に訪れるたびに、竹富島の島造りの神
である清明御嶽に参拝されます。
ここは、竹富小中学校に隣接する御嶽であるので、
子ども達をお見守りくださるようにとの願いがあったためです。

現在、竹富島は様々な悩みを抱えています。
こうした中、岡部先生がお亡くなりになったのは
竹富島にとってさらに辛いことであるともいえるでしょう。
しかし、私たちは“うつぐみ”の精神をもってその悩みを解決し、
岡部先生から受けた多大な恩恵を返さねばなりません。
(ta)

竹富で36年ぶりデモ

 5月10日付琉球新報、沖縄タイムス、八重山毎日新聞、八重山日報
地方紙各紙では、竹富島で行われたデモ行進について取り上げています。
 大勢のおじぃやおばぁが参加したこのデモ行進(参加者は75名)について、八重山毎日新聞の記事を掲載してみなさまにご紹介します。
(ta)

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(有)竹富観光センター水牛車営業所移設反対集会

昨晩、(有)竹富観光センター水牛車営業所移設反対集会が、
竹富島まちなみ館で開催されました。

ゴールデンウィーク真っ只中で宿泊客が多いこの時期に
開催されたにもかかわらず、館内には123名の住民が参加したことは、
この問題が竹富島にとって、いかに重大で深刻なのかが分かります。

水牛車営業所移設問題の一番重要な点は、移設地が
集落内において大変重要な土地であることです。
1.玻座間集落の中央部に位置し、古くより神聖な場所である。
2.清明御嶽の北に面し、清明御嶽に捧げる井戸があること。
3.神の道である「ナビンドー」に面していること
4.隣接地に保育所、学校、診療所、まちなみ館が面し、島の
  文教地区であり、島のコミュニティの拠点であること。
新聞の報道ではなかなか理解することができないかと
思われますが、竹富島は古い習慣をとても大切にする島です。
だからこそ、竹富島の神々への信仰がいまだに深いのも、
現在のまちなみが保存しえたのも、こうした島民性があったから
といっても良いでしょう。
竹富公民館をはじめ、住民はこの地に水牛車営業所が建設される。
という話が持ち上がると、なんとか移転先を変更してもらえるよう
何度も代替地を斡旋してきましたが、何度も不調に終わっています。
他の島の方からは、住民が一企業をいじめているのではないか・・。
との指摘がありましたが、実際は全く正反対で、住民が、土地の
所有権を持つ一企業にいじめられているのです。
保育所の園児は、大勢の観光客が押し寄せる騒音で昼寝もできず、
お年寄りは、行き交うバスの影響で診療所へ通うこともままならなく
なるでしょう。

竹富島が素晴らしい島と云われ続けているのには、こうした習慣や
住民お互いの心配りがあるからこそです。
(ta)

岡部伊都子さんを悼む

 
 随筆家の岡部伊都子さんが、29日、肝臓癌による呼吸不全で逝去されました。
 岡部さんと竹富島の繋がりは大変深く、特に竹富島で育った子ども達は多大なる恩恵を受けています。
 1968(昭和43)年初めて竹富島を訪れた岡部さんは、故上勢頭亨翁をはじめとする島人との交流を温め、竹富島の伝統や習慣、美しい自然、穏やかな生活に触れ、一時は竹富島に移住を決意するほど島を愛されていました。しかし、生来から病弱なお体のため移住を断念します。
 こうした経緯のなか、1972(昭和47)年沖縄県が日本国に復帰する5月15日に、西集落に購入した古民家とご自身の蔵書を、島の子ども達に寄贈します。これが竹富島の「こぼし文庫」始まりです。

2004(平成16年)年ご来島時のスナップ。岡部さん最後の帰郷と
なりました。 (上勢頭芳徳氏写真提供)
 当時は、本を借りるにも石垣島に渡らなければなりませんでした。岡部さんの配慮を感じ取った母親たちが、「こぼし親子読書会」を結成し、子ども達に本の読み聞かせを始め、島の子ども達に読書の楽しさを教えてくれました。現在でもこの活動は続いており、2006(平成17)年には第36回野間読書推進賞を受賞しています。
 その後も、岡部さんは竹富島の子ども達に本を贈り続けると同時に、竹富島の伝統文化を学びながら「島の心」に触れるとともに、この素晴らしい文化遺産を未来に継承するためにとの趣旨のもとに1997(平成9)に設立された全国竹富島文化協会の特別顧問も務められています。
設立にあたり、岡部さんは次のように述べられています。
 「うれしいウツグミ魂の試み初めて竹富島へ渡ることができたのは、1968年4月のことでした。なんと清らかで静かな美しい島、島人(しまんちゅ)の礼の深さ、情の濃さに抱かれて「この世にこんな夢ランドがあったのか」と、驚きました。以来、どんなにせつなくこぼしさま(=竹富島の子供たち)を思い、多くを島に学んできたことでしょう。
全国竹富島文化協会が創られる由、うれしいうつぐみ魂がよみがえりつづけます。今日も、南の空を仰いでいます。」
 岡部伊都子さんの竹富島を愛する精神を今後も忘れないように、私たちは島の伝統文化を守り続けたいと思います。
合掌
(ta)