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平成29年度「竹富公民館祭事・行事表」

昨晩の集落ごとの月例会にて発表された、
今年度の竹富公民館年間祭事・行事表を
ブログをご覧のみなさまへお知らせいたします。

今年は旧暦に閏月があるため、
新暦9月には祭事行事が集中する大変忙しい月となります。

旧暦7月13~15日の集落ごとで挙行するお盆行事は9月3~5日
大地を清め井戸に感謝するシチマツリは、9月9日
数え年70歳以上の高齢者を祝す94回目を数える敬老会は、9月17日
一年間の願いを解き、奉納芸能を執り行う結願は、9月23・24日
ニーラスク・カネーラスクから神々をお招きするユーンカイは、9月27日
となっております。

クリックすると、行事表が表示されます。
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平成29年度竹富公民館祭事・行事表

喜宝院蒐集館のリニューアル

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収集物約4,000点のうち、
842点が国登録有形民俗文化財に指定されている喜宝院蒐集館。
改修工事のため2月7日から休館していましたが、
リニューアルして本日開館いたしました。
事情により外装は4月中旬までずれ込むそうですが、
館内は展示棚や館内の清掃も行き届き、
じっくりと展示物を見学することができます。

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『竹富町史第10巻資料編近代Ⅰ』-喜宝院蒐集館文書-の前書きには、
喜宝院蒐集館について、
「物だけではない、伝統文化の継承者として上勢頭亨翁の大きな心が詰まった、
竹富島の一大文化センターなのである」
と評されている通り、文化遺産の島である竹富島の歴史・伝統・文化・民俗・風習、
いわゆる「島の暮らし」が集積している施設といえるでしょう。

竹富島を訪れる際は、是非とも足をお運びいただき、
テーマパークではない、
「竹富島の暮らしの息吹き」を感じていただきたいと思います。

(ta)

東京竹富郷友会創立90周年記念公演にあたって

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竹富島では昨晩、
6月7日に開催される東京竹富郷友会創立90周年記念公演に提供する芸能の総稽古が行なわれました。
郷友会(きょうゆうかい)組織とは、故郷を離れた島の出身者が集い、
親睦を図りながら故郷を支えて行こうという趣旨のもとに活動する親睦団体です。
竹富島では、東京・沖縄・石垣の3郷友会が組織されており、
その中でも東京竹富郷友会は最も歴史が古く、大正14年に設立しています。
この3つの郷友会は、様々なところで島をバックアップしてきました。

郷友会の中で長男と位置づけられる
石垣郷友会は、親島から近いがゆえに物資・人的面で島を支え、
特に種子取祭の奉納芸能における貢献は枚挙に暇がありません。
二男にあたる沖縄郷友会は、県庁所在地である那覇市を中心とし、
県内でのPRを欠かしませんでした。
特に山城善三先生に代表される、県行政を通じての竹富島への貢献は計り知れないものがあります。
三男の位置である東京郷友会は、様々な情報の発信地である東京という位置を利用して、
内盛唯夫氏を中心として様々な竹富島のPRを行ってきました。
民俗学者の柳田国男や芸術家の岡本太郎、
そして本田安次や岡部伊都子をはじめとする著述家と繋がることにより、
竹富島の工芸品や伝統文化、ひいては風習・習慣を紹介したのです。
昭和51年の「種子取祭の芸能」として東京国立劇場公演の際は、
竹富から上京した芸能団を手厚く迎え、公演を大成功に導く裏方の役割を果たしています。
また、あまり知られていませんが、
東京郷友会の最大の功績は、本土資本の土地買収が進む昭和50年代に、
郷友会で費用を捻出してその企業の実態を調査し、
島に情報を提供し買収を阻止するよう警告しています。
こうした各郷友会の活動の積み重ねが、現在の竹富島を育んだともいえます。

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東京竹富郷友会60周年記念誌『たけとみ』(昭和60年発行)より

現沖縄国際大学副学長の狩俣恵一氏は、
20年前(平成8年)に発刊した東京郷友会創立70周年記念誌「たけとみ」において、
郷友会活動についてこう記しています。

「私たち郷友会員は、竹富島という島社会の複雑な人間関係、
プライバシーのほとんどない生活、寄付の頻度が多くても文句を言わずに応えようとする自分、
自分の意見がはっきり言えない「横並びのうつぐみ」、過疎化による島の衰退、
高齢化による郷友会の衰退など、竹富島出身者の苦悩をすべて抱えている。
しかも私たちの竹富島での生活は、わずか十数年以内に過ぎない。
それにも拘わらず、私たちは竹富島に拘りすぎている。
私たちが竹富島や郷友会に対し、様々な不満や不安があろうとも、
竹富島には私たちを捕えて離さない魅力がある。
その魅力の源泉は、竹富島の精神世界であり、伝統文化であることをお互いに自覚したい。
≪中略≫
私は思う。
経済中心の近代化政策を進め、すっかり疲れ果てた日本社会は、
いまこそ郷友会を母体にしたような地方社会の文化活動を必要としているのだ、と。
私は郷友会に対し、まだまだ希望がある。夢もたくさんある。
私たちが我が竹富島を中心にして、自分たちの出来る文化活動を展開することは、
日本社会の未来に対しても希望を与えるものである。
私たちは郷友会に対し、これからも希望を抱き続けるとともに、郷友会の活動を文化中心へと転換すべきだと思う。」

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東京郷友会をはじめ、各郷友会の活動メンバーが2世・3世へとシフトしてきましたが、狩俣恵一氏の70周年記念誌における提言は、色あせることなく今も生き続けています。

(ta)

『竹富島・小浜島の昔話』のこと。

第12回星砂の島文化講演会の講師・福田晃氏は1975年・1976年に、立命館大学・大谷女子大学・沖縄国際大学の学生を募り、八重山の島々に伝承されてきたムニンガタイ(民話)の聴き取りを行いました。
その成果が『竹富島・小浜島の昔話』(1984年・同朋舎出版)に結実されています。本書は「南島昔話叢書」第9巻として刊行され、竹富島の昔話46話、小浜島の昔話62話が収録されています。
ここでいう昔話とは、神話・伝説、本格昔話、世間話、笑話、動物昔話などを総括したものを指します。
福田氏は編者代表として「あとがき」に「本書は、立命館大学・大谷女子大学・沖縄国際大学の若い学生たちのエネルギーと、竹富町教育委員会・八重山文化研究会・竹富島小浜島の公民館・老人会など地元の皆さんの協力と、竹富島・小浜島出身の若き学究者の情熱との三つが統合して成ったものである」と述べています。
ちなみに、この竹富島出身の「若き学究者」は、仲筋出身の狩俣恵一氏のことです。
本書最大の特色は、本を開いたとき、上段には語り手が方言で語ったものを忠実に翻字したもの、下段には編者らが共通語訳したものを配して構成したところにあります。テードゥンムニの味わい深さを活かした編集になっています。
一話ごとに、語り手の名前も記録されていますが、残念ながらこれらの先輩方はすでに故人となられています。本書はそれだけに貴重な記録だともいえます。
本書に収録された竹富島の昔話の題名と語り手を、ここに記しておきます。
01 竹富島の島建(上勢頭亨)
02 仲嵩の由来(大山功)
03 御願崎の石上げ(与那国清介)
04 ニーウスビの神(大山功)
05 種子取祭と六人の神(大山功)
06 石垣・幸本御嶽の香炉(東盛弘介)
07 犬の井戸(前野長用)
08 アーパー石(東盛弘介)
09 世果報の神とサン(前野長用)
10 ムカデ旗の由来(大山功)
11 鉄人の根原神殿と与那国島(大山功)
12 花城の神と川平カニーブの船漕ぎ競争(大山功)
13 多良間モーシ(大山貞雄)
14 ハブ聟入(生盛康安)
15 子育て幽霊(与那国清介)
16 継子の井戸掘り(加治工政治)
17 按司の身代わり花嫁(大山功)
18 藁しべ長者(前野長用)
19 産神問答(前野長用)
20 大歳の客(1)(狩俣カマド)
21 大歳の客(2)(与那国清介)
22 ユヒトゥンガナシの恵み(大山功)
23 ある男の仇討ち(加治工政治)
24 首のない影(前野長用)
25 働かずには食えない(大山貞雄)
26 真栄里ギシャーの大力(東盛弘介)
27 竹富武士と屋良部武士の力くらべ(前野長用)
28 人間の腰(大山功)
29 烏に仕返し(東盛弘介)
30 唐の不思議(与那国清介)
31 小さい時計は時間が早い(大山功)
32 玻座間蛙と仲筋蛙(大山功)
33 シジランと南京虫と蚤(与那国清介)
34 白鷺とヨーラとクビラと鳩(東盛弘介)
35 老烏の知恵(生盛康安)
36 十二支の由来(石川明)
37 鷲と海老(大山貞雄)
38 蝙蝠の二心(根原ハツ)
39 猿の生肝(前野長用)
40 竜宮の祝い(1)(与那国清介)
41 竜宮の祝い(2)(石川亀美屋)
42 雀孝行(大山功)
43 雨蛙不孝(前野長用)
44 雲雀と若水(上勢頭亨)
45 犬の脚(石川明)
46 鶏が鳴きだすわけ(大山功)
「解説」によると、竹富島における昔話の伝承の系譜は、家系に沿うところが大きいといいます。
しかし、本書にもっとも多く収録されている、大山功の伝承の系譜は、「血縁関係よりも地縁的結合によるものが、その中心となっている」そうです。
大山功氏は、昔話を祖母や父母から聞くことよりも、「村の古老・先輩・友人から聞き取ったものであり、特に近くの東金城加那や勢頭真牛からのものが多く、夕食後、その家を訪ねては話を聞かせてもらった。あるいは、西表島へ出作りに赴く舟の中で、あるいは、稲作・畑作の仕事のなかで、また山の木伐りの作業の折に、話を聞くこともあったという。しかも、それらの伝承話を自分の自分の子や孫に語ることはなかったが、村の祭りや畑仕事の折、あるいは出作りの赴く舟の中で、村の人々に、これを語っているのであった」とユニークな伝承のあり方です。
この『竹富島・小浜島の昔話』のほか、竹富島の昔話を記録した、『竹富島誌 民話・民俗篇』『蟷螂の斧』、またNPOたきどぅん発行の『テードゥン昔ムヌンガタイ』などを大いに活用し、生き生きとした昔話の継承につとめていきたいものです。                  (YI)

石積みの呼吸

随筆家であり、こぼし文庫の創設者である、
岡部伊都子氏の著書に
『自然の象』(1980年・創元社)があります。
川西祐三郎氏の装画がしゃれていて、
思わず手にとりました。
岡部氏の著書ということで、
つい何か竹富島の記述があるのでは、
といった読み方をしてしまいます。
斜め読みをしていくと、
やはりありました。
「塀」という文章の末尾の部分。
「沖縄の民家をとりかこむ珊瑚礁石の低く分厚い石垣には、
風土のもつ力強い美しさがある。
同じ石垣でも、竹富島の石垣はよく整っていた。
石積みの呼吸に秀でた島の人々が、
“この塀に開けた入口は、人を幸福にする寸法だよ”
と言われたのが、なんともやさしい口調であった。」
備忘録としてここに記しておきます。     (YI)

白川郷と竹富島

昨日、白川郷の「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」
会長の三島敏樹氏にお電話差し上げました。
というのは、『八重山毎日新聞』に連載中の
「八重山の針路と選択」欄で、まちづくりのお手本として、
白川郷が採り上げられていたからです。
白川郷は、先日(9月4-6日)
交通システム導入の先進地として
視察させていただいたこともあり、
親しみを覚えます。
(フィリップモリス・ジャパン助成事業)
白川郷はすでに世界遺産に登録されています。
合掌造りの保存に対する取り組みや
それを活用して観光を推進することなど、
竹富島のまちづくりにも
大いに参考としたいところです。
『八重山毎日新聞』の「八重山の針路と選択」欄では
しばらく「白川郷編」がつづきます。
見逃せませんね。
これを契機にして
白川郷と八重山の交流が
深まることを思います。            (YI)

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勤労感謝の日

本日11月23日は勤労感謝の日です。
この祝日は、
「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを
趣旨とし、1948年公布・施行の「祝日法」で制定されました。
これには、第2次世界大戦以前に行われていた「新嘗祭(にいなめさい)」を
改めて制定したという経緯があります。
11月23日が「勤労感謝の日」だというのは、
その日付自体にそれほど深い意味はありません。
新暦が採用された1872年以前、新嘗祭は旧暦11月
2回目の卯の日に行われていたのですが、
1873年ではたまたま11月23日だったというだけのことです。
それで翌年(1873年)から11月23日に固定されるようになったのです。
新嘗祭は、天皇が宮中でその年の新穀を神に供え、
感謝するとともに、自身で食すという儀式があります。
そして、天皇が即位して最初に行うものを
大嘗祭(だいじょうさい)といいます。
国内の神社でもこれにならい、
民間でも農耕儀礼として行われるようになったともいわれています。
谷川健一氏は著書『大嘗祭の成立』(1990年・小学館)
第2章・第3章で大嘗祭の成立にいたる論証に、
沖縄の民俗儀礼に注目し考察しています。
例えば、大嘗祭の抜穂儀礼の問題を考えるとき、
八重山地域の初穂儀礼(スクマ)と比較したりしています。
竹富島の年中行事について考察するとき、
このような視点や方法も参考になるかと思います。       (YI)

芋掘狂言の背景

行事が目白押しの毎日。
結願祭も無事に終えることができました。
今年の結願祭恒例「芋掘狂言」も、
出演者のアドリブも効いて
味わい深い演技を見せてくれました。
ここで「芋掘狂言」の背景を、イモに注目しながら、
少し考えてみたいと思います。
まずは次のセリフから。
  昔やりゃどぅ芋ぬ数んいしょーたる。
  此ぬ三品どぅあったっちょう。
  あーぱー芋、赤ぐるぐわー、白ぐるぐわーてぃどぅ
  此ぬ三品どぅあったっちょう、
  今や世ぬ変るた芋ぬ品ん
  やーさありどぅんなてぃやー。
  よう、此ぬ畝や
  よぎむらさき、農林1号、南国、沖縄1号
  めーひんやーさあすんが覚るぬ。
このセリフから、昔3種類しかなかった芋の品種が、
時代を経て随分増え、今では品種も
「よぎむせさき」「農林1号」「南国」「沖縄1号」のほか、
「めーひんやーさあすんが覚るぬ(もっとたくさんあるが覚えられない)」ほどになったといいます。
また、品種名から外来のものが島に入ってきたことが想像できますが、
その由来のひとつにとして、次の喜舎場永?氏が記録したものも
参考になるでしょうか(『八重山民俗誌 上巻』)。
(YI)

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ミーナライ・シキナライの会

 平成17年3月、喜宝院蒐集館に所蔵されている文書の一部が、竹富町から『竹富町史 第10巻 資料編 近代1』として刊行された。この書は、明治36年の人頭税廃止前後の竹富島の姿を知るうえ、かけがえのない貴重な資料。早速、NPOたきどぅんの管理する「竹富島ビジターセンターゆがふ館」や港湾ターミナル「かりゆし館」で、販売している。
 平成元年にスタートした竹富町史編集委員会は、この19年間に「新聞集成」「近代資料」「戦争体験記録」など、10数冊を刊行し、多くの情報を提供してきた。そして、いよいよ町史の本論ともいうベき島々の歴史にさしかかろうとしたとき、国の三位一体の行財政の改革に迫られることになる。その結果、町史編集室は閉鎖され、編集者は総務課の編集係として他の業務も兼任することになった。しかし、島嶼群からなる島々の歴史はなににも代え難く、行政当局の理解を得、編集室は平成19年4月に復活したという経緯がある。
 これまでに刊行された書籍は、竹富町の島々の歩みとその変遷を明らかにしてきた。そのうえ、「近代資料」は、従来日の目を見なかった、自家版などの資料が、翻刻され、さらに意訳と解説を加え、町民の前に姿を現した。諸資料が誰にでも平易に読めるようになったという功績も大きい。
 幸い竹富島には、崎山毅の『蟷螂の斧』や上勢頭亨の『竹富島誌』、亀井秀一の『竹富島の歴史と民俗』、大真太郎『竹富島の土俗』、辻弘『竹富島いまむかし』などの貴重な著書がある。また、琉球大学や沖縄国際大学の調査報告書などがあるが、最近の刊行された諸資料を参考にしながら、島の歴史を見つめ直し、再編成する時期が来たと私は考えている。

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