カテゴリー別アーカイブ: お知らせ

令和元年度竹富公民館祭事行事表

昨晩の集落ごと(あいのた・いんのた・仲筋)の定例会にて、
令和元年度竹富公民館年間祭事行事表が発表されました。

今年度は、種子取祭10日目にあたるムヌン(物忌)が、
祭事行事表に掲載されており、

竹富島における祭祀の継承の取り組みが
ますます深まっていくことを予感させます。

『竹富島誌-民話・民俗編-』によると、
ムヌンとは、
~ 「みずのえ」の日を選んで行われた。二月になると草葉と称して
虫送りの行事をする。その日は、各戸一人づつ出て田畑の作物についている
害虫類をとり、これをこれをクワズイモの葉に包んで海へ持って行く。
そこには神司たちがいて、芭蕉の葉柄でつくった小舟に害虫を積み、
「パイノーラス島、ニーラスクの国に行って虫たちは生活せよ」と
唱えて海に流した。
昔は月毎に行われたが、昭和になってから4回、
四季ごとにとどめられた。
すなわち2月の草葉物忌、4月の穂の物忌、8月の初穂物忌、12月の止め物忌
であり、各戸一人のわりあてで浜へ行き、虫送りの行事をした。 ~

また、シチ願い(節祭)の記述にも、ムヌンについては触れており、
シチ願いの3日間は物忌として畑仕事をせず、大地に感謝を捧げる。
節祭りは村鍛冶屋の「つち」の音をもって終了する。
往古は3日間の入港船を歓迎し、出帆を嫌うため、
浜には監視人をおいて厳重に船の出入港を見守ったと古老は伝えている。

と記述されています。

(ta)

島の記憶

「八重山ライブラリー」新たな記録のお知らせです。

「細原和彦さんの台湾時代の話」
日本が台湾を統治していた時代(1895~1945)には、
竹富島から台湾へ仕事を求め移り住む島人たちは珍しくなかった。
台湾で生まれた細原和彦さんは、ご両親が台湾で出会った頃のことや、
終戦を迎えて帰国する時の様子を当時撮影された写真を交えながら話してくださいました。

皆さま是非ご覧ください!

島の記憶

「八重山ライブラリー」に新たな映像が登場!

2019年2月2日、与那国島で行われた第2回民俗芸能交換会のお疲れ様会にて、
前本隆一さんが披露された理法読言(りっぽうゆんぐとぅ)の映像です。
この映像は、竹富島 西集落出身の上勢頭巧くんが与那国島で撮影した記録です。
私が隆一さんから「理法読言」の歌詞を聞き取りし、言語学者の中川さんに字幕をつけてもらい、紹介文を巧くんに書いてもらいました。水野暁子


島の大先輩が披露する民俗芸能!
貴重な時間だったのではないでしょうか。

記憶の記録

八重山ライブラリーに新たな記録が加わりましたのでお知らせします。

竹富島の祭事でうたわれる「トンチャー」。
世迎いの他に、十五夜祭や種子取祭の奉納芸能の中でも唄われます。
個人的にとても好きな唄でもある事から、狂言の中での「トンチャー」、
年齢層や性別の違う島人の唄う「トンチャー」を今後記録して行きたいと思っています。
水野暁子

記憶の記録

八重山ライブラリーに新たな記録が加わりました!

まっちゃんおばさんが唄うテードゥンムニの童謡に字幕をつけた貴重な映像素材。
日本語字幕とテードゥンムニ(竹富島の言葉)の字幕が入り、
竹富公民館、NPOたきどぅん、竹富保育所、竹富小中学校の四カ所に寄贈しています。

駐輪場の清掃

平成30年度種子取祭もいよいよ明日から始まります!
昨日の秋季清掃検査も無事に終了したことから、
本日の夕刻、
レンタサイクル事業者に協力を呼びかけ、
駐輪場の清掃を実施いたしました。

駐輪場に面した道は、
種子取祭の儀式のひとつである「参詣」の通り道として
毎年、種子取祭前に掃除を行っておりますが、
あわせて駐輪場を利用される方々へも気持ちよく使ってもらおう
との思いもあります。

npoスタッフと、
丸八レンタサイクル、友利観光、嶺本レンタサイクル、
レンタサイクルぽち、新田観光
の各事業者のスタッフの皆さんと共に、最後にパチリ。

皆さま、ご協力ありがとうございました。

(ta)

ニーブを無事に寄贈いたしました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA


平成22年(2010)4月に完成した2作目のニーブは、
9月12日に沖縄県立博物館へ無事に収蔵されました。

【1作目:平成21年11月製作 喜宝院蒐集館に寄贈】
【3作目:平成30年04月製作 ゆがふ館ゆんたくコーナーで利用】

穀物の脱穀に使う敷物として作られてきた、藁のムシロである
ニーブ(地域によってはニクブクという)は、
時代の流れにより製作方法が途絶えかけていましたが、

竹富島民具づくり教室の「手わざの継承」の趣旨に基づき、
時間に余裕にある際には、
松竹昇助さんからの“ニーブを作ろうか”のひとことに皆が奮起し、
都合3枚を製作することができました。

おかげさまで、
2作目は沖縄県立博物館・美術館の収蔵品となりました。

上の画像は、当時(1月27日)の製作風景。
現在から8年前の出来事です。
制作者の若々しさは変わりましたが、
ニーブの製作技術は、今も変わらず残っています。

(ta)

記憶の記録

以前ご紹介した「八重山ライブラリー」に新たな記録が加わりました。
戦時中の記憶を語る松竹さんのお話。
経験したことをしっかりと記憶する島民が話す貴重な記録です。
是非ご覧ください。

↓こちらからご覧いただけます!
八重山ライブラリー

記憶の記録

島の方々が生きてきた時代の記録「八重山ライブラリー」が始まりました。
水野暁子さんがメンバーの一人として活動しています。
現在見ることが出来る映像は、日本統治下の台湾で暮らした経験のある方々の記憶です。
下記の、リンク(YouTube)からご覧いただくことが出来ますので、皆さま是非ご覧ください!

「八重山ライブラリー」
2年ほど前に竹富島の家々をまわって古い写真を見せてもらう機会があり、それ以来「デジタルアーカイブ」的なものを作りたいと思い続けていました。 友人や知人に会えば「デジタルアーカイブを作るよ」と言い続け、そろそろ「アーカイブ作る作る詐欺」になりかけていた頃に、映像ディレクターの友人が「今度八重山に行くから映像と写真で遊ぼう!」と声をかけてくれました。 友人が想像していた遊びとはちょっと違っていたかもしれませんが、彼女の声かけのおかげで「八重山ライブラリー」をスタートすることが出来ました。

2年前は、紙媒体の写真プリントをデジタル化して保存して行く事を考えていましたが、友人達のサポートの元、島人が語る記憶そのもののアーカイブを、可能であれば写真も交えながら映像で残して行く活動になりました。

現在4人の島人から日本統治下の台湾でどのように暮らしていたかなどのお話を伺ってきました。最初の3人のインタビュー映像を公開します。 今後も、一月に一人の割合で色々なお話を聞き、「八重山ライブラリー」で紹介していけたらと思っています。この映像を観て、「私の体験も話したい、残したい」と思う島人が現れれば、八重山諸島の島々にお話を伺いに出向きたいと考えています。
声をかけてくれた浦郷庸子さん、広田麻子さんありがとう! 私たち3人が共通して考えているのは、この映像が未来の島人の財産になれば素晴らしいなという事です。 100年後、もしくはもっと先にこの映像を観て面白いな、と思ってくれる人が居たら嬉しいです。

今回4人の島人から同じ時期の話を聞きましたが、4人の見方も感じ方もそれぞれ違っていました。性格、年齢、場所、経済環境の違いなどで全く違った体験をしています。歴史は、教科書や一冊の本の中には無いのだという事を実感しました。多方面から観て、聞いて、考えて、知るということは、人を豊かにしてくれると私は信じています。

水野 暁子 2018年6月26日